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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

学園祭の話  

11月は私の卒業した大学の学園祭の季節です。
卒業後、何度か学園祭に遊びにいったのですが、
最近は殆ど行かなくなりました。


大学も知っている人がいなければ行く理由は無いのですが、
幸いにも私の3つ年上だった同じ研究室の先輩が
今は教授として研究室に残っているので、遊びに行ける環境にはあります。

でも、ずっと会っていないので気恥ずかしい気もするし、
仕事も辞めてしまって、共通も話題も無いし
(まさか、株の話をする訳にもいかないですし)
行ったところで、と尻込みしてしまいます。



学祭では、研究室で3年間(大学、大学院)
おでんともつ焼きのお店を開きました。

集団行動が苦手な私ですが、珍しくこのお店を営業することは楽しめました。
お客の多くは研究室のOBで、呼び込みをしなくてもそこそこの客入りでした。
また、OBは社会人であるためか、代金を多めに置いて行ってくれたので、
利益もそれなりに出た記憶があります。
(その利益は、後日の打ち上げに使った)

店員である私たち学生も、店番をしながらビールを飲んでいて、
昼から内輪で宴会をしているようなものでした。
だから、一般のお客さんは近寄り難い雰囲気だったかもしれません。



同じ研究室の同級生に、もつ焼き屋の息子がいて、
彼が実家であるお店から、調理器具や食材を持ち込んで、
もつ焼き、もつ煮を作り販売しましたが、これがとても美味しくて評判でした。

彼は大学4年で卒業しましたが、その後も彼の実家に協力をお願いして、
翌年以降も器具と食材を提供してもらい、販売を続けた記憶があります。



最近、ツイッターで彼のお店の話題がたまたま出ていたので、
改めて調べてみたら、とんでもない名店であることを知りました。

私は東京の城北、城東方面の酒場に行くことが多いので、
神奈川の酒場事情はさっぱりわかりませんでした。



彼は卒業後、家の跡を継ぐことなく空調機器メーカーに就職しましたが、
残念ながらその会社は既に倒産しているようでした。

同級生の何人かはそこに勤めていたので、
その後、彼らがどうなったのか。
比較的大きな会社でしたが、そういった会社に就職できても、
一生安泰では無い時代になったのでしょう。

私も鬱になって16年勤めた会社を辞め、つい最近5年続けたトレーダーを辞め、
この先どうするのか?他人事ではありません。



そのお店は15時から営業していて、
もつ焼き1本60円、もつ煮150円と格安です。
食べログの総合ランキングの上位に入るようなお店なので
ちょっと行って見たい気がします。
もしかしたら、仕事を辞めた彼が後を継いでいるかもしれません。


しばらくは暇な日々が続きそうですし、積極的に外回りをしようかと考えています。
この季節、外はとても心地が良いです。
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巣鴨の専業さんの話 その4  

これまでのあらすじ

先月の末、巣鴨の専業さんを飲みに誘ったところ、
「酒も弱くなり引退したいと思います。お世話になりました。」との返信がありました。
15年弱の付き合いの有った巣鴨の専業さんとは、
もう一緒に飲みに行くことはないかもしれないと思うと切ない気持ちになりました。

喧嘩別れした訳では無いのだけど、
最後に彼と会った時、朝からお酒を飲んでいると言っていたので、
もう外に出てまで飲みに行く気力もないのだろうなと。

そんな巣鴨の専業さんから聞いた、彼が専業になるまでの話や、
お酒に溺れる生活までを書きました。
巣鴨の専業さんの話 その1
巣鴨の専業さんの話 その2
巣鴨の専業さんの話 その3

■10
2014年5月に上野の専業さん、巣鴨の専業さんと再会してからは、
3ヵ月に1度ほど、定期的に3人で会うようになりました。

上野の専業さんもお酒が大好きで、
下町の酒場を案内してくれるといった、酒場巡りの会でした。
上野、板橋、十条、王子、赤羽、立石、北千住、綾瀬
私が一人でお酒を楽しむようになったのも、上野の専業さんの影響が大きかったです。

そんな3ヵ月に1度の酒場巡りですが、
ある時から、巣鴨の専業さんが遅れてくるようになりました。

この3人で飲みに行くときは、15時頃に喫茶店で待ち合わせをして、
コーヒーを飲みながら1時間ぐらい雑談を交わし、
それから夕方に酒場の開店時間に合わせて喫茶店を出るのが常でした。

しかし、巣鴨の専業さんが、喫茶店での待ち合わせの時間に遅れて来るようになりました。
元々は几帳面な性格で、普段は一番早く来るような人だったので、
そんな事が何度か続きおかしいなと思い始めました。


聞くところによると、前日の夕方からお酒を飲みはじめ、明け方まで深酒をしてしまい、
そのままリビングに寝て気が付くと昼を過ぎている。
待ち合わせの時間が迫っており、慌てて家を出てきたから遅れてしまった。
というのがいつもの理由でした。

この時点で、毎日明け方まで大量に飲酒しているのだと察しが付きました。
それに、彼は自宅で飲むことが多く、おつまみも何も食べないで飲んでいると。
随分と体に悪い飲み方をしているのだなあと思いました。


■11
3年前の丁度今頃、(2015年の10月)いつものように3人で上野ので飲んでいました。
いつもはお酒に強い巣鴨の専業さんが、1軒目で1杯飲んだだけでかなり酔ってしまい、
いつもと違っておかしいと上野の専業さんと共に話していると、
店を出てから真直ぐに歩けなくなってしまいました。

言葉では上手く表すことができないのですが、
体がねじれてしまって歩けない感じでした。
私たち2人ではどうすることもできず、タクシーを呼んで巣鴨の専業さんを
自宅に帰したことがありました。

私は医学的な事は良く分からないのですが、
上野の専業さんが言うには、小脳梗塞を起こして、
運動器官が麻痺していたのではないかと言い、
後日、連絡をとって病院へ連れて行こうということになりました。

その後、巣鴨の専業さんの無事が確認でき、
3人で再会した時に、一度一緒に病院へ行こうと提案したのですが、
彼は大の病院嫌いで、首を縦に振ることはありませんでした。
彼は区の健康診断にすら行っていないようです。


■12
昨年の3月、渋谷で十数名の株のオフ会がありました。
そこに巣鴨の専業さんも来ることなっていたのですが、時間になっても現れない。

30分以上遅れて、やっと現れたと思ったら注文したのはウーロン茶。
予想通り前日深酒して、酷い二日酔いで一切のお酒を受け付けないらしく
オフ会でも浮かない顔をして、そのまま1次会で帰って行きました。

おそらくですが、この頃は1日中お酒を飲んでいたのだと思います。


■13
今年に入ってから、彼とは2度会っています。
1度目は3月の上旬でした。この時も彼は遅刻してきました。
その時、彼との会話で覚えているのは、
「もう、毎月の権利日がいつだかも分からなくなってしまったよ」でした。

彼も優待のクロスをしていたのですが、
その権利日すらも分からなくなってしまうくらい、
お酒漬けの毎日になってしまったのか?と、軽くショックを受けました。

そして、2度目に会ったのは5月の下旬。
阿佐ヶ谷駅前の喫茶店で、いつものように3人で近況などの雑談をしていました。
私が彼に「最近はお酒は何時から飲んでいるんです?」と聞いたら、
「朝からずっと飲んでいる」という答えが返ってきました。

そこまで酷いとは思いませんでした。
でも、私や上野の専業さんが言ったことろで、どうにもならないことなのです。
何となく、凄く残念な気持ちになったのは覚えています。


1軒目は3人で飲んで、2軒目は巣鴨の専業さんと私の2人で飲んで、
何の話をしたかは覚えていないけど、
いつも通り、とりとめの無い会話をして。
それが、彼との最後となりました。
(※書き方はあれですけど、彼はまだ生きていると思います)


■14
9月下旬、いつもは3人での酒場巡りを、上野の専業さんと2人でやってきました。
巣鴨の専業さんとかれこれ15年弱の付き合いだったので、思い出話は尽きませんでした。
(※書き方はあれですけど、彼はまだ生きていると思います)

昔は新興市場が好きで、オフ会ではいつも大声で個別銘柄について熱く語っていた頃が懐かしいと。
10年ほど前までは、もっと太っていたのだけど、
最近はめっきり痩せてしまって別人のようになってしまったとか。


彼の生活が変わったのは、ザラ場の取り引きを止めて、
REITの配当で生活をしてからだと思います。
私や上野の専業さんは、ザラ場の取り引きをするので、
日中お酒を飲むことはありません。


これは、先日も書いたことの繰り返しになりますが、
巣鴨の専業さんは、億を超えるお金があり将来に不安は無い。
REITの配当があり、持ち家もあるので生活に不安は無い。
仕事をしていないので自由な時間もある。

でも、お金があって時間があるが故にお酒に溺れてしまったのではないだろうか。
もし彼が、金銭的にあまり余裕が無くて、
生活のために働かざる負えなかったら、
朝からお酒を飲むなんてことはなかっただろうし、
アル中になることはなかったのかと。


■15
もしも私が彼を同じように、お金や時間を自由に使える立場だったら、
どうなっているのだろうと考える時があります。

こんなコラムがありました。
「株は上質なギャンブル」英文学者・外山滋比古さん
-------------------------------------------------------------------------------------------
高齢者にとって、株式投資が一番の生きがいになる可能性があることに気付いたからです。
定年退職を迎えてリタイアした方々は海外旅行などの余暇を楽しんでおられます。
ですが、それは一過性のものです。やることがなくなれば退屈して、言い方は悪いが、
いずれぼけてしまいかねない。一方、株式投資を始めると、それにはまって、
中には「明けても暮れても株」という人も出てくる。
一種のギャンブルとして生き生きと株式投資をすれば、常に一喜一憂する。ぼけてなんていられません。
~中略~
(株式投資は)その気になれば、90歳や100歳になってもできます。
こんなにいい老化防止の手段はないでしょう。生き生きと取り組むから病気にもならない。
医療費の抑制にもつながる。国の社会保障費も大きく減少します。
~中略~
「ただ、株式投資にギャンブル性があるのも事実。昔から『株はいけない』と言っている人は
ギャンブル性があることを理由にしている。
ですが、ギャンブルは人間にとって極めて有用な精神的刺激なんです。
年寄りが生き生きとするには、良いことばかりでは駄目。それではぼけてしまう。
証券会社など他人任せではなく、自分で銘柄を選んで売買する。
それですごく儲かることもあれば、大きな損を被ることもある。
そうして一喜一憂することが、人間が生き生きと生きていくためには必要なんです。
損しても、それで生活ができなくなるほどでなければ、『治療費代わり』と思えばいい。
多少損をしても、病院に通って薬代を払うよりはずっといい」
-------------------------------------------------------------------------------------------
株式投資をすることで、有用な精神的刺激を得ることができるので
人間が生き生きと生きていける。
考えるから老化防止にもなり、病気にもなりにくい。

そういった観点からも、トレードは少しでも続けた方が良いのかもしれません。
もちろん、その時は生活費を賭けたトレードスタイルを改めなくてはならないのですが。
巣鴨の専業さんも、少しでも個別株の売買を続けていたら、
もしかしたら、お酒に溺れることにはならなかったのかもしれません。


【完】

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秋ですね  

今日は台風が来ているようで、風雨が強くなってきました。
でも涼しくて快適です。

夜は自宅でさんまを焼くようなので、ビールを飲みます。
この季節は、いつもキリン秋味を飲みます。
アルコール度数が6%と飲むとガツンと来ます。



先週末の金曜日、中学時代の先生と卒業生2人を含む4人で都内で飲んできました。
飲み放題だったので、生ビール2杯、スパークリングワイン2杯
赤ワイン1杯、カクテル2杯を飲んで、終電近くで帰ってきました。
飲みすぎましたが、飲んだ杯数を覚えているので大丈夫でしょう。




私には子供が2人います。
先生と子供の進路についての話題になって、
先生曰く「子供の進路のことは親がきっちり口出ししなくてはダメだ」と言われました。
私は「我が家は子供に自由にさせていますので、口出しはしません」と返したところ、
「カッコ付けたこと言って・・・」と。

別にカッコ付けたことを言ったつもりでは無く、
子供本人の意志で、自由に学校を選んだ方が良いと思っているのに
ちょっとショックでした。




先生には、20代半ばの一人息子がいます。
大学を出て就職して、既に結婚されています。
先生の奥さんも同じ教員です。

息子さんが大学を入られた時の話を以前聞いたことがあるのですが、
○○大学は気に入らないからダメだ、
○○大学は息子の性格に合わないから行かない方が良い、
という話をしていたことを思い出しました。

また、息子さんは海外留学をしていたことがあって、現地で知り合った外国人女性と付き合っていたそうですが、
外国人との結婚は反対したとも言っていました。

私は、先生の息子さんが少し可哀想に思いました。
大学を選ぶのも結婚相手を選ぶのも、親の意志が入っていて、
(先生は良かれと思って言っているのだろうけど)
この先も、親が生きている間は親の顔色を伺いながら
人生の選択をしていかなくてはならないのかと。




先生や奥さんは教員といった職業柄、
子供に教えなくては、指導しなくては、といった意識が強いように感じます。
私に対しても、そういった接し方のような気がします。

でも、大人(親や先生)が常に正しいと思うことを子供に教えているのだろうか?
仮に正しいとしても、教えることが本当に良いことなのだろうか?
と思う時があります。

大人は子供の幸せを願って、自分の経験から、
失敗しないように成功への最短ルートを子供に歩ませようとします。
だから、色々と口を出すのでしょう。


でも、そんな最短ルートを通った幸せって、
儚いもの、薄っぺらいもののように私は感じます。

自分の頭で考えて、自分自身で人生の選択をして、
その結果失敗するかもしれないし、苦しい思いをするかもしれいなけれど、
そういった経験を経て何かを掴んでいく。
それが人生だと思います。

人生を歩んでいくうえで、成功への近道だけを歩んでいける、
安全地帯だけを歩んでいける、ということはあり得ないと思います。
幾ら大人の適切なアドバイスがあったにせよ。




そもそも、大人達の思っている「人生の成功」というのは、
世代の違う子供達とは違うのかもしれません。

まだ、人生における成功の尺度などは、同年代の人同士でも違ってくるものです。
「出世」「お金」「家族」「趣味」
どの分野で幸せを得るかは、個々人の価値観で異なるはずです。

だから、あまり他人の生き方や、人生の選択に口出しすべきでは無いと思っています。
それが例え子供であっても、一人の人格のある人間ですから。
だからこそ、「我が家は子供に自由にさせていますので」といったのです。




私は、親が子供の進学や結婚相手に口出しることが悪いことだとは思いません。
そういう育て方も一つの方法です。
ただ、私はそういう育て方はしたくない。

子供によっては、自分で決めるのが苦手な人もいるかもしれません。
そういう人は、ある程度レールに敷かれた道を歩んだ方が、
幸せになれる可能性が高いでしょう。

一方で、自分の意志をしっかり持っている子供は、
大人はあまり干渉すべきではないと思っています。
親が大学に行ってほしいと思っていても、子供が働きたいといえば、
子供の意志を尊重すべきで、大人は口出しない方が良いのです。
それで子供が失敗したら、また本人が考えてやり直せば良いだけの話です。



子育てなんて、何が正しくて何が間違っているなんてことは無くて
子供に合わせて色々な方法があり、画一的ではないはずです。
「子供の進路のことは親がきっちり口出ししなくてはダメだ」をいう決めつけは、
何となく違和感を感じました。

私は先生の事を、子供の事を第一に考える良い先生だと思っていたのですが、
結局、教員というは子供に勉強を教えるといった職業柄、
良い学校に行かせるのが目的になっているのでしょう。




良い学校に行っても幸せになるとは限らないし、
良い会社に勤めても幸せになれるとは限らないし、
良い職について大金を掴んだからといて幸せになれるとは限らない。

私の考える幸せは、
「自分の意志で、自分の好きなことをする」という一点に尽きるのです。

だから、子供の進路には口出しをせず、
子供の意志で、子供に選択させたい。
別にカッコ付けている訳じゃないだけどな。



ということで、これから好きなビールを飲んで過ごします。
それが私の幸せなのですから。

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巣鴨の専業さんの話 その3  

その2 からの続きです。


■7

2006年のライブドアショック以降、
私は他の投資家さんと会うことは少なくなりました。

その理由のひとつは、私が株で利益を上げられなくなったからです。
儲かっている時は、色々な人と会って株の話をするのは楽しいのですが、
儲かっていない時は、何となくみじめな気持ちになり、人と会うのも億劫になります。

その後の2008年のリーマンショックで止めを刺され、
投資全般から遠のいたこともあって、
トレーダーさんとの交流は殆ど無くなりました。


もう一つの理由は、2012年から仕事が原因で鬱になったからです。
そして2度の休職後、仕事を失います。
2012年、2013年は投資家さんのみならず、一切の人との交流は無くなりました。
家でずっと寝ているだけの毎日が続きました。



2014年。私は鬱から回復して、職を探すことになります。
生きる気力も少し湧いてきて、少しでも生活の足しになればと、
しばらくやめていた株式投資も再開することにしました。

それを機に、久し振りに上野の専業さんにメールで連絡を取り、
仲の良かった巣鴨の専業さんと共に3人で会うことになりました。

2014年5月、日暮里谷中のルノアールで再会。
鬱であったことなど何も連絡もせず、一方的に音信不通にしてしまったという
不義理を働いたにも拘わらず、2人は私を温かく迎えてくれました。

この時は、まだ巣鴨の専業さんも元気そうでした。
お酒が好きな人で、毎日飲んでいたようですが、
人並みに嗜む程度だったと思います。



■8

「ニックさんは良い時期に具合が悪くなって、勿体ない事をしたね」
久し振りに再会した上野の専業さんは私に言いました。

2013年の第2次安倍内閣では、新たにデフレ経済を克服するために
2%のインフレターゲットが設定され、それに伴い大胆な金融緩和措置を講ずるという
金融政策が発表されました。

これにより株式相場は大きく上昇し、投資家たちに大きな利益をもたらしました。
アベノミクス相場です。

2013年、私は鬱の療養のため精神病院での3か月の入院生活を余儀なくされて、
株式投資どころではありませんでした。
上野の専業さんには「勿体ない」と言われましたが、
それは人生の巡り合わせなので仕方の無い事です。


巣鴨の専業さんは、リーマンショック以降、
個別銘柄の株式投資はスッパリとやめ、
ずっとREITの配当金を得る戦略を続けていました。

そして、このアベノミクスによる金融緩和によりREIT価格は上昇し、
2013年は3000万円を超える利益が出たそうです。
最も、REITでインカムゲインを得る戦略であるため
3000万円の利益というのは、含み益も含んでいる額です。

それでも、REITを保有するだけで生活ができるのですから、
鬱で仕事を失ったばかりの私からしたら、羨ましい限りの話でした。



■9

「毎日することが無くて暇だよ」
巣鴨の専業さんはいつも言っていました。

私も上野の専業さんも、個別銘柄を売買するスタイルなので、
9時から15時の立会中は、それほど暇ではありませんでした。
ただ、巣鴨の専業さんは、ずっとREITを保有し続け、
配当金が支払われるのを待つだけなので暇だったのでしょう。

時々、セクター内で利回りの低下した銘柄と、
利回りの高い銘柄の入れ替えをしているようでしたが、
1日中パソコンに張り付いているということはなさそうでした。


そんな巣鴨の専業さんに、どんな1日を送っているかを聞いたことがあります。
朝は10時過ぎに起きて、TVを見たり、本を読んだりして時間をつぶし、
夜になったらお酒を飲んで寝る、といった毎日を送っているようでした。
少なくとも5年前までは、人並みの生活を送っていたようです。

投資家はみんなそうだと思いますが、安く仕入れることに喜びを感じます。
良く彼は、ネットでお酒のセール品を見つけ、大量に購入していました。
焼酎、日本酒、ワインなど、アルコール度数の高いお酒を好んでいたような気がします。

あるとき、韓国のマッコリを大量に購入したらしく
毎日、マッコリを飲んでいると。
たまに焼肉屋へ行って飲む分には良いけど、毎日飲むのってどうなの?
と思ったけど、彼は酔えれば何を飲んでも良いような感じでした。


その4 に続く

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巣鴨の専業さんの話 その2  

その1 からの続きです。


■4

証券会社を退職した巣鴨の専業さんは、その後、税理士事務所に勤め始めました。
彼が税理士を目指していたかは分かりませんが、
金融の知識を生かした転職だったようです。
意外とこういうパターンは多いようです。

証券会社を辞めたので、株式の売買の制約も無くなり、
自身で株式投資をすることもできるようになりました。
仕事をしながら株式投資をする兼業投資家生活が始まりました。


ところが、その税理士事務所も2~3年で辞めることになります。
とにかく激務だったようです。

2月~3月の確定申告の時期は、
自分の受け持つクライアントの申告書類を期日までに仕上げる必要があり、
その時期に、風邪やインフルエンザで仕事を休もうものなら、その後が大変だと。

休んでいる間は、他のメンバーが仕事をしてくれる訳ではないので、
徹夜を続けてでも仕事の遅れを挽回する必要があります。
確定申告には期日があるので、遅れは許されないのです。

そんな激務に嫌気が差してしまい、
事務所を辞めて専業投資家になることになりました。
おそらく30代後半の事だと思います。

証券会社でも、税理士事務所でも、どんな仕事でもそうですが、
働いてお金を得るというのは大変なことです。
それは投資で生活費を稼ぐということも同じです。

長く続けるためには、好きであるとか、興味があるとか、
そういう基準で仕事を選ぶしかないのでしょう。



■5

巣鴨の専業さんと初めて会ったのは2004年のことでした。
私が33歳、彼が41歳
その時、彼は既に専業投資家になっていました。
彼は今年55歳なので、専業投資家生活を14年も続けているのです。

彼は既婚歴の無い独身です。
証券会社に勤務時代、巣鴨に中古マンションを購入し、以来そこにずっと住んでいます。
だから、ここでは巣鴨の専業さんと呼んでいます。

2000年11月までITバブルと呼ばれる景気拡張期がありましたが、
そのバブルが崩壊し、2002年1月まで景気は低迷します。
これをデフレ不況と言います。

しかし、2003年ごろから、バブル崩壊後ずっと下落傾向だった地価が、
都市部を中心に回復の兆しを見せてきました。
この年は、J-REITの上場のラッシュがあったり、
不動産流動化銘柄を中心に新興市場も賑わいを見せました。


その新興市場の堅調な相場に乗って、巣鴨の専業さんの資産も、
あっと言う間に1億円を超えました。

私が現物の株式投資を始めたのは1998年からですが、
1998年~2002年までの5年間の利益の総額は10万程度でした。
(マイナス年も2度有り)

しかし、この2003年は1年間で数百万円の利益をあげることができたのです。
2003年~2005年の3年間は、みんなが儲かるような相場がしばらく続き、
夢のような時代でした。



■6

2006年1月16日、証券取引法違反容疑で、
東京地検特捜部がライブドア本社などに強制捜査を行いました。
これを受け翌1月17日は、新興市場銘柄が軒並み売られ大幅安になりました。
この株式市場の暴落をライブドアショックと言います。

これまで、上がるから買う、買うから上がると言った新興市場の好循環が
突如として逆回転を始めたのです。

巣鴨の専業さんもこの暴落に巻き込まれ、多くの資産を失ったそうです。
そして、これを機に株式の短期売買はやめることになりました。
それでも資産は1億円程度は残っていたようで、
それを元にREITでの資産運用を始めました。

REITの利回りは4%程度で、税引き後の配当は手取りで約300万円強/年の収入。
持ち家に住み、かつ独身であることから、生活に不自由することは無いようです。
元々派手な生活をするような人ではないですし。
この生活は、2018年の現在も続いているようです。



その3 に続く

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巣鴨の専業さんの話 その1  

今日は雨が降っています。
なんとなく家に一人でいると陰鬱な気持ちになりそうなので、
妻子の買い物に付いて行くことにしました。

私は特に買いたいものも無く、一緒に昼食を食べた後、
一人喫茶店に入ってブログを更新しています。

もう二度と会うことがないかもしれない、
巣鴨の専業さんの事を少し書いてみます。



■1

巣鴨の専業さんと会ったのは、今から13~14年前のことです。
インターネットの株式掲示板で知り合い、
そのオフ会で会ったのが最初だと記憶しています。

私より8歳年上の今年55歳。
元は中堅証券の対面営業をやっていました。

彼は大学卒業後、ある証券会社に入社しました。
(少し前に証券業界は合併が相次ぎましたが、まだ当時のまま残っている中堅証券です)
証券会社に就職したのは、学生時代から投資が好きだったからです。

入社したのは折しも、これからバブルが始まろうとしていた時代でした。
その当時、彼の会社のボーナス支給の算定方法は、
自分の顧客から得た売買手数料の10%(だったと思う)といったインセンティブだったので、
バブル景気時にはボーナスは軽く100万円を超えていたと言っていました。


1999年の金融ビックバン以前の株式の委託手数料は
どの証券会社でも同じで固定されていました。
(当時の大蔵省(現金融庁)が決めていた。護送船団方式
バブル景気当時は、まだインターネット環境が普及しておらず、
ネット証券も存在しなかったので、当時の委託手数料は今と比較すると高く、
売買代金にもよりますが片道で1%、往復で2%程度でした。

しかし、バブルが崩壊し、証券業界は冬の時代へと突入します。
株式投資をする人も減り、委託手数料は激減。
そんな中、投資信託などの売りたくない商品でも売らなくてはならない日々が続きます。

みんながみんなとは言いませんが、
証券マンは、客に大きな損をさせても屁とも思わないような
心臓に毛が生えたような人でないと長くは勤まりません。

巣鴨の専業さんは優しいところがあったので、
そういった商品を無理に売ることができなかったのでしょう。
早い話、投資が好きで投資知識はあても、証券営業には向かない人でした。


■2

その証券会社では、毎日朝礼があって、
営業マン一人一人の前日の売り上げがみんなの前で発表されていました。

鈴木1000万円、田中600万円、高橋300万円、巣鴨、お前はマルだ(0円のこと)
巣鴨の専業さんいわく、最後の方(退職を決意した頃)は入社1年目の新人にも
売り上げが負けていたと。


マルの日々が続くのも辛かったそうですが、それよりもっと辛いこと、
それは追証の徴収に行くことでした。

対面営業の証券マンは、追証の徴収には自身が行くことになります。
それは今も変わりないようです。
私はネット証券のように、取り立て専門の部署があるのかと思っていました。

ネット証券では、あらかじめ入金した余力の範囲でしか株式の注文はできませんが、
対面証券では、売買が約定した4営業日以内に入金すれば良いのです。

巣鴨の専用さんが勧めた株を顧客に購入させ、4営業日目になっても入金が確認できない。
その株が上がっていれば反対売買してしまえば良いのですが、
大きく下げっている。
そんな時に取り立てに行くのは辛かったそうです。

追証の徴収もそうです。
損をして信用余力が減ってしまったのですから、そんな人のところへお金を徴収しに行くのは辛い。
私でも想像がつきます。

ある証券会社では、追証を徴収しに行くことを、
支店内の隠語で「お葬式に行く」と言っているそうです。


■3

昔の証券会社は、パワハラで満ち溢れていました。
今でこそ、バックオフィスと接客ブースは分かれていますが、
昔はワンフロワーで仕切りも無く丸見えのところが殆どでした。

壁一面に大きな証券株価のボードがあって、
仕事中の証券マンも客も、同じボードを見ていました。

ある時、ある証券会社で、証券マンが上司とおぼしき人に
四季報で頭をひっぱたかれている光景に遭遇したことがあります。
当時はそんな光景はどこにでもありました。
今だったらパワハラと騒がれるでしょう。

巣鴨の専業さんの支店では、朝はみんな自分のデスクの前に立って
電話営業を始めるそうです。
そして注文を取ることができた人から順に、自分の席に座ることができる。
巣鴨の専業さんは、座ることができない日もあったそうです。

証券業界の話はありませんが、投資用マンションの電話営業で、
出社したら電話を持つ左手と電話機の受話器をガムテープで固定するといった話を
聞いたことがあります。
受話器を一瞬たりとも置くことが許されない。


今はだいぶ環境は改善されたかもしれませんが、
金融、不動産の営業だけはやりたくないです。


投資は好きだけど、お客に投資商品を売るのは好きでない。
彼は証券会社を辞めることになりました。
30代半ばのことだったと思います。

その2 に続く

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阿佐ヶ谷へ飲みに  

一昨日の水曜日、上野の専業さん、巣鴨の専業さん2人と
阿佐ヶ谷に飲みに行ってきました。

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16時 阿佐ヶ谷駅のスターバックスコーヒーに待ち合わせ
2人と会うのは3月末以来です。

コーヒーを飲みながらお互いの近況を話したり。
少し変ったことと言えば、上野の専業さんがセカンドハウスに新築のマンションを購入したそうです。

彼は独身ですし、残りの人生は好きにお金を使って行きたいと。
甥がいるので相続は彼がすることになるようですが、
現金で持っていても税金でガッポリ持っていかれる。
それならば不動産で、という算段もあるようです。

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17時 1軒目のお店「かぶら屋 阿佐ヶ谷店」へ

もつやき1本80円、煮込み130円、サワー1杯280円、どれも安いです。
値段を気にせずに飲めるのは嬉しいです。

上野の専業さんは私より20歳年上。今年68歳になります。
昔は大酒のみでした。
私がまだ30代の頃は、お酒が弱かったので、全然飲んでいないといつも怒られていました。

でもここ数年で、彼は全くと言っていいほどお酒が飲めなくなってしまいました。
このお店でもチューハイ、ウイスキーハイボールを飲んで、その後はお水を飲んでいました。

いつも沢山お酒を飲んでいた人が飲まなくなってしまう。
お互い歳を取ったとはいえ、少し寂しい気がしました。

1軒目のお店では4杯飲んで、一人2,000円でした。
上野の専業さんはここで先に帰ってしまい、巣鴨の専業さんと2人に。

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2軒目は「ぼてふりの四文屋」へ
四文屋といえば、やきとん、やきとりですが、
ここは串煮込みのお店でした。
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生ビール 350円
飲み物は全て350円です。
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本日のサービス品 100円  天然カンパチのお刺身でした。
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なす揚げびたし 150円
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浅漬二点盛り 250円
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こちの天ぷら 200円
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まぐろ竜田揚げ 180円
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最後にグレープフルーツハイ 350円

2軒目では2杯飲んで、一人1,200円でした。


巣鴨の専業さんも独身です。
昔はちゃんとトレードをしていましたが、いつからかトレードを辞めてしまい、
今は配当金や株主優待で生活しているようです。
「ザラ場」という話をしたら、懐かしい響きだと言われてしまいました。

彼の今の生活を聞くと、1日中お酒を飲んでいると言っていました。
毎日どの位飲んでいるのです?と聞いたら、焼酎の1.8Lが2日で無くなると。
ビールに換算すると、500mlのロング缶を毎日10本飲んでいることに。

一時は、お酒を飲まない日を設けたり努力もしていましたが、
今はまた元に戻ってしまったとか。
日々の記憶もあまり無く、気が付いたら週末になっているとも。

完全にアル中です。
彼の前職は証券会社の営業マンでした。
退職後、専業投資家になってガンガントレードをしていたのに、
あの頃の彼とは別人になってしまっていて・・・
そんな今の姿を見て、なんとも言えない寂しさを感じました。


2人の専業さんと付き合いは、かれこれ15年になります。
時が経てば人も変わります。

歳を取ってお酒が飲めなくなってしまった上野の専業さん、
トレードから離れて、お酒におぼれてしまった巣鴨の専業さん、
私の人生はこれからどのようになるのだろうかと、帰りの電車の中で考えてしまいました。

category: 友人

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中学時代の担任の先生の話  

■1

中学時代の担任の先生が手術のため入院しているので
来週の月曜日に、一人でお見舞いに行くことにしました。


■2

この先生は、私が中学3年の時の担任の先生でした。
先生とは学生時代は殆ど話をすることはありませんでした。
別に嫌な先生だった訳ではありません。
クラスのみんなに慕われていた良い先生だったと思います。
ただ、私は接点がなかっただけでした。


考えてみると、このクラスの友人ともあまり付き合いがありませんでした。
私がいじめられていたり、避けられていた訳ではありません。

このクラスは友人同士がとても仲良くて、むしろ仲間に誘ってくれていましたが、
私の方から避けていたように思います。

「みんなと仲良くしたい」「仲間に入って一緒に楽しみたい」という気持ちはあったのですが、
何となく、いつも斜に構えていました。
「私はみんなとは違うんだ」という気持ちでした。
カッコを付けていたのかもしれません。

そんな訳で、私の中学3年の時クラスは、
先生を中心にクラス全員がまとまっていたと思いますが、
私はいつも蚊帳の外でした。


■3

私が20歳を迎えた頃でしょうか、
先生の奥様が急死されました。
小さなお子さんを残して。

当時のクラスメイトは、
お葬式に参列したり、その後、残されたお子さんの面倒を見たり、
先生のことを励ましたり、色々と助けてあげたようです。

私はその時どうしていたのか?
良く覚えていません。
中学時代の友人伝手に連絡はあったと思いますが、
お葬式にも参列しなかったし、その後、先生ともお子さんとも会う事はありませんでした。
まるで他人事でした。

当時の事は、最近、先生本人や友人から聞きました。
色々と大変なことがあったとは全く知りませんでした。


■4

卒業後、先生と会ったのは数回だけしか記憶にありません。
1回は30歳を過ぎた頃に行われた中学時代の同窓会。
その時は、人数が多かったこともあって、先生と会話を交わしたかは定かではありません。

2回目は30代半ばの頃で、中学時代の友人の結婚式の時でした。
その時は、二言三言会話を交わしたと思います。
私の仕事の事(当時は会社員だった)や家族のことなど。
身の上話だったと思います。


■5

中学時代の友人とは、卒業後にも何人かと会っていましたが、
就職して実家を離れてからは殆ど会う事がなくなりました。

しかし、私が会社員時代に株の売買をやっている事を話した友人がいて、
彼も株を始めたようで、話を聞かせて欲しいと言われて、
無職になってから何度か会うようになりました。

その友人が、先生とずっと懇意にしていたこともあり、
先生に会わないかと誘われ、昨年の3月に先生の自宅近くで会いました。
私と先生と中学時代の友人2人とで、ファミリーレストランでランチを食べました。

その時に、初めて先生と色々な話をしたと思います。
鬱になって仕事を辞めてしまった話をしましたが、
トレードで生計を立てている事は、私からはあまり話はしませんでした。
でも、先生は友人伝いに聞いていて、あらかた知っているようでした。

時計屋をやっていた知り合いが、株で失敗して家族離散してしまったらしく、
私の事を心配してか、そんな事は止めた方が良いと言われたのを覚えています。


■6

そこでの再会を機に、先生とはたまにメールをしたり、電話をしたり、
時々、先生の家の近くでランチをするようになりました。

先生は既に定年されているので毎日暇のようでした。
再婚された奥様はフルタイムで働いて、
当時、まだ小さかったお子さんは結婚して家を出てしまったので
日中は一人でいるのでしょう。

私も平日は家にいるので、暇な時は先生と電話で世間話をします。
私は普段家族以外には話し相手が居ないので、
先生は有り難い存在です。


■7

そんな訳で、来週の月曜日の午後、
先生の入院している病院にお見舞いに行ってきます。

中学時代、そして卒業してからも殆ど会話を交わしたことの無かった先生のお見舞いに行くというのは
何となく不思議な感じがします。
恩師というようりも、「最近知り会って親しくなった、年上の無職の友人」といった感覚です。


妻に「無職ひきこもりトレーダーになりたい」と話をした時に、
私が社会との接点が無くなることを危惧していました。

人付き合いの苦手な私としては、この先ずっと社会との接点が無く
部屋にひきこもることに全く抵抗は無かったのですが、
常人にとっては異常なことなのでしょう。

しかし、なんだかんだ言って、否が応にも人との接点というのはできるものです。
結局は同じ境遇の人同士が、自然と繋がっていくのかな。


【おわり】

category: 友人

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オフ会で会った元外科医さんの話 その2  

その1からの続きです


■5

トレードの話を一通りした後、
彼に、外科医を辞めてしまったこと、そして専業トレーダーになったことを聞きました。
ストレートに、「なぜ、40歳半ばで20年近い仕事人生が残しつつ、外科医を辞めてしまったのですか?」と

彼は話しくれました。
「外科医をやっていることがつまらなくなった。」と

外科医になりたての頃は、手術の技法を色々と覚えていくそうです。
技術を習得し、日に日に成長していくことが楽しかった。
ところが10年も経つと、一通りの技法を習得してしまい、
自分の成長スピードが極端に鈍化すると言っていました。

ある程度の事が身に付くと、あとは同じ事の繰り返し。
外科医として、手術をすることがつまらなくなったと。


そして、もう一つの理由を話してくれました。
それは「がん患者を診なくてはならないこと」だと。

初めは、この言葉の意味が理解できませんでした。
外科医として、がん患者を手術するのは当たり前の事ではないか。
何が問題なのか?と

その話の続きを聞くと、がん患者に接するのが辛いということが分かりました。
本当は、がん患者を診たくない、
でも、外科医をやっている以上、それは避けられないことらしいです。

若い女性のがん患者を手術しなくてはならない。
彼女の話を聞くと、まだ小さいお子さんがいる。旦那さんもいる。
絶対に助けてあげたい。
でも、再発を繰り返して、多分この先は・・・

医者をやっていると、彼女の命があとどれくらいなのか分かるのでしょう。
全力を尽くしてやっても、報われ無い事もある。
本人が幾ら努力をしても、どうにもならない事もある。

医師という仕事は、精神的にもかなり辛い仕事のように感じました。
私なら耐えられないかもしれない。


■6

私は彼の事が嫌いでいた。
おそらくですが、このオフ会で彼から直接話を聞くまで、
彼のことを避けていたのかもしれません。

本来であれば、同じ銘柄を見ている人なので、もっと話す機会があっても良かったはずです。
でも、それはしませんでした。

彼と会って14年経ちますが、それまでに私が聞いた断片的な情報として
・トレードが好き
・外科医時代を凌ぐ利益を毎年上げている
・医師という職業を投げ打ってトレーダーになった。

人の命を救う医師という仕事よりも、お金を稼ぐトレードの方が好きなのか?
彼が金の亡者に見えました。
(これは私の、医師という仕事やトレーダーという仕事に対する偏見もあるのですが)

トレードで毎年凄い稼いでいるのを聞いていたので、嫉妬もあったのかもしれません。
だから彼のことが好きではなかったのかなと。

でも、今回色々な話を聞いて、
彼も外科医時代に、色々な苦悩があったということが十分分かりました。
自分の想像だけで、人を判断するというのは危険なことだなと身に染みて分かりました。

私自身、トレーダーとして今生きているのですが、
まわりの人からは、「楽して稼ぎやがって」と思われている節があります。
でも、トレーダーとしての辛さや大変さは沢山あります。

はっきり言って、そいう人達に言いたい。
「真剣にトレードと向き合ったことの無い奴に、何が分かるんだ!」と。

医師を辞めてまでトレーダーになった彼に対して、
家族であったり、周りの人は、何でトレーダー?と思っている人は沢山いると思います。
普通のトレーダー以上に、風当たりが強いかもしれません。

でも彼からしたら、
「外科医を勤めた事の無い奴に、何が分かるんだ」
と思っていることでしょう。


■7

2次会では、大阪のトレーダーさんも交えての話になり、
今度、彼の家で何人かでオフ会をしようという話にもなりました。

私は終電の時間もあったので、先に失礼させて頂いたのですが、
帰り際に連絡先まで教えて頂きました。

彼とは同じような銘柄を見ていて、トレードに対する考え方もとても参考になったので、
私自身がトレードに悩んだ時に、いつでも話ができたらなと思っていたので
とても有り難かったです。

私自身が一方的に嫌悪感を抱いていた人とのわだかまりが解けて、
なおかつ距離が急に縮まって。

私は大人数のオフ会は好きではないです。
何となく気恥ずかしい感じがして。
でも、今回ばかりは、参加して、彼と話ができて良かったと思いました。



おわり

category: 友人

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オフ会で会った元外科医さんの話 その1  

先週の土曜日はトレーダーさんとのオフ会でした。
そこで会った元外科医さんとの話を書こうと思います。
少し長くなりますので、お暇な時にお付き合い下さい。

■1

私がトレーダーになったのは、このブログでも幾度となく書いていますが、
鬱になって16年間勤めていた会社を辞め、その後再就職活動に失敗して、
生活の糧を得るために趣味の株式投資を再開したら、
なんとなく上手く行ってしまった。
ただ、それだけのことです。

自ら望んでこの世界に入った訳ではありません。
「仕方なく」と言ったら語弊があるかもしれませんが、
これしか稼ぐ手段がありませんでした。

そして、特段相場が好きでもありません。
(最近は、もしかしたら好きかもしれないと思っています)
生活費を賭けたギャンブルですから、売買はいつでも怖いです。
夜眠れない時や、食事が喉を通ら無い時すらあります。

そもそも「株なんかで生計をたてられる訳が無い」と、ずっと思っていたので、
無職ひきこもりトレーダーを4年も続けていられること自体奇跡だと思っています。

こんな幸運が長く続くはずは無い。
そのうちダメになる。そうしたらどうしよう。
いつもそんな考えが頭をよぎっています。


■2

他のトレーダーさんが、専業になられた経緯はあまり良く知りませんが興味はあります。
この世界で長く生き残っている多くのトレーダーさんに共通することは、
相場が好きということです。

相場が好きで、仕事を辞めて、この世界にどっぷり浸かって生きていきたい。
そういう人が多数派です。

先週の週末のオフ会で会った元外科医さんも、
そんな相場がとても好きな人でした。

彼と初めて会ったのは、2003年だったと思います。
当時、私は32歳、彼は40歳前後。
彼の正確な年齢は知りません。
当時はまだ現役の外科医でした。

その時、彼との会話で鮮明に覚えているのは、
「手術中も株のことが気になって仕方ない、手術をしながらずっと株のことを考えている」
という話でした。

この人、余程相場が好きなのだなと思ったのと同時に、
こんな人が手術の担当医になったら、私は嫌だなと思いました。

その後も何度かオフ会では会っているのですが、
近くに座ることも無く、彼はオフ会では人気者で、
いつも人だかりができていたので、話す機会がありませんでした。
風の噂では、彼は外科医を辞めて専業投資家になったと聞いていました。

しかし、先日のオフ会で、彼の隣の席に座ったので、
色々と話をすることができました。


■3

医師という職業は、社会的にも地位があり、収入的もトップクラスです。
誰からも羨望の眼差しで見られるステイタスのある職業です。
人の命を助けるという、社会に貢献できる素晴らしい仕事だと思っています。

そんな職を投げ打ってまで、専業投資家になるということに、
私はずっと疑問に思っていました。

彼がトレードが大好きなのは知っています。
そして、外科医時代の収入を遥かに凌ぐ利益を毎年得ていることも知っています。
でも、お金以外に何か辞めた理由があるのではと思っていました。

私はずっと、彼が外科医を辞めてまで、
トレーダーになりたかった理由を聞きたいと思っていました。


■4

彼と私の見ている銘柄は、かなり重なっている事は知っていました。
だから、オフ会の場では、トレードに対する私の考えを話したり、
彼の考えていることを聞きました。

私は日中足データを重要視しています。
監視している銘柄は、毎日、日中足データをコピー&ペーストして
データとして保存しています。

そのデータを使って、何かをする訳ではありません。
でも、何となく必要性を感じていて、判断に迷った時、
過去の類似銘柄の日中足データを見ます。

この話を彼にしたら、彼も同じ事をしていて、
重要なことだと言われてびっくりしました。

彼が言うには、数字を眺めているだけでは分から無い事があるが、
日中足データは視覚的に見れるので凄く良いと。

何となく必要性を感じていたけれど、なぜ必要かが分から無かった。
でも、視覚的に値動きを理解すると聞いて、長い間気になっていたことがやっと附に落ちました。


その2に続く

category: 友人

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昔、バイトで知りあった友人のこと  

■1

昨年末から、「スマホでUSEN」に加入しています。
月額490円で色々なジャンルの音楽がスマホで聞き放題です。

私の場合、朝の8:00~夕方17:00までは
部屋のBGMとしてラジオ日経を流しています。

それ以降の時間は、
監視している銘柄の株価データをダウンロードしたり、日中足データを保存したり、
その日の取り引き結果をエクセルに入力したり、といった単純作業が多いので、
作業用のBGMにUSENを流しています。

スマホからBluetoothでスピーカーに飛ばして聞くので
高音質で聞けます。
結構、気に行っています。


■2

そのUSENで、私は1980年代後半~1990年代前半
(私が15歳~25歳ぐらいだった頃)
の音楽を良く聞くのですが、その時代の出来事とか、
付き合っていた友人や彼女のこととかを鮮明に思い出し、懐かしくなります。

BARBEE BOYSの曲が流れてきて、
その歌を、カラオケで良く歌っていた友人のことを思い出したので
彼の事を少し書こうと思います。


■3

私が19歳の時、自宅近くのハンバーガーショップでアルバイトを初めました。
そして、ほぼ同じ時期に、2歳年下のフリーターの子も入ってきました。

彼は岐阜県出身で、高校を中退し、都内の親戚の家に住まわしてもらいながら、
そのハンバーガーショップでバイトを始めたそうです。
その前は、近くの喫茶店で働いていたと言っていました。

年も近かったし、彼はパチンコが好きで、ギャンブル全般も好きだったこともあり、
直ぐに意気投合し、いっしょに麻雀をしたり、
競輪場に行ったり、パチンコ屋へ行くようになりました。

その頃の私の生活は、昼間は大学で授業を受け、授業が終わるとバイトへ行く。
バイトが終わってから、0時~6時頃まで麻雀をして、
そのまま大学に行き、授業中に寝て、また夕方からバイト。
たまにバイトが休みの時や休日は、川崎、花月園の競輪場に行く、
そんな事の繰り返しの日々でした。

博打のためにバイトをするという、ギャンブル三昧の学生生活だったので、
当然のことながら学業はおろそかになり、大学2年の時に留年しそうになり、
泣く泣くバイトを辞めることにしました。

しかし、バイトを辞めてからも彼との交流は続き、
彼の岐阜の家に遊びに行き、彼の両親を交えて4人で麻雀を打ったり、
父親も大の競輪好きだったので、豊橋競輪にみんなで行ったりと、
楽しい思い出が沢山残っています。


■4

彼は当時、五反田に住んでいたので、
良く五反田駅前にあった、今は無き24時間営業の居酒屋「赤のれん」に
2人で飲みに行きました。

1階の入り口で靴を脱いで、下駄箱に靴を入れ、
階段を上がって、だだっ広い2階の大広間の座敷で、
鍋を食べながら、瓶ビールの大瓶を飲みました。
(確か、生ビールは無かったような・・・)
深夜なのに、従業員はみんな年配の女性だった事が印象に残っています。

私が20歳前後、彼が18歳前後、
その頃は、将来の夢とか希望があって、人生すごく楽しかったです。
生きることに必要なものは、何歳になっても「希望」だと思います。

当時の生活は滅茶苦茶でしたが、
親に食べさせてもらっていたし、独り身だったので、
本当の意味で、自由奔放に生きていたと思います。
楽しい時期でした。

赤のれんでは、明け方まで彼と人生について語り合いました。
彼がいつも言っていたのは、
「俺は高校を中退して、中卒だから、普通の人生は歩めない。
 このまま落ちぶれて乞食になるか、起業して一発あてるかのどっちかの人生だ。
 失うものは何も無い」と


■5

私がハンバーショップを辞めてから、半年後ぐらいに彼もバイトを辞めました。
運転免許を取得のため、しばらく実家に帰っていたようです。

その後、再上京した彼は、職を転々としていました。
パチンコ店の店員、芸能人のマネージャー、ネットワークビジネス(いわゆるねずみ講)
他にも何かやっていたかもしれません。
(※ねずみ講は、私も巻き込まれそうになって大変だった。この話も別途じっくり書きたいです)

彼には付き合っていた彼女がいて、彼女と吉祥寺で同棲をはじめた頃から、
お互いの家も遠くなってしまい、少しずつ距離が離れていきました。

私が社会人になった時は、まだ彼との付き合いはあって、
その頃彼は芸能プロダクションを起業して、社長になっていました。

彼は既に結婚していて、子供もおり、渋谷のマンションに住んでいましたが、
家賃は月50万円だと言っていました。

私は入社1年目で給料は額面で20万円そこそこ、
そして、寮費は2万円程だったので、
彼がどこか遠い世界に行ってしまったようで、寂しい気持ちになりました。
金銭感覚も全然違うし、生きている世界がお互い変わってしまったなと。


■6

その後、彼から一緒に仕事をしようという誘いを何度か受けました。
経理をやる人間がいないので、数字が得意な私に来て欲しいと。
そんな話を頂いたのですが、私は断りました。

彼の仕事を手伝えば、今の給料の倍以上は貰えるかもしれない。
しかし、起業して数年しか経っていない会社だったので、将来を考えると不安もありました。
結局、私は安定をとったのだと思います。

前の会社で、鬱になっても10年もの間、会社にしがみついていたのも
そんな下らない安定志向があったからかもしれません。


■7

お互いが社会人になってからは、自由な時間も少なくなり、
家が離れていたこともあって、めっきり会わなく無くなりました。

年賀状を交換する程度の付き合いも、
30歳を過ぎたあたりから途絶えてしまいました。
彼の住んでいた渋谷の家は、引っ越したようです。


彼が今、何をしているのか気になって、
彼の会社のことをネットで検索してみるのですが、情報は全く掴めません。

浮き沈みの激しい芸能関係の仕事だから、
今はもう廃業して、別の仕事をしているかもしれません。



■8

USENから流れてくるBARBEE BOYSの曲を聞くと、
彼と一緒に過ごした20代前半の日々を思い出し、懐かしくなりました。

また、機会があったら、彼との事を書こうと思います。
ねずみ講に巻き込まれそうになった話とか、
花月園競輪で1レースで50万当てた話とか、
岐阜の柳川瀬で飲み明かした話とか・・・


終わり

category: 友人

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友達に働けってしつこく言われて困った  

毎年1月に大学時代の友人と新年会を開催しています。
今年は大阪に単身赴任している友人の都合もあって、
2月下旬の開催になりました。

そして、友人のうちの一人は
この4月からタイに赴任するとのこと。
一度赴任すると、5年は日本に帰ってこれないと言っていました。

それなりの規模の会社だと、
給料もいいだろうし、安定しているだろうけれど、
あちこち転勤があって大変だなと思いました。

私なんかは、一生トレードルームで生きていくのでしょう。
転勤も無く、自分の気にいった部屋が仕事場というのは
本当に恵まれていると思います。
なにより通勤が無いのが良いです。



それはさておいて本題に。

毎年、大学時代の友人との新年会は、
私を含めて6名でやっているのですが、
今年は新たに2名が加わって8名となりました。

これまでの6人は、私が前職で鬱になって仕事を失い、
妻が働きに出て、専業主夫としてやっている話をしています。
そして、彼らは私の事を暖かく見守ってくれていました。


ところが、今回新たに参加した一人の友人に、
45歳で専業主夫なんてありえない。
お前は働いた方が良いと、何度も言われて参ってしまいました。


働かないって、そんなに悪い事なのかな?
我が家の場合、妻が働いているわけだし、
家族が納得していれば、何の問題も無い筈。

なんで、赤の他人にそんなことを言われ無くてはならないのかと
本当に悲しい気持ちになりました。

私だって、好き好んでこの世界に入った訳ではなく、
鬱になって仕事を失い、何とか自分に生きられる道を探しあてて
暮らしている。

こんな生き方して、他人に認められたいとは思っていない。
ただ、誰にも干渉されずに生きていきたい。
放っておいて欲しいのです。



良い年して働かないって、ダメなことなのかな?
私の場合、妻が働いて、資産もあってそれを切り崩して生活しているので、
親や親戚に頼ること無く、誰にも迷惑をかけていないのに。

45歳という働き盛りの年齢が原因なのだろうか?
15年後、みんなが60歳になって定年を迎え、
同じ境遇になったら時だったら、こんなに責められることは無いと思うけど。



穿った見方だけど、結局妬まれているのかな?と思ったりして、
久し振りに嫌な気分になりました。

友達付き合いって本当に難しい。
こんなことがあると、益々人嫌いになってしまう。
「一人が一番」と改めて思ったよ。

category: 友人

tb: 0   cm: 6

中学時代の担任の先生の話  

明日の事をサラサラっと書こうと思ったけど、
書いているうちに超大作になってしまいました。

途中の部分は先生の人となりが書いてあるので省いても大丈夫です。
お忙しい方は初めと終わりだけで。
お暇な時に。



中学時代の担任の先生(70歳男性)から
「都内に来る機会がありましたら、一度会いましょう」と昨日メールが来ました。

私は毎日暇なので
「いつでも暇ですので、先生の都合の付く時に」と今日返信をしたら、
明日、2人でランチを食べに行くことになりました。


----------以下、中略可能 下に続く------------

中学時代の担任の先生は、人間味のあるとても良い先生でした。

私の中学校は、当時は結構荒れていて、
学校の校舎の裏で生徒が煙草を吸っていたり、トイレの扉が壊されて無かったり、
1つ上の学年の卒業式にはパトカーが待機していたりと、
一触即発の緊張感のある学校でした。
当時は校内暴力という言葉を良く聞きましたが、今は全く聞かなくなりました。

いわゆる不良と呼ばれるような生徒が学年に10人位いて、
多くの先生たちは、彼らを恐れて悪事に対しても見て見ぬふりをしたり、
一部の男性教師が、力で押さえつけるような指導を行っていました。

しかし、私の担任の先生は、そんな不良たちに対しても対等に付き合っていて、
彼らからも一目置かれるような先生でした。
おそらく、不良たちの話にちゃんと耳を傾けていたのだと思います。

だからといって、不良たちに迎合するようなことは無く、
ニヤニヤと彼らに近づいては、さりげなくポケットを触り、
煙草を持っていないかのチェックをやっていました。


出来の良い生徒、普通の生徒、荒くれている生徒を
別け隔てること無く接してくれたので、
卒業後も先生を慕い、親交を続けている生徒が数多くいるようです。

しかし、私と先生との卒業後の付き合いは全く無く、
中学を卒業後に会ったのは、
15年程前に行われたクラス会と、10年程前の友人の結婚式の2度しか記憶がありません。

そして、その2度とも、先生と会話を殆ど交わさなかったと思います。
別に先生の事を嫌いだった訳ではないのですが、
特に話すことも無かったし、話たいとも思わなかったし、
そもそも先生は人気者で、いつも周りに沢山の人がおり、
私が話す機会はありませんでした。


ところが、昨年の3月に、中学時代の同級生とクラス会の話になって、
その同級生が先生との親交が深かったこともあり、
そんな縁から先生と再び会う事となりました。


クラス会の幹事をやっていたこともあり、
電話やメールが良く来るようになりました。

------------以下、本文に戻る------------

先生はとても話が好きです。
大体、午前の10時頃に電話が掛かってることが多いのですが、
平気で1時間位話に付き合わされます。
トレードが忙しくても無碍にできず、電話を切ることができません。

5分や10分で済まないことが分かってきたので、
最近は、忙しい時には電話に出ないようにしています。


話の内容は、他愛も無い日常会話です。
先生の趣味は無線です。私は無線はやりません。
あと、料理教室に通っています。
そこのメンバーの話を良く聞きます。
車も好きです。
昔住んでいた海外の話も良く聞きます。
それと中学時代の生徒の話です。
私の同級生の話もしませすが、これまで受け持った生徒の卒業後の話。
例えば、海外で活躍している人とか、起業して社長やっている人とか、
事件を起こして刑務所に服役中の人とか。
こんな雑談を永延としています。


前回は去年の11月頃にもう一人の同級生と会ったのですが、
11時前に会って17時前に解散するまでの約6時間の間、
先生が一人でずっとしゃべっていました。

まあ、こっちは何も考えず、色々な話を聞いているだけなので
楽と言えば楽なのですが。


先生は70歳です。
学校を定年退職して10年経ち、今は無職で、奥さんは働いているようなので、
日中は暇を持て余しているのかなと・・・
だから、無職で暇な(と思われている)私は、打ってつけの話し相手なのかもしれません。


ちなみに先生には、私が鬱で4年前に退職している話はしています。
今は妻が働きに出ていて生計を立てており、
私は専業主夫をやりつつ、暇潰しにトレードで小遣い稼ぎをしている
と言ってあるので、ザラ場中でも平気で長電話を掛けてきます。


ということで、明日の前場の寄りだけ見て、10時頃から外出します。
後場は完全にお休みです。

category: 友人

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高校時代の同級生の話  

一昨年に高校時代の同窓会があって、
その時に知ったのですが、
高校時代、同じクラスだった同級生が、
上場企業の社長をやっていたみたいです。
今は会長なんですけど。


上場企業の社長といっても、叩き上げで社長になったのでは無くて、
同族会社なので、そのまま引き継いだ形です。

経歴を見たら、大学卒業後、大手都銀に入行して、
父親が経営している企業に戻って、
営業などの実務に就いた後に、副社長、社長、会長といった感じのようです。



高校時代の彼の印象は、比較的大人しくて、
サッカー部に入っていて、スポーツマンといった感じでした。

勉強はできる方ではなくて、話していても頭が切れるとは思わなかったかな。
だから尚更、なぜ社長?そんなことできるの?
と、当人には大変失礼ではありますが、思ってしまいました。

鬱になって失職し、今は無職ひきこもりである同級生の私に、
そんな事、言われたくないと思いますが・・・
ゴメンなさい。


彼はあまり威張ることも無く、身なりも派手ではありませんでした。
だから、彼の家がそんな家だとは思いませんでした。




何で突然、こんな事を書いたかというと、
EDINETを見ていたら、彼が持ち株を売りに出しているみたいで、
計算したら何億も入って来るようです。

上場企業って開示義務があるから、
彼の事を知っている、同級生とか、知人とか、会社の人とかに、
そういった懐具合を知られてしまうのって、何だか可哀想だなと。


その会社のここ何年かの業績を調べて見たけれど、
ずっと芳しくなくて、彼も相当苦労していたはずです。

あんまりガツガツした人ではなかったし、
声も大きな方では無く、比較的大人しい人だったので、
社長業は大変だったのではないかなと、他人事ながら思ってしまいました。



経営権も手放す様なので、会長職も辞めるだろうし、
創業者利得で得たお金で、新しい事業でも起こすのかもしれないけど、
これからの人生、好きな事をやったら彼も幸せなんじゃないかなと、
ふと思いました。


上場企業の社長を父親から引き継ぐのって、人によっては羨ましく思うかもしれないけど、
そのプレッシャーは計り知れないものだと思います。


無職ひきこもりトレーダーの私はお気楽ですよ。
少なくとも私の家族以外、他人の人生は引き受けていないので。

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結婚と離婚について ~コメントの返信を兼ねて~  

ともさん、コメントありがとうございます。

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結婚て何なのか考えさせられますね。
私も離婚を経験しており、離婚のストレス、仕事のストレスが重なって
鬱になって休職した事があります。
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結婚とは何かって、難しいですね。
結婚の一番の目的は、種の保存という動機で、
人間の本能的な部分なのでしょうが、それはここでは置いておくとして・・・

結婚とは、好きな人と一緒に居たいという気持ちがあって入籍して、
結婚生活とは、お互いが一緒に生活していく上で、経済的、精神的に
補完しあう関係が続いている状態の事を言うのかな。
この関係が壊れて、修復不可能になると離婚となります。

離婚の原因は、経済的な問題、不貞を働いたなど異性関係の問題、
価値観の相違、DVなどの暴力、嫁姑問題など親戚間の関係などですか?


そうならないように、結婚する前の付き合いの段階で、
相手をちゃんと見極めて、と言う人が多いのですが、

自分自身を鑑みてみると、結婚前に妻とは4年間付き合いましたが、
妻の考えや価値感について、結婚してから初めて知ったという事の方が多かったと思います。
そもそも付き合っているうちは、自分の都合の悪い部分はお互い隠しますから。

だから結婚後に、相手の価値感(考え)と、自分の価値観を融合させる作業が必要になるのですが、
これが辛い。
自分が正しいと思っていたことを否定されたりしますから。



夫婦関係を長く維持しようと思ったら、
お互いが、相手を理解しようという気持ちを持っていないとダメですし、
そうする為には、会話することが重要だと思います。
お互いという所が凄く大切で、片方だけだと破綻します。


会社員時代は、仕事が忙しくて夫婦の会話なんて殆どありませんでした。
でも無職になってからは、暇なので、忙しい妻を捕まえて2人で雑談をすることが多くなったせいか、
以前よりも夫婦関係は良くなったような気がします。


そもそも、自分の心に余裕やゆとりが無いと
相手の話を聞いたり、相手の考えを受け入れる事って難しいです。
仕事でストレスフルな毎日を送っていたら、上手くいっていなかったような気もします。

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I子さんの元旦那様はリストラされたのか、
自主的に仕事を辞めたのか個人的に気になりますね。
もし、機会があったら聞いてみてください。
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明日、会う予定ですので聞いてみます。
先生と彼女と3人で、東京駅近くでランチです。
お酒は飲まない予定。

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夫婦関係と親子関係について ~コメントの返信を兼ねて~  

restartさん、コメントありがとうございます。

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最近わたしの身の周りでも
「旦那が失業等で収入が無くなった」時に奥さんやお子さんから極めて
ドライに容赦なく切り捨てられる事がとても多くなっていると思います。
まあ以前からそうだったのかもしれませんが、男など所詮ただの金づるなのか。。。。。
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まあ、そうでしょうね。
男などは、ただの金づるなのかもしれません。

そして、今の時代は女性でも働ける場所が沢山あります。
昔は女性の働ける仕事は限られていので、シングルで生きていくにはそれなりの覚悟が必要でしたが、
今はダメな旦那がいなくても、苦しいかもしれませんが生きていは行けます。
離婚に対して、世間も寛容になってきたので、実家に出戻りという話も良く聞きます。

だから、現代の旦那は、稼ぎが無くなって、家事もできなくて、
家庭内での地位(価値)を失ったら、容赦無く損切りでしょうね。

そういう時代なのかもしれません。


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家族、、、っていうものにすら気を許せない時代になったのでしょうか。
例えば自分の子供を見て、「この子はあまり自分になついていないから、
戦略的に考えて、この子には大学の学費など出さないで良いか」
等の思考をすることも必要になってきているのかも。。。
いや、ただのひねくれた私見です(苦笑)
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夫婦関係を考えると、
夫婦になるために結婚するのはお互いの意思ですし、離婚するのもお互いの意思です。
比較的対等な関係にあります。
そして、夫婦関係の解消は比較的簡単です。

一方、親子関係を考えると、
子供は親を選べません。
何の選択権も無いまま、両親の元に生まれて来るのです。
親か子供が欲しいと思って作ったのに対して、
子供は自分の意思とは無関係に生まれて来るのです。
親子間は対等な関係ではないですし、その関係の解消は難しいです。

そう考えると、夫婦関係は戦略的であっても良いとは思いますが、
親子関係は戦略的であるべきでは無い思います。

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今日は同窓会だけど・・・ その3  

その1、その2からの続きです。


今回の同窓会には欠席しますと、先生に言ったら、
お前が欠席する必要は無いと言われました。
しかし、私はどうしても同窓会に出席したい訳ではなかったので、
そのことについては気にしていません。



私が一番気になったのは、
何で私が殆ど付き合いの無いAに絡まれなくてはならないのかです。

だって、私が無職で働いていなくても、Aには迷惑は全くかかっていないはずです。
親ならば心配になって、小言の一つや二つは言うかもしれません。
しかし、彼は赤の他人です。

私は私なりに、無職でも他人に金を無心するでも無く生きているのです。
放っておいて欲しいです。
だれにも迷惑を掛けず、ひっそりと生きていきたいだけです。

もしかしたら、「無職」であり、働かないで生活していることを、
彼は妬んでいるのかもしれません。



彼が絡んでくるのは、ずっと昔からの事です。

45歳にもなって、まだ他人の人生に説教を垂れるような人のままなのだと。
初めは、彼に対して怒りを覚えましたが、今ある感情は憐みです。
かわいそうな人だと思います。

おそらく、彼自身も人生が苦しいのだと思います。
良い人生を送ているなら、他人のことに構っている暇はありません。



若い頃であれば、色々な人と付き合って行こうと思っていたでしょう。
Aに対しても、きちんと向き合っていたかもしれせん。
しかし、45歳になった今の友人付き合いのスタンスは、
「自分とは合わない人間は避ける」です。


仮に、Aに今回の事を怒ったとしても
彼には分からないでしょう。

Aに理解してもらおうとか、自分の考えを話そうとか、
そんなことをしても、自分の利益には全くなりません。
むしろ、Aの気分をさらに害するかもしれません。

そんな無駄なことはしたくありません。
そもそも、彼に改心させるのは私の仕事ではありません。



生きている時間は限られています。
そんな時間を、彼に使う価値は全くありません。

もう、彼とは一生会うつもりはなくなったので、
それはそれで良いことです。



私は自分にとって価値のある人としか付き合いません。

一緒にいて楽しいとか、私の話(愚痴や悩み)を聞いてくれるとか、
自分の興味のある事を話をしてくれるとか、
自分のこれからの人生に有意義なアドバイスをしてくれるとか、
Aのように、自分にとって害のある人間に構っている時間はないです。



おわり



今回のブログ、私の個人的な恨みを晴らすための
醜いブログになってしまいました。

私も生きていて嫌な思いも結構しているので、
自分のブログで、思いを吐き出すことでストレスを発散しています。

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今日は同窓会だけど・・・ その2  

その1からの続きです。


そして、今回私が同窓会の幹事をすることになり、
Aにも案内状を出したところ、私に直接電話がかかってきました。

彼は電話で「クラス会は欠席する」と言ってきました。
私は彼と一緒に飲みたく無かったので渡りに船です。
「じゃあまたの機会に」といって電話を切ろうとすると、

「お前はそれで良いのかよ」と電話口で急に怒り始めました。

私はびっくりしました。
彼とはもう6年以上会っていなので、何の事だかさっぱり分かりませんでした。
もしかしたら、Bから私が無職になって、
未だに仕事をしていないことが伝わっていたのかもしれません。



それでも、私の状況も知らないような赤の他人に、一方的に自分の生き方を非難されて、
あまりにも失礼な態度なのでこちらも頭に血が上り反論しようと思いましたが、
思い留まって黙っていると、

「お前にはまだ言いたいことが沢山ある」
「(同窓会に参加する予定の)Bに言いたいことを言っておくから聞いておけ」
と言われて、一方的に電話を切られました。



私としては、クラス会の幹事をしているだけで、
Aには出席かどうかの確認をしたいだけだったのに、
私の生き方に勝手に踏み込んできて、説教までされる。
久し振りに嫌な気持ちになりました。

訳もなく、この日は1日落ち込みました。



Bからは、Aは酒癖は良くなってきた、と聞いたけれど
説教癖は相変わらず。

それでも、彼が同窓会に来ないのだから
この出来事は忘れようと思っていました。

しかし、その数日後も、彼から何度か電話が掛かってきて、
もうAの説教なんか聞きたくはないので電話の着信を無視していました。
すると、電話が繋がら無い事に観念したようで、
こんなメールが送られてきました。

----- Original Message -----
残念でしたよ。あなたには会わない。
クラス会は行こうと思うので、Bと連絡とってやって行こうと思います。
iPhoneから送信



私、Aに会って欲しいとお願いしたことは一度も無いのに

>あなたには会わない。

これまで散々、クラス会なんかやる意味が無いと行ってきて扱き下ろしてきて、
先日、クラス会には参加しないと言っていたにも拘わらず

>クラス会は行こうと思う。

クラス会の幹事は私なのに

>Bと連絡とってやって行こうと思います。


なんか、言っていることが滅茶苦茶です。
昔はそれなりにAとは仲が良かったのですが、
彼の酒癖が悪さに嫌気が差して、
私が一方的に避けていたことを逆恨みされているのかもしれません。



まあ、こんなことがあって、
当日Aと顔を合わせたら、また嫌な気持ちになるだろうし、
そこで揉めることにでもなれば、周りの人達の気分を害するだろうと思って、
幹事でありながら、当日は欠席することにしました。

先生に事情を説明して、
他の同級生に当日の会計などの仕事をお願いして、
私は今家にいます。



今日は自宅で飲みました。
角ハイボール1杯、宝焼酎ハイボール1杯、缶酎ハイレモン


まだまだ続きますが、急に眠くなってきたので
また明日。


今回のネタは私の個人的な愚痴です。
後ろ向きな話で申し訳ないです。

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今日は同窓会だけど・・・ その1  

今日は17時から中学時代の同窓会です。
私が幹事を引き受けましたが、私は今家にいます。
出席はしません。



今年の3月末、中学時代の担任の先生と、同級生2人と
ファミリーレストラン会いました。

その時に、先生も70歳になったので、同窓会をやりたいねという話になりました。
そして、私はみんなに良い所を見せようと調子に乗って
「無職で暇なんで、クラス会の幹事やります」と安易に幹事を引き受けてしまいました。



その後、幹事は自分には向かないなと後悔しつつも、
一度引き受けてしまった事なので、みんなの住所を調べたり、メールで連絡を取ったり、
ハガキを出したりといっ面倒な作業に明け暮れていました。
結局、15名程の人と連絡がとれました。




そのうちの一人が、ハガキを出してしばらくした後、
私の携帯に直接電話を掛けてきました。
学生時代は仲の良かったAからでした。


Aとは中学を卒業後もとても仲が良かったです。
そして、もう一人Bという友人がいて、
3人で運送屋のバイトをしたり、飲みに行ったり、人生を語ったり。
1~2週間に1回ぐらいは飲んでいたと思います。


Aは高校に進学後、専門学校を卒業して、映画制作会社に就職しました。
小学生の頃から映画が好きだったので、彼の夢がかなったのしょう。
そして、カメラマンの仕事を始めました。


彼が就職して2~3年経った頃から、
なんだかAの様子がおかしくなりました。

普段はいつもと変わらないAなのですが、
お酒が入ると別人になってしまいます。

とても横柄な人間に豹変します。
人に説教したり、物に当たったり、通行人に絡んだり。

一緒に飲んでいても全然楽しく無くなりました。
そして、周りの人にも迷惑をかけるので、彼とは徐々に距離を置き始めました。

最後に会ったのは、サッカーのワールドカップをやっていた頃なので
2010年の6~7月ぐらいだったと思います。


その後も、Bを介して、また3人で飲みに行こうと誘われていたのですが、
BにはAの酒癖の悪さを理由に、飲みに行くのを断っていました。

聞くところによると、心の優しいBは、その後もずっとAと付き合っているようです。
酒癖も、以前よりは良くなったと教えてくれました。

その2につづく

これから私が夕飯の準備をするので
つづきは23時頃予定です。

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コメントへの返信  

ともさんへのコメントの返信です。


>考えさせられる言葉ですね。私も30半ば位から心の中では感じていましたが、
>気がつかないようにしていたように思います。


「我々を突き動かすものは何か?」

私は、人間の行動の原動力は欲だと思います。
お金を沢山稼いで、良い暮らしをしたいとか、

欲が原動力になって、
今まで会社員として働いてきたし、今はトレードをしています。

ただ、こういった欲が強すぎると、
自由を失うことになります。

地位やお金に縛られた生活は、
結構苦しいと感じます。
欲(欲求、欲望)と自由は相反するものです。



>今40を過ぎて、会社を辞めようか毎日悩んでいます。
>こうして悩んでるうちに今年も一年が終わってしまう季節になりましたが。。。

自らの意思で仕事を辞めるのは難しい事だと思います。

私の場合、入社2年目でストレス性の十二指腸潰瘍を患って1ヶ月休職したのですが、
その時からずっと、仕事が合わず辞めたいと思っていました。

しかし、当時は辞められなかった。

どこに行っても同じだと思っていたし、
(実際は違ったかもしれない)
会社員とはこういうものだと、諦めの境地が半分あったように思います。

自分の限界も分からなかったので、
どこまで頑張れば良いのかも分からなかった。

入社2年目で辞めることに、罪悪感があったようにも思います。


結局16年間働いて、最後は鬱になって体がどうにも動かなくなって、
休職した後に退職しました。
自らの意思で辞めたというか、半ば強制的に会社員生活が終わってしまった感じです。



先の後輩も、50代で亡くなった父親を見て、
何か感ずるところがあったのでしょう。



仕事を辞めるということは、大きな外圧なり、出来事がないと難しいです。
「どうしても、○○がやりたい」といった
前向きな理由がある場合は違うかもしれませんが。



40歳を過ぎると、それなりの条件で雇ってくれる会社も減ってくるでしょうし、
続けられるのであれば、続けた方が良いように思えます。

正直、今の私の(トレーダーという)立ち位置は、
先の事を考えると不安だらけです。
まあ、どんなことやっていても、将来は不安に感ずるのでしょうけど。


だからこそ刹那的ですが、今を楽しむしかないんですよね。
先の事を考えても仕方ないと開き直って。

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