無職ひきこもりトレーダーの日々

40歳で鬱で職を失い、トレードで生活費を稼いでいます。無職です。部屋にひきこもるのが大好きです。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ、再就職はあきらめました。

精神病院に入院していた時の話 その8  

私の入院していた病棟は、鬱の人、不眠の人が多かった。
それでも、週に何回か、誰かしらが大暴れして、騒ぎになっていた。
暴れるのは女性が多かった。

入院していた病棟では
無職の人、生活保護を受けている人が、かなりの割合でいた。

今まで、私が生きてきた中では
普通に会社員をしている人が殆どだったので、
同じ境遇の無職の人がここまでいるとは思わなかった。

それに、人と比較するのは好きでは無いけど、
まだ、私は働こうと思えば働けると思った。
鬱で寝た切りの人もいたし、
Cさんみたいに、20年もの間、精神病院に閉じ込められている訳でも無い。
Dさんのように、薬物中毒でも無い。
正社員とかを考えたらダメかもしれないけど、
パートとかアルバイトだったら働けるかもしれないと思えた。
退職して、無職になってから初めて前向きな気持ちになれた。

それから、急に気持ちが楽になり、死にたいという気持ちが日に日に薄れていった。
9月に入り、仕事をしたいと考えるようになった。
そして、9月の下旬に退院した。

10月に入り、ハローワークへ行った。
そして、仕事を探し始めた。

これで、精神病院に入院していた話は終わり。


仕事は相変わらず見つかっていないけど、
無職であること、仕事をしていないことを自分なりに受け入れられるようになった。

それと、仕事をしていなくても、何とか生活はできるという感触が得られた。
妻もパートで働いているし、
家計が苦しくなれば、生活のレベルを下げれば良い。
拘らなければ、何かしら仕事は見つかるのではないかという、淡い期待もある。
「なんとかなる」この気持ちを得られたのが良かった。

また、明日から
無理をしない程度に、トレードと職探しを始めようと思います。

精神病院に入院していた時の話(完)
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精神病院に入院していた時の話 その7  

病院で知り合った患者さんの話。

病室は別だったけど

Dさん
20代後半で、この人も何で入院しているか分からないけど、
もしかしたら、薬物中毒での入院かもしれない。
覚醒剤の経験があり、未成年の時に、施設に入っていたと言っていた。
精神薬も凄い量を飲んでいた。
頓服の薬もしょっちゅう飲んでいて、
ナースステーションに行っては、レボトミン下さい!、リスパダール下さい!って
いつも薬を飲んでいた。頓服を飲み過ぎて、今日はこれ以上は出せまんと看護士さんに言われていた。
仕事は制作会社でADをしていたけど、今は無職で生活保護を受けていると言っていた。

Eさん
30代前半。無職。発達障害と言っていた。
自分の話を始めると、止まらなくなり、会話はいつも一方通行。
お父さんは亡くなっていて、お母さんと2人暮らし。
自宅の住んでいるマンションで暴れて、器物を破損して、手を付けられず強制入院となったらしい。
いつも興奮状態で、誰かしらを捕まえては際限なく話を始める。
興奮が酷いと、看護士さんに薬を飲まされて、鎮静させられ、昼からずっと寝ていた。
起きると、「酷い薬を飲まされた」と怒っている。
電話も朝から親戚の人とかに掛けて、長時間話している。
親戚の人も朝の忙しい時に迷惑だろうな。
あと、お母さんとの電話で、良く怒鳴っていて、廊下中に声が響き渡っていた。
電話は10分までと、先生に決められているらしく、
長電話が酷い時は、看護士さんに注意されていた。


今回紹介したのは全て男性。
その他にも、沢山の人と知り合ったけど
一人ひとり書くと大変なので、これぐらいで。

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精神病院に入院していた時の話 その6  

病院で知り合った患者さんの話。

同室は3人いた。

Aさん
鬱で入院。40代前半。無職。
Aさんとは歳も同じで、話しているうちにお互い無職と言う事もあり気があった。
元々はタクシードライバーをしていて、勤務成績が優秀でハイヤーの運転手になったそうだ。
そこで、不規則な生活から鬱になり、退職。
その後、ハローワークで職業訓練を受けて介護職に就くが、
仕事が激務で、鬱になって直ぐに退職し、現在の無職に至っている。

Bさん
不眠で入院。50代前半。タクシードライバー。
Bさんは薬嫌いらしく、入院中も一切、不眠薬の服用を拒否し続けていた。
私が入院した後、1週間で退院していったが、とても几帳面で真面目そうな人だった。
ここ最近、タクシーの売り上げが減ってきて、売り上げを上げるために無理をして働いたら
不眠になったらしい。
タクシードライバーって、生活が不規則だから大変だなと思った。

Cさん
60代前半。
もう20年精神病院で入院生活を送っているベテラン。
何で入院しているのかは分からないけど、飲んでいる薬は鬱の薬。
実家は中小企業を経営していて、かなり裕福な家庭の人。
Cさん自身、貯金は1億以上あるそうだ。
おやつはいつも豪快に買っていた。
ヘビースモーカー。
電子部品を製造している会社は、長男が後を継いで、会社は順調なようだ。
私が無職で求職中と言ったら、会社を紹介してくれると言われた。
お兄さんは、時々面会に来ていた。
でも、40過ぎから20年も精神科に入院していて、何とも思わないのか不思議だ。
病院から出たいと思わないのだろうか?
話をしていても、普通のおじさん。若い頃は派手に遊んでいた感じ。
病気とは思えないし、何で、ここに入院しているの?と思ってしまう。

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精神病院に入院していた時の話 その5  

入院生活

朝6:30に起床して、消灯は21:00だったかな。
もう忘れてしまった。

楽しみは3度の食事と、15:00からのおやつの時間だけ。
あとはひたすら暇で、いかに時間を潰すかだった。

私は運動不足を解消するため、
病棟の長い廊下をひたすら歩き回っていた。


食事
本当に酷かった。
量がとにかく少ない。
まあ、閉鎖病棟で動いていないので、それで良いと言えば良いのかもしれないけど。
常に空腹感があって、病室でおやつを隠れて食べていた。
肉も出るのだが、鶏肉か豚肉で、異様に小さかった。
今の食生活からは考えられないが、それでも食事は楽しみだった。

おやつ
病院1Fの売店に、3人の看護士さんに付き添ってもらい集団で買いに行った。
逃げ出す人はいないけど、一応、閉鎖病棟なので。
買い物の許可が出ていない人もいて、その人は、看護士さんに買いたいものを頼んで、
買って貰ってきていた。
チョコレート、せんべい、スナック菓子、アイス、ジュースなどを買った。
お金の管理はできず、事前に家族が病院の事務に振り込んで、カードを使って買い物をした。

作業療法
調子が良くなってから、週に何度か、午前中に2時間ぐらい作業療法があった。
塗り絵をしたり、オセロなどのゲームをしたり、アイロンビーズをしたり。
子供の遊びのような事をしていたが、
病棟で、暇をもてあましていたので、やることがあるだけましだった。

TV
食堂に2台あるだけで、譲りあって見ていた。
一般の内科や外科病棟のように、病室のベッドには無い。
高校野球が好きなおじさんがいて、その人は東京都の予選大会~甲子園の決勝戦まで、
高校野球が開催中はずっとTVにへばり付いていた。

談話コーナー
ソファーのある談話コーナーが1ヶ所、喫煙所が1ヶ所あり、
暇な時はそこへ行くと、誰かしら話し相手になってくれた。
でも、飽きてくる。
隔離された閉鎖病棟に毎日にいるので、話すネタなんてすぐに尽きてくる。
16:00を過ぎると、やっと1日が終わりますねと、患者さん同士で話題になるが、
ここから18:00の夕食までの2時間が鬼の様に長かったりする。

とにかく、毎日、毎日暇だったが、
あっと言う間に、入院期間は終わってしまった。

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精神病院に入院していた時の話 その4  

入院初日
これからこの病院でどうなって行くのだろうかと不安感が一杯だった。
しかし、そんな不安も杞憂に終わる。
入院2~3日で一気に気持ちが楽なった。

まず、入院することで死ぬ事を考えなくて済んだ。
閉鎖病棟では、死ぬ事はできない。
諦めの境地だ。

それと、仕事の事、将来の事を考えなくなった。
閉鎖病棟の時間の流れはゆるやかで。非日常の世界だった。
世間一般とは隔離されていて、世の中の人が働いている事すら忘れてしまう。

自宅にいた時は、外出すると、嫌でも会社員の人を見かけ、
自分が働いていない事、無職である事に対して、強烈な劣等感を感じていた。
しかし、閉鎖病棟では、そんな働いているい人の事を知る由も無い。
とにかく、無の境地になれた。


それに加え、色々な患者さんと出会えて、話をできたのも大きなプラスだった。
知り合った患者さんの事を書くと長くなるので、今回は割愛するが(次回書きます)
無職で苦しんでいるのは自分だけではないと気付いた。

入院の目的は、薬の調整だったが、
入院して数日で、気持ち的にだいぶ楽になったので、
先生と相談して、薬はそのままで様子を見る事になった。
むしろ、ジプレキサなどは飲み過ぎだそうで、薬の量を減らされた。

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精神病院に入院していた時の話 その3  

7月上旬
入院施設のある精神病院へ行った。
病院は東京の外れの、山の奥にあった。
逃げだすにも、逃げだせない環境だ。

初回は診察のみ。
今まで掛っていた精神科の紹介状を持って行き、診察を受けた。
主治医は30代後半ぐらい。
可もなく不可もなくと言った印象。

私はすぐにでも入院したかったが、入院施設は満床で空きがなく、
入院可能な日にちの連絡を待つことになった。


7月中旬
入院。
精神科には閉鎖病棟と開放病棟がある。
私は希死念慮が強かったので、閉鎖病棟に入院した。

窓に鉄格子こそは無いが、開いても10cmぐらい
外に出るには、常に鍵のかかっているナースステーションを通らなくてはならない。
タオルや髭剃りはナースステーションで管理。
ひも付きの短パンのひもも、入院初日に抜かれた。

軽い軟禁生活が始まった。

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精神病院に入院していた時の話 その2  

実家に帰ったものの、気持ちに変化は全くなかった。
自分は生きていく価値の無い人間だ。
早く、人生を終わりにしたかった。

実家では特にすることも無く暇だった。
図書館で本を読んで時間を潰したり、たまにヨガ教室に通ったりしていた。

死にたい気持ちは常にあり、図書館では自殺に関する本を読み漁った。
残された家族の苦しみを知ったが、
それ以上に、死にたい気持ちが勝っていた。



精神科には通っていた。
何とか、死にたい気持ちを薬で抑えたかった。
当時、飲んでいた薬をお薬手帳で調べたら
ジプレキサ、デプロメール、メイラックス、ソラナックスと書いてあった。
ジプレキサなんかは、後に入院する病院で、量が多すぎると即減らされるぐらいの量を飲んでいた。
とにかく、薬は色々試してもらったが、全然効かなかった。


6月末
実家に帰っても気持ちはかわらず、薬も効かず、かといって、死ぬこともできず
閉塞感がただよっていた。
毎日、起きてから寝るまで、ずっと苦しい思いをしていた。
朝から晩まで、死にたい、死にたい、死にたい。
でも、死ねない、死ねない、死ねない。


なぜ、早く死ななかったのか?
それは勇気がなかっただけだった。
死ぬのは怖くなかったが、痛いのに耐えられなかった。
そこを乗り切れば、死んでいたと思う。

自殺して、命を落とす人は、
あと1歩を踏み出せた人だと思う。


どうにもならない現状を、私は薬で何とかする道を選んだ。
精神病院へ入院して、24時間先生の管理の元で、薬の調整をして貰おうと思った。
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精神病院に入院していた時の話 その1  

今日は日曜日。
朝からする事も無く、暇なので、
1年前の事を思い出して、書こうと思う。

自分の苦しかった時期の事を、ブログに残しておきたい。
このブログは、私の備忘録も兼ねているので。

長くなると思うので、5~6回に分けて書く予定です。




今は普通に生活して、精神薬は全く必要のない状態に戻った。
トレードで勝った、負けたで日々騒いでいて、平和な日常を送っている。
しかし、去年の今頃は地獄だった。
死にたくて、死にたくて仕方なかった。

会社員をしていて、仕事への不適合感が強く、30代の頃から鬱を繰り返していた。
それが原因で、40を過ぎて仕事を失い、無職となった。

仕事を辞めたら、鬱が良くなるだろうと思っていたが、実際は逆で、
40を過ぎたオッサンで、何のスキルも資格も無い、それに加えて鬱病持ちの私には
もう働く会社など無いだろうと思え、絶望のどん底に落ちて行った。

無収入になり、何のために生きているのか分からない。
もう、一生働くことはできない。
自分は価値の無い人間だと、いつも思っていた。



死のうと思った。
自分の部屋の私物を整理して、
家族がいない時に、荷物を車に積み込んで、清掃工場に運んた。
本も古本屋へ持って行った。
証券会社に入れてあった資産も、
株が嫌いな妻でも分かるように、銀行口座にまとめた。

あと、葬儀屋も色々と調べた。
死んでから、スムーズに事が運ぶようにしたかった。


いつも、死ぬことばかり考えていて、
パートに出ている妻が、日中私を自宅に一人にしておくのを心配し、
常に家族の誰かがいる実家に帰る事になった。
去年の5月末か、6月の初め頃の事だったと思う。
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