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夢職ひきこもりトレーダーの日々

40歳で鬱で職を失い、トレードで生活費を稼いでいます。夢職です。部屋にひきこもるのが大好きです。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ、再就職はあきらめました。

巣鴨の投資家さんの話 その3  

その2 からの続きです。


■7

2006年のライブドアショック以降、
私は他の投資家さんと会うことは少なくなりました。

その理由のひとつは、私が株で利益を上げられなくなったからです。
儲かっている時は、色々な人と会って株の話をするのは楽しいのですが、
儲かっていない時は、何となくみじめな気持ちになり、人と会うのも億劫になります。

その後の2008年のリーマンショックで止めを刺され、
投資全般から遠のいたこともあって、
トレーダーさんとの交流は殆ど無くなりました。


もう一つの理由は、2012年から仕事が原因で鬱になったからです。
そして2度の休職後、仕事を失います。
2012年、2013年は投資家さんのみならず、一切の人との交流は無くなりました。
家でずっと寝ているだけの毎日が続きました。



2014年。私は鬱から回復して、職を探すことになります。
生きる気力も少し湧いてきて、少しでも生活の足しになればと、
しばらくやめていた株式投資も再開することにしました。

それを機に、久し振りに上野の専業さんにメールで連絡を取り、
仲の良かった巣鴨の専業さんと共に3人で会うことになりました。

2014年5月、日暮里谷中のルノアールで再会。
鬱であったことなど何も連絡もせず、一方的に音信不通にしてしまったという
不義理を働いたにも拘わらず、2人は私を温かく迎えてくれました。

この時は、まだ巣鴨の専業さんも元気そうでした。
お酒が好きな人で、毎日飲んでいたようですが、
人並みに嗜む程度だったと思います。



■8

「ニックさんは良い時期に具合が悪くなって、勿体ない事をしたね」
久し振りに再会した上野の専業さんは私に言いました。

2013年の第2次安倍内閣では、新たにデフレ経済を克服するために
2%のインフレターゲットが設定され、それに伴い大胆な金融緩和措置を講ずるという
金融政策が発表されました。

これにより株式相場は大きく上昇し、投資家たちに大きな利益をもたらしました。
アベノミクス相場です。

2013年、私は鬱の療養のため精神病院での3か月の入院生活を余儀なくされて、
株式投資どころではありませんでした。
上野の専業さんには「勿体ない」と言われましたが、
それは人生の巡り合わせなので仕方の無い事です。


巣鴨の専業さんは、リーマンショック以降、
個別銘柄の株式投資はスッパリとやめ、
ずっとREITの配当金を得る戦略を続けていました。

そして、このアベノミクスによる金融緩和によりREIT価格は上昇し、
2013年は3000万円を超える利益が出たそうです。
最も、REITでインカムゲインを得る戦略であるため
3000万円の利益というのは、含み益も含んでいる額です。

それでも、REITを保有するだけで生活ができるのですから、
鬱で仕事を失ったばかりの私からしたら、羨ましい限りの話でした。



■9

「毎日することが無くて暇だよ」
巣鴨の専業さんはいつも言っていました。

私も上野の専業さんも、個別銘柄を売買するスタイルなので、
9時から15時の立会中は、それほど暇ではありませんでした。
ただ、巣鴨の専業さんは、ずっとREITを保有し続け、
配当金が支払われるのを待つだけなので暇だったのでしょう。

時々、セクター内で利回りの低下した銘柄と、
利回りの高い銘柄の入れ替えをしているようでしたが、
1日中パソコンに張り付いているということはなさそうでした。


そんな巣鴨の専業さんに、どんな1日を送っているかを聞いたことがあります。
朝は10時過ぎに起きて、TVを見たり、本を読んだりして時間をつぶし、
夜になったらお酒を飲んで寝る、といった毎日を送っているようでした。
少なくとも5年前までは、人並みの生活を送っていたようです。

投資家はみんなそうだと思いますが、安く仕入れることに喜びを感じます。
良く彼は、ネットでお酒のセール品を見つけ、大量に購入していました。
焼酎、日本酒、ワインなど、アルコール度数の高いお酒を好んでいたような気がします。

あるとき、韓国のマッコリを大量に購入したらしく
毎日、マッコリを飲んでいると。
たまに焼肉屋へ行って飲む分には良いけど、毎日飲むのってどうなの?
と思ったけど、彼は酔えれば何を飲んでも良いような感じでした。


その4 に続く
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巣鴨の投資家さんの話 その2  

その1 からの続きです。


■4

証券会社を退職した巣鴨の専業さんは、その後、税理士事務所に勤め始めました。
彼が税理士を目指していたかは分かりませんが、
金融の知識を生かした転職だったようです。
意外とこういうパターンは多いようです。

証券会社を辞めたので、株式の売買の制約も無くなり、
自身で株式投資をすることもできるようになりました。
仕事をしながら株式投資をする兼業投資家生活が始まりました。


ところが、その税理士事務所も2~3年で辞めることになります。
とにかく激務だったようです。

2月~3月の確定申告の時期は、
自分の受け持つクライアントの申告書類を期日までに仕上げる必要があり、
その時期に、風邪やインフルエンザで仕事を休もうものなら、その後が大変だと。

休んでいる間は、他のメンバーが仕事をしてくれる訳ではないので、
徹夜を続けてでも仕事の遅れを挽回する必要があります。
確定申告には期日があるので、遅れは許されないのです。

そんな激務に嫌気が差してしまい、
事務所を辞めて専業投資家になることになりました。
おそらく30代後半の事だと思います。

証券会社でも、税理士事務所でも、どんな仕事でもそうですが、
働いてお金を得るというのは大変なことです。
それは投資で生活費を稼ぐということも同じです。

長く続けるためには、好きであるとか、興味があるとか、
そういう基準で仕事を選ぶしかないのでしょう。



■5

巣鴨の専業さんと初めて会ったのは2004年のことでした。
私が33歳、彼が41歳
その時、彼は既に専業投資家になっていました。
彼は今年55歳なので、専業投資家生活を14年も続けているのです。

彼は既婚歴の無い独身です。
証券会社に勤務時代、巣鴨に中古マンションを購入し、以来そこにずっと住んでいます。
だから、ここでは巣鴨の専業さんと呼んでいます。

2000年11月までITバブルと呼ばれる景気拡張期がありましたが、
そのバブルが崩壊し、2002年1月まで景気は低迷します。
これをデフレ不況と言います。

しかし、2003年ごろから、バブル崩壊後ずっと下落傾向だった地価が、
都市部を中心に回復の兆しを見せてきました。
この年は、J-REITの上場のラッシュがあったり、
不動産流動化銘柄を中心に新興市場も賑わいを見せました。


その新興市場の堅調な相場に乗って、巣鴨の専業さんの資産も、
あっと言う間に1億円を超えました。

私が現物の株式投資を始めたのは1998年からですが、
1998年~2002年までの5年間の利益の総額は10万程度でした。
(マイナス年も2度有り)

しかし、この2003年は1年間で数百万円の利益をあげることができたのです。
2003年~2005年の3年間は、みんなが儲かるような相場がしばらく続き、
夢のような時代でした。



■6

2006年1月16日、証券取引法違反容疑で、
東京地検特捜部がライブドア本社などに強制捜査を行いました。
これを受け翌1月17日は、新興市場銘柄が軒並み売られ大幅安になりました。
この株式市場の暴落をライブドアショックと言います。

これまで、上がるから買う、買うから上がると言った新興市場の好循環が
突如として逆回転を始めたのです。

巣鴨の専業さんもこの暴落に巻き込まれ、多くの資産を失ったそうです。
そして、これを機に株式の短期売買はやめることになりました。
それでも資産は1億円程度は残っていたようで、
それを元にREITでの資産運用を始めました。

REITの利回りは4%程度で、税引き後の配当は手取りで約300万円強/年の収入。
持ち家に住み、かつ独身であることから、生活に不自由することは無いようです。
元々派手な生活をするような人ではないですし。
この生活は、2018年の現在も続いているようです。



その3 に続く

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巣鴨の専業さんの話 その1  

今日は雨が降っています。
なんとなく家に一人でいると陰鬱な気持ちになりそうなので、
妻子の買い物に付いて行くことにしました。

私は特に買いたいものも無く、一緒に昼食を食べた後、
一人喫茶店に入ってブログを更新しています。

もう二度と会うことがないかもしれない、
巣鴨の専業さんの事を少し書いてみます。



■1

巣鴨の専業さんと会ったのは、今から13~14年前のことです。
インターネットの株式掲示板で知り合い、
そのオフ会で会ったのが最初だと記憶しています。

私より8歳年上の今年55歳。
元は中堅証券の対面営業をやっていました。

彼は大学卒業後、ある証券会社に入社しました。
(少し前に証券業界は合併が相次ぎましたが、まだ当時のまま残っている中堅証券です)
証券会社に就職したのは、学生時代から投資が好きだったからです。

入社したのは折しも、これからバブルが始まろうとしていた時代でした。
その当時、彼の会社のボーナス支給の算定方法は、
自分の顧客から得た売買手数料の10%(だったと思う)といったインセンティブだったので、
バブル景気時にはボーナスは軽く100万円を超えていたと言っていました。


1999年の金融ビックバン以前の株式の委託手数料は
どの証券会社でも同じで固定されていました。
(当時の大蔵省(現金融庁)が決めていた。護送船団方式
バブル景気当時は、まだインターネット環境が普及しておらず、
ネット証券も存在しなかったので、当時の委託手数料は今と比較すると高く、
売買代金にもよりますが片道で1%、往復で2%程度でした。

しかし、バブルが崩壊し、証券業界は冬の時代へと突入します。
株式投資をする人も減り、委託手数料は激減。
そんな中、投資信託などの売りたくない商品でも売らなくてはならない日々が続きます。

みんながみんなとは言いませんが、
証券マンは、客に大きな損をさせても屁とも思わないような
心臓に毛が生えたような人でないと長くは勤まりません。

巣鴨の専業さんは優しいところがあったので、
そういった商品を無理に売ることができなかったのでしょう。
早い話、投資が好きで投資知識はあても、証券営業には向かない人でした。


■2

その証券会社では、毎日朝礼があって、
営業マン一人一人の前日の売り上げがみんなの前で発表されていました。

鈴木1000万円、田中600万円、高橋300万円、巣鴨、お前はマルだ(0円のこと)
巣鴨の専業さんいわく、最後の方(退職を決意した頃)は入社1年目の新人にも
売り上げが負けていたと。


マルの日々が続くのも辛かったそうですが、それよりもっと辛いこと、
それは追証の徴収に行くことでした。

対面営業の証券マンは、追証の徴収には自身が行くことになります。
それは今も変わりないようです。
私はネット証券のように、取り立て専門の部署があるのかと思っていました。

ネット証券では、あらかじめ入金した余力の範囲でしか株式の注文はできませんが、
対面証券では、売買が約定した4営業日以内に入金すれば良いのです。

巣鴨の専用さんが勧めた株を顧客に購入させ、4営業日目になっても入金が確認できない。
その株が上がっていれば反対売買してしまえば良いのですが、
大きく下げっている。
そんな時に取り立てに行くのは辛かったそうです。

追証の徴収もそうです。
損をして信用余力が減ってしまったのですから、そんな人のところへお金を徴収しに行くのは辛い。
私でも想像がつきます。

ある証券会社では、追証を徴収しに行くことを、
支店内の隠語で「お葬式に行く」と言っているそうです。


■3

昔の証券会社は、パワハラで満ち溢れていました。
今でこそ、バックオフィスと接客ブースは分かれていますが、
昔はワンフロワーで仕切りも無く丸見えのところが殆どでした。

壁一面に大きな証券株価のボードがあって、
仕事中の証券マンも客も、同じボードを見ていました。

ある時、ある証券会社で、証券マンが上司とおぼしき人に
四季報で頭をひっぱたかれている光景に遭遇したことがあります。
当時はそんな光景はどこにでもありました。
今だったらパワハラと騒がれるでしょう。

巣鴨の専業さんの支店では、朝はみんな自分のデスクの前に立って
電話営業を始めるそうです。
そして注文を取ることができた人から順に、自分の席に座ることができる。
巣鴨の専業さんは、座ることができない日もあったそうです。

証券業界の話はありませんが、投資用マンションの電話営業で、
出社したら電話を持つ左手と電話機の受話器をガムテープで固定するといった話を
聞いたことがあります。
受話器を一瞬たりとも置くことが許されない。


今はだいぶ環境は改善されたかもしれませんが、
金融、不動産の営業だけはやりたくないです。


投資は好きだけど、お客に投資商品を売るのは好きでない。
彼は証券会社を辞めることになりました。
30代半ばのことだったと思います。

その2 に続く

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阿佐ヶ谷へ飲みに  

一昨日の水曜日、上野の専業さん、巣鴨の専業さん2人と
阿佐ヶ谷に飲みに行ってきました。

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16時 阿佐ヶ谷駅のスターバックスコーヒーに待ち合わせ
2人と会うのは3月末以来です。

コーヒーを飲みながらお互いの近況を話したり。
少し変ったことと言えば、上野の専業さんがセカンドハウスに新築のマンションを購入したそうです。

彼は独身ですし、残りの人生は好きにお金を使って行きたいと。
甥がいるので相続は彼がすることになるようですが、
現金で持っていても税金でガッポリ持っていかれる。
それならば不動産で、という算段もあるようです。

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17時 1軒目のお店「かぶら屋 阿佐ヶ谷店」へ

もつやき1本80円、煮込み130円、サワー1杯280円、どれも安いです。
値段を気にせずに飲めるのは嬉しいです。

上野の専業さんは私より20歳年上。今年68歳になります。
昔は大酒のみでした。
私がまだ30代の頃は、お酒が弱かったので、全然飲んでいないといつも怒られていました。

でもここ数年で、彼は全くと言っていいほどお酒が飲めなくなってしまいました。
このお店でもチューハイ、ウイスキーハイボールを飲んで、その後はお水を飲んでいました。

いつも沢山お酒を飲んでいた人が飲まなくなってしまう。
お互い歳を取ったとはいえ、少し寂しい気がしました。

1軒目のお店では4杯飲んで、一人2,000円でした。
上野の専業さんはここで先に帰ってしまい、巣鴨の専業さんと2人に。

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2軒目は「ぼてふりの四文屋」へ
四文屋といえば、やきとん、やきとりですが、
ここは串煮込みのお店でした。
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生ビール 350円
飲み物は全て350円です。
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本日のサービス品 100円  天然カンパチのお刺身でした。
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なす揚げびたし 150円
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浅漬二点盛り 250円
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こちの天ぷら 200円
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まぐろ竜田揚げ 180円
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最後にグレープフルーツハイ 350円

2軒目では2杯飲んで、一人1,200円でした。


巣鴨の専業さんも独身です。
昔はちゃんとトレードをしていましたが、いつからかトレードを辞めてしまい、
今は配当金や株主優待で生活しているようです。
「ザラ場」という話をしたら、懐かしい響きだと言われてしまいました。

彼の今の生活を聞くと、1日中お酒を飲んでいると言っていました。
毎日どの位飲んでいるのです?と聞いたら、焼酎の1.8Lが2日で無くなると。
ビールに換算すると、500mlのロング缶を毎日10本飲んでいることに。

一時は、お酒を飲まない日を設けたり努力もしていましたが、
今はまた元に戻ってしまったとか。
日々の記憶もあまり無く、気が付いたら週末になっているとも。

完全にアル中です。
彼の前職は証券会社の営業マンでした。
退職後、専業投資家になってガンガントレードをしていたのに、
あの頃の彼とは別人になってしまっていて・・・
そんな今の姿を見て、なんとも言えない寂しさを感じました。


2人の専業さんと付き合いは、かれこれ15年になります。
時が経てば人も変わります。

歳を取ってお酒が飲めなくなってしまった上野の専業さん、
トレードから離れて、お酒におぼれてしまった巣鴨の専業さん、
私の人生はこれからどのようになるのだろうかと、帰りの電車の中で考えてしまいました。

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中学時代の担任の先生の話  

■1

中学時代の担任の先生が手術のため入院しているので
来週の月曜日に、一人でお見舞いに行くことにしました。


■2

この先生は、私が中学3年の時の担任の先生でした。
先生とは学生時代は殆ど話をすることはありませんでした。
別に嫌な先生だった訳ではありません。
クラスのみんなに慕われていた良い先生だったと思います。
ただ、私は接点がなかっただけでした。


考えてみると、このクラスの友人ともあまり付き合いがありませんでした。
私がいじめられていたり、避けられていた訳ではありません。

このクラスは友人同士がとても仲良くて、むしろ仲間に誘ってくれていましたが、
私の方から避けていたように思います。

「みんなと仲良くしたい」「仲間に入って一緒に楽しみたい」という気持ちはあったのですが、
何となく、いつも斜に構えていました。
「私はみんなとは違うんだ」という気持ちでした。
カッコを付けていたのかもしれません。

そんな訳で、私の中学3年の時クラスは、
先生を中心にクラス全員がまとまっていたと思いますが、
私はいつも蚊帳の外でした。


■3

私が20歳を迎えた頃でしょうか、
先生の奥様が急死されました。
小さなお子さんを残して。

当時のクラスメイトは、
お葬式に参列したり、その後、残されたお子さんの面倒を見たり、
先生のことを励ましたり、色々と助けてあげたようです。

私はその時どうしていたのか?
良く覚えていません。
中学時代の友人伝手に連絡はあったと思いますが、
お葬式にも参列しなかったし、その後、先生ともお子さんとも会う事はありませんでした。
まるで他人事でした。

当時の事は、最近、先生本人や友人から聞きました。
色々と大変なことがあったとは全く知りませんでした。


■4

卒業後、先生と会ったのは数回だけしか記憶にありません。
1回は30歳を過ぎた頃に行われた中学時代の同窓会。
その時は、人数が多かったこともあって、先生と会話を交わしたかは定かではありません。

2回目は30代半ばの頃で、中学時代の友人の結婚式の時でした。
その時は、二言三言会話を交わしたと思います。
私の仕事の事(当時は会社員だった)や家族のことなど。
身の上話だったと思います。


■5

中学時代の友人とは、卒業後にも何人かと会っていましたが、
就職して実家を離れてからは殆ど会う事がなくなりました。

しかし、私が会社員時代に株の売買をやっている事を話した友人がいて、
彼も株を始めたようで、話を聞かせて欲しいと言われて、
無職になってから何度か会うようになりました。

その友人が、先生とずっと懇意にしていたこともあり、
先生に会わないかと誘われ、昨年の3月に先生の自宅近くで会いました。
私と先生と中学時代の友人2人とで、ファミリーレストランでランチを食べました。

その時に、初めて先生と色々な話をしたと思います。
鬱になって仕事を辞めてしまった話をしましたが、
トレードで生計を立てている事は、私からはあまり話はしませんでした。
でも、先生は友人伝いに聞いていて、あらかた知っているようでした。

時計屋をやっていた知り合いが、株で失敗して家族離散してしまったらしく、
私の事を心配してか、そんな事は止めた方が良いと言われたのを覚えています。


■6

そこでの再会を機に、先生とはたまにメールをしたり、電話をしたり、
時々、先生の家の近くでランチをするようになりました。

先生は既に定年されているので毎日暇のようでした。
再婚された奥様はフルタイムで働いて、
当時、まだ小さかったお子さんは結婚して家を出てしまったので
日中は一人でいるのでしょう。

私も平日は家にいるので、暇な時は先生と電話で世間話をします。
私は普段家族以外には話し相手が居ないので、
先生は有り難い存在です。


■7

そんな訳で、来週の月曜日の午後、
先生の入院している病院にお見舞いに行ってきます。

中学時代、そして卒業してからも殆ど会話を交わしたことの無かった先生のお見舞いに行くというのは
何となく不思議な感じがします。
恩師というようりも、「最近知り会って親しくなった、年上の無職の友人」といった感覚です。


妻に「無職ひきこもりトレーダーになりたい」と話をした時に、
私が社会との接点が無くなることを危惧していました。

人付き合いの苦手な私としては、この先ずっと社会との接点が無く
部屋にひきこもることに全く抵抗は無かったのですが、
常人にとっては異常なことなのでしょう。

しかし、なんだかんだ言って、否が応にも人との接点というのはできるものです。
結局は同じ境遇の人同士が、自然と繋がっていくのかな。


【おわり】

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オフ会で会った元外科医さんの話 その2  

その1からの続きです


■5

トレードの話を一通りした後、
彼に、外科医を辞めてしまったこと、そして専業トレーダーになったことを聞きました。
ストレートに、「なぜ、40歳半ばで20年近い仕事人生が残しつつ、外科医を辞めてしまったのですか?」と

彼は話しくれました。
「外科医をやっていることがつまらなくなった。」と

外科医になりたての頃は、手術の技法を色々と覚えていくそうです。
技術を習得し、日に日に成長していくことが楽しかった。
ところが10年も経つと、一通りの技法を習得してしまい、
自分の成長スピードが極端に鈍化すると言っていました。

ある程度の事が身に付くと、あとは同じ事の繰り返し。
外科医として、手術をすることがつまらなくなったと。


そして、もう一つの理由を話してくれました。
それは「がん患者を診なくてはならないこと」だと。

初めは、この言葉の意味が理解できませんでした。
外科医として、がん患者を手術するのは当たり前の事ではないか。
何が問題なのか?と

その話の続きを聞くと、がん患者に接するのが辛いということが分かりました。
本当は、がん患者を診たくない、
でも、外科医をやっている以上、それは避けられないことらしいです。

若い女性のがん患者を手術しなくてはならない。
彼女の話を聞くと、まだ小さいお子さんがいる。旦那さんもいる。
絶対に助けてあげたい。
でも、再発を繰り返して、多分この先は・・・

医者をやっていると、彼女の命があとどれくらいなのか分かるのでしょう。
全力を尽くしてやっても、報われ無い事もある。
本人が幾ら努力をしても、どうにもならない事もある。

医師という仕事は、精神的にもかなり辛い仕事のように感じました。
私なら耐えられないかもしれない。


■6

私は彼の事が嫌いでいた。
おそらくですが、このオフ会で彼から直接話を聞くまで、
彼のことを避けていたのかもしれません。

本来であれば、同じ銘柄を見ている人なので、もっと話す機会があっても良かったはずです。
でも、それはしませんでした。

彼と会って14年経ちますが、それまでに私が聞いた断片的な情報として
・トレードが好き
・外科医時代を凌ぐ利益を毎年上げている
・医師という職業を投げ打ってトレーダーになった。

人の命を救う医師という仕事よりも、お金を稼ぐトレードの方が好きなのか?
彼が金の亡者に見えました。
(これは私の、医師という仕事やトレーダーという仕事に対する偏見もあるのですが)

トレードで毎年凄い稼いでいるのを聞いていたので、嫉妬もあったのかもしれません。
だから彼のことが好きではなかったのかなと。

でも、今回色々な話を聞いて、
彼も外科医時代に、色々な苦悩があったということが十分分かりました。
自分の想像だけで、人を判断するというのは危険なことだなと身に染みて分かりました。

私自身、トレーダーとして今生きているのですが、
まわりの人からは、「楽して稼ぎやがって」と思われている節があります。
でも、トレーダーとしての辛さや大変さは沢山あります。

はっきり言って、そいう人達に言いたい。
「真剣にトレードと向き合ったことの無い奴に、何が分かるんだ!」と。

医師を辞めてまでトレーダーになった彼に対して、
家族であったり、周りの人は、何でトレーダー?と思っている人は沢山いると思います。
普通のトレーダー以上に、風当たりが強いかもしれません。

でも彼からしたら、
「外科医を勤めた事の無い奴に、何が分かるんだ」
と思っていることでしょう。


■7

2次会では、大阪のトレーダーさんも交えての話になり、
今度、彼の家で何人かでオフ会をしようという話にもなりました。

私は終電の時間もあったので、先に失礼させて頂いたのですが、
帰り際に連絡先まで教えて頂きました。

彼とは同じような銘柄を見ていて、トレードに対する考え方もとても参考になったので、
私自身がトレードに悩んだ時に、いつでも話ができたらなと思っていたので
とても有り難かったです。

私自身が一方的に嫌悪感を抱いていた人とのわだかまりが解けて、
なおかつ距離が急に縮まって。

私は大人数のオフ会は好きではないです。
何となく気恥ずかしい感じがして。
でも、今回ばかりは、参加して、彼と話ができて良かったと思いました。



おわり

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オフ会で会った元外科医さんの話 その1  

先週の土曜日はトレーダーさんとのオフ会でした。
そこで会った元外科医さんとの話を書こうと思います。
少し長くなりますので、お暇な時にお付き合い下さい。

■1

私がトレーダーになったのは、このブログでも幾度となく書いていますが、
鬱になって16年間勤めていた会社を辞め、その後再就職活動に失敗して、
生活の糧を得るために趣味の株式投資を再開したら、
なんとなく上手く行ってしまった。
ただ、それだけのことです。

自ら望んでこの世界に入った訳ではありません。
「仕方なく」と言ったら語弊があるかもしれませんが、
これしか稼ぐ手段がありませんでした。

そして、特段相場が好きでもありません。
(最近は、もしかしたら好きかもしれないと思っています)
生活費を賭けたギャンブルですから、売買はいつでも怖いです。
夜眠れない時や、食事が喉を通ら無い時すらあります。

そもそも「株なんかで生計をたてられる訳が無い」と、ずっと思っていたので、
無職ひきこもりトレーダーを4年も続けていられること自体奇跡だと思っています。

こんな幸運が長く続くはずは無い。
そのうちダメになる。そうしたらどうしよう。
いつもそんな考えが頭をよぎっています。


■2

他のトレーダーさんが、専業になられた経緯はあまり良く知りませんが興味はあります。
この世界で長く生き残っている多くのトレーダーさんに共通することは、
相場が好きということです。

相場が好きで、仕事を辞めて、この世界にどっぷり浸かって生きていきたい。
そういう人が多数派です。

先週の週末のオフ会で会った元外科医さんも、
そんな相場がとても好きな人でした。

彼と初めて会ったのは、2003年だったと思います。
当時、私は32歳、彼は40歳前後。
彼の正確な年齢は知りません。
当時はまだ現役の外科医でした。

その時、彼との会話で鮮明に覚えているのは、
「手術中も株のことが気になって仕方ない、手術をしながらずっと株のことを考えている」
という話でした。

この人、余程相場が好きなのだなと思ったのと同時に、
こんな人が手術の担当医になったら、私は嫌だなと思いました。

その後も何度かオフ会では会っているのですが、
近くに座ることも無く、彼はオフ会では人気者で、
いつも人だかりができていたので、話す機会がありませんでした。
風の噂では、彼は外科医を辞めて専業投資家になったと聞いていました。

しかし、先日のオフ会で、彼の隣の席に座ったので、
色々と話をすることができました。


■3

医師という職業は、社会的にも地位があり、収入的もトップクラスです。
誰からも羨望の眼差しで見られるステイタスのある職業です。
人の命を助けるという、社会に貢献できる素晴らしい仕事だと思っています。

そんな職を投げ打ってまで、専業投資家になるということに、
私はずっと疑問に思っていました。

彼がトレードが大好きなのは知っています。
そして、外科医時代の収入を遥かに凌ぐ利益を毎年得ていることも知っています。
でも、お金以外に何か辞めた理由があるのではと思っていました。

私はずっと、彼が外科医を辞めてまで、
トレーダーになりたかった理由を聞きたいと思っていました。


■4

彼と私の見ている銘柄は、かなり重なっている事は知っていました。
だから、オフ会の場では、トレードに対する私の考えを話したり、
彼の考えていることを聞きました。

私は日中足データを重要視しています。
監視している銘柄は、毎日、日中足データをコピー&ペーストして
データとして保存しています。

そのデータを使って、何かをする訳ではありません。
でも、何となく必要性を感じていて、判断に迷った時、
過去の類似銘柄の日中足データを見ます。

この話を彼にしたら、彼も同じ事をしていて、
重要なことだと言われてびっくりしました。

彼が言うには、数字を眺めているだけでは分から無い事があるが、
日中足データは視覚的に見れるので凄く良いと。

何となく必要性を感じていたけれど、なぜ必要かが分から無かった。
でも、視覚的に値動きを理解すると聞いて、長い間気になっていたことがやっと附に落ちました。


その2に続く

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昔、バイトで知りあった友人のこと  

■1

昨年末から、「スマホでUSEN」に加入しています。
月額490円で色々なジャンルの音楽がスマホで聞き放題です。

私の場合、朝の8:00~夕方17:00までは
部屋のBGMとしてラジオ日経を流しています。

それ以降の時間は、
監視している銘柄の株価データをダウンロードしたり、日中足データを保存したり、
その日の取り引き結果をエクセルに入力したり、といった単純作業が多いので、
作業用のBGMにUSENを流しています。

スマホからBluetoothでスピーカーに飛ばして聞くので
高音質で聞けます。
結構、気に行っています。


■2

そのUSENで、私は1980年代後半~1990年代前半
(私が15歳~25歳ぐらいだった頃)
の音楽を良く聞くのですが、その時代の出来事とか、
付き合っていた友人や彼女のこととかを鮮明に思い出し、懐かしくなります。

BARBEE BOYSの曲が流れてきて、
その歌を、カラオケで良く歌っていた友人のことを思い出したので
彼の事を少し書こうと思います。


■3

私が19歳の時、自宅近くのハンバーガーショップでアルバイトを初めました。
そして、ほぼ同じ時期に、2歳年下のフリーターの子も入ってきました。

彼は岐阜県出身で、高校を中退し、都内の親戚の家に住まわしてもらいながら、
そのハンバーガーショップでバイトを始めたそうです。
その前は、近くの喫茶店で働いていたと言っていました。

年も近かったし、彼はパチンコが好きで、ギャンブル全般も好きだったこともあり、
直ぐに意気投合し、いっしょに麻雀をしたり、
競輪場に行ったり、パチンコ屋へ行くようになりました。

その頃の私の生活は、昼間は大学で授業を受け、授業が終わるとバイトへ行く。
バイトが終わってから、0時~6時頃まで麻雀をして、
そのまま大学に行き、授業中に寝て、また夕方からバイト。
たまにバイトが休みの時や休日は、川崎、花月園の競輪場に行く、
そんな事の繰り返しの日々でした。

博打のためにバイトをするという、ギャンブル三昧の学生生活だったので、
当然のことながら学業はおろそかになり、大学2年の時に留年しそうになり、
泣く泣くバイトを辞めることにしました。

しかし、バイトを辞めてからも彼との交流は続き、
彼の岐阜の家に遊びに行き、彼の両親を交えて4人で麻雀を打ったり、
父親も大の競輪好きだったので、豊橋競輪にみんなで行ったりと、
楽しい思い出が沢山残っています。


■4

彼は当時、五反田に住んでいたので、
良く五反田駅前にあった、今は無き24時間営業の居酒屋「赤のれん」に
2人で飲みに行きました。

1階の入り口で靴を脱いで、下駄箱に靴を入れ、
階段を上がって、だだっ広い2階の大広間の座敷で、
鍋を食べながら、瓶ビールの大瓶を飲みました。
(確か、生ビールは無かったような・・・)
深夜なのに、従業員はみんな年配の女性だった事が印象に残っています。

私が20歳前後、彼が18歳前後、
その頃は、将来の夢とか希望があって、人生すごく楽しかったです。
生きることに必要なものは、何歳になっても「希望」だと思います。

当時の生活は滅茶苦茶でしたが、
親に食べさせてもらっていたし、独り身だったので、
本当の意味で、自由奔放に生きていたと思います。
楽しい時期でした。

赤のれんでは、明け方まで彼と人生について語り合いました。
彼がいつも言っていたのは、
「俺は高校を中退して、中卒だから、普通の人生は歩めない。
 このまま落ちぶれて乞食になるか、起業して一発あてるかのどっちかの人生だ。
 失うものは何も無い」と


■5

私がハンバーショップを辞めてから、半年後ぐらいに彼もバイトを辞めました。
運転免許を取得のため、しばらく実家に帰っていたようです。

その後、再上京した彼は、職を転々としていました。
パチンコ店の店員、芸能人のマネージャー、ネットワークビジネス(いわゆるねずみ講)
他にも何かやっていたかもしれません。
(※ねずみ講は、私も巻き込まれそうになって大変だった。この話も別途じっくり書きたいです)

彼には付き合っていた彼女がいて、彼女と吉祥寺で同棲をはじめた頃から、
お互いの家も遠くなってしまい、少しずつ距離が離れていきました。

私が社会人になった時は、まだ彼との付き合いはあって、
その頃彼は芸能プロダクションを起業して、社長になっていました。

彼は既に結婚していて、子供もおり、渋谷のマンションに住んでいましたが、
家賃は月50万円だと言っていました。

私は入社1年目で給料は額面で20万円そこそこ、
そして、寮費は2万円程だったので、
彼がどこか遠い世界に行ってしまったようで、寂しい気持ちになりました。
金銭感覚も全然違うし、生きている世界がお互い変わってしまったなと。


■6

その後、彼から一緒に仕事をしようという誘いを何度か受けました。
経理をやる人間がいないので、数字が得意な私に来て欲しいと。
そんな話を頂いたのですが、私は断りました。

彼の仕事を手伝えば、今の給料の倍以上は貰えるかもしれない。
しかし、起業して数年しか経っていない会社だったので、将来を考えると不安もありました。
結局、私は安定をとったのだと思います。

前の会社で、鬱になっても10年もの間、会社にしがみついていたのも
そんな下らない安定志向があったからかもしれません。


■7

お互いが社会人になってからは、自由な時間も少なくなり、
家が離れていたこともあって、めっきり会わなく無くなりました。

年賀状を交換する程度の付き合いも、
30歳を過ぎたあたりから途絶えてしまいました。
彼の住んでいた渋谷の家は、引っ越したようです。


彼が今、何をしているのか気になって、
彼の会社のことをネットで検索してみるのですが、情報は全く掴めません。

浮き沈みの激しい芸能関係の仕事だから、
今はもう廃業して、別の仕事をしているかもしれません。



■8

USENから流れてくるBARBEE BOYSの曲を聞くと、
彼と一緒に過ごした20代前半の日々を思い出し、懐かしくなりました。

また、機会があったら、彼との事を書こうと思います。
ねずみ講に巻き込まれそうになった話とか、
花月園競輪で1レースで50万当てた話とか、
岐阜の柳川瀬で飲み明かした話とか・・・


終わり

category: 友人

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友達に働けってしつこく言われて困った  

毎年1月に大学時代の友人と新年会を開催しています。
今年は大阪に単身赴任している友人の都合もあって、
2月下旬の開催になりました。

そして、友人のうちの一人は
この4月からタイに赴任するとのこと。
一度赴任すると、5年は日本に帰ってこれないと言っていました。

それなりの規模の会社だと、
給料もいいだろうし、安定しているだろうけれど、
あちこち転勤があって大変だなと思いました。

私なんかは、一生トレードルームで生きていくのでしょう。
転勤も無く、自分の気にいった部屋が仕事場というのは
本当に恵まれていると思います。
なにより通勤が無いのが良いです。



それはさておいて本題に。

毎年、大学時代の友人との新年会は、
私を含めて6名でやっているのですが、
今年は新たに2名が加わって8名となりました。

これまでの6人は、私が前職で鬱になって仕事を失い、
妻が働きに出て、専業主夫としてやっている話をしています。
そして、彼らは私の事を暖かく見守ってくれていました。


ところが、今回新たに参加した一人の友人に、
45歳で専業主夫なんてありえない。
お前は働いた方が良いと、何度も言われて参ってしまいました。


働かないって、そんなに悪い事なのかな?
我が家の場合、妻が働いているわけだし、
家族が納得していれば、何の問題も無い筈。

なんで、赤の他人にそんなことを言われ無くてはならないのかと
本当に悲しい気持ちになりました。

私だって、好き好んでこの世界に入った訳ではなく、
鬱になって仕事を失い、何とか自分に生きられる道を探しあてて
暮らしている。

こんな生き方して、他人に認められたいとは思っていない。
ただ、誰にも干渉されずに生きていきたい。
放っておいて欲しいのです。



良い年して働かないって、ダメなことなのかな?
私の場合、妻が働いて、資産もあってそれを切り崩して生活しているので、
親や親戚に頼ること無く、誰にも迷惑をかけていないのに。

45歳という働き盛りの年齢が原因なのだろうか?
15年後、みんなが60歳になって定年を迎え、
同じ境遇になったら時だったら、こんなに責められることは無いと思うけど。



穿った見方だけど、結局妬まれているのかな?と思ったりして、
久し振りに嫌な気分になりました。

友達付き合いって本当に難しい。
こんなことがあると、益々人嫌いになってしまう。
「一人が一番」と改めて思ったよ。

category: 友人

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中学時代の担任の先生の話  

明日の事をサラサラっと書こうと思ったけど、
書いているうちに超大作になってしまいました。

途中の部分は先生の人となりが書いてあるので省いても大丈夫です。
お忙しい方は初めと終わりだけで。
お暇な時に。



中学時代の担任の先生(70歳男性)から
「都内に来る機会がありましたら、一度会いましょう」と昨日メールが来ました。

私は毎日暇なので
「いつでも暇ですので、先生の都合の付く時に」と今日返信をしたら、
明日、2人でランチを食べに行くことになりました。


----------以下、中略可能 下に続く------------

中学時代の担任の先生は、人間味のあるとても良い先生でした。

私の中学校は、当時は結構荒れていて、
学校の校舎の裏で生徒が煙草を吸っていたり、トイレの扉が壊されて無かったり、
1つ上の学年の卒業式にはパトカーが待機していたりと、
一触即発の緊張感のある学校でした。
当時は校内暴力という言葉を良く聞きましたが、今は全く聞かなくなりました。

いわゆる不良と呼ばれるような生徒が学年に10人位いて、
多くの先生たちは、彼らを恐れて悪事に対しても見て見ぬふりをしたり、
一部の男性教師が、力で押さえつけるような指導を行っていました。

しかし、私の担任の先生は、そんな不良たちに対しても対等に付き合っていて、
彼らからも一目置かれるような先生でした。
おそらく、不良たちの話にちゃんと耳を傾けていたのだと思います。

だからといって、不良たちに迎合するようなことは無く、
ニヤニヤと彼らに近づいては、さりげなくポケットを触り、
煙草を持っていないかのチェックをやっていました。


出来の良い生徒、普通の生徒、荒くれている生徒を
別け隔てること無く接してくれたので、
卒業後も先生を慕い、親交を続けている生徒が数多くいるようです。

しかし、私と先生との卒業後の付き合いは全く無く、
中学を卒業後に会ったのは、
15年程前に行われたクラス会と、10年程前の友人の結婚式の2度しか記憶がありません。

そして、その2度とも、先生と会話を殆ど交わさなかったと思います。
別に先生の事を嫌いだった訳ではないのですが、
特に話すことも無かったし、話たいとも思わなかったし、
そもそも先生は人気者で、いつも周りに沢山の人がおり、
私が話す機会はありませんでした。


ところが、昨年の3月に、中学時代の同級生とクラス会の話になって、
その同級生が先生との親交が深かったこともあり、
そんな縁から先生と再び会う事となりました。


クラス会の幹事をやっていたこともあり、
電話やメールが良く来るようになりました。

------------以下、本文に戻る------------

先生はとても話が好きです。
大体、午前の10時頃に電話が掛かってることが多いのですが、
平気で1時間位話に付き合わされます。
トレードが忙しくても無碍にできず、電話を切ることができません。

5分や10分で済まないことが分かってきたので、
最近は、忙しい時には電話に出ないようにしています。


話の内容は、他愛も無い日常会話です。
先生の趣味は無線です。私は無線はやりません。
あと、料理教室に通っています。
そこのメンバーの話を良く聞きます。
車も好きです。
昔住んでいた海外の話も良く聞きます。
それと中学時代の生徒の話です。
私の同級生の話もしませすが、これまで受け持った生徒の卒業後の話。
例えば、海外で活躍している人とか、起業して社長やっている人とか、
事件を起こして刑務所に服役中の人とか。
こんな雑談を永延としています。


前回は去年の11月頃にもう一人の同級生と会ったのですが、
11時前に会って17時前に解散するまでの約6時間の間、
先生が一人でずっとしゃべっていました。

まあ、こっちは何も考えず、色々な話を聞いているだけなので
楽と言えば楽なのですが。


先生は70歳です。
学校を定年退職して10年経ち、今は無職で、奥さんは働いているようなので、
日中は暇を持て余しているのかなと・・・
だから、無職で暇な(と思われている)私は、打ってつけの話し相手なのかもしれません。


ちなみに先生には、私が鬱で4年前に退職している話はしています。
今は妻が働きに出ていて生計を立てており、
私は専業主夫をやりつつ、暇潰しにトレードで小遣い稼ぎをしている
と言ってあるので、ザラ場中でも平気で長電話を掛けてきます。


ということで、明日の前場の寄りだけ見て、10時頃から外出します。
後場は完全にお休みです。

category: 友人

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高校時代の同級生の話  

一昨年に高校時代の同窓会があって、
その時に知ったのですが、
高校時代、同じクラスだった同級生が、
上場企業の社長をやっていたみたいです。
今は会長なんですけど。


上場企業の社長といっても、叩き上げで社長になったのでは無くて、
同族会社なので、そのまま引き継いだ形です。

経歴を見たら、大学卒業後、大手都銀に入行して、
父親が経営している企業に戻って、
営業などの実務に就いた後に、副社長、社長、会長といった感じのようです。



高校時代の彼の印象は、比較的大人しくて、
サッカー部に入っていて、スポーツマンといった感じでした。

勉強はできる方ではなくて、話していても頭が切れるとは思わなかったかな。
だから尚更、なぜ社長?そんなことできるの?
と、当人には大変失礼ではありますが、思ってしまいました。

鬱になって失職し、今は無職ひきこもりである同級生の私に、
そんな事、言われたくないと思いますが・・・
ゴメンなさい。


彼はあまり威張ることも無く、身なりも派手ではありませんでした。
だから、彼の家がそんな家だとは思いませんでした。




何で突然、こんな事を書いたかというと、
EDINETを見ていたら、彼が持ち株を売りに出しているみたいで、
計算したら何億も入って来るようです。

上場企業って開示義務があるから、
彼の事を知っている、同級生とか、知人とか、会社の人とかに、
そういった懐具合を知られてしまうのって、何だか可哀想だなと。


その会社のここ何年かの業績を調べて見たけれど、
ずっと芳しくなくて、彼も相当苦労していたはずです。

あんまりガツガツした人ではなかったし、
声も大きな方では無く、比較的大人しい人だったので、
社長業は大変だったのではないかなと、他人事ながら思ってしまいました。



経営権も手放す様なので、会長職も辞めるだろうし、
創業者利得で得たお金で、新しい事業でも起こすのかもしれないけど、
これからの人生、好きな事をやったら彼も幸せなんじゃないかなと、
ふと思いました。


上場企業の社長を父親から引き継ぐのって、人によっては羨ましく思うかもしれないけど、
そのプレッシャーは計り知れないものだと思います。


無職ひきこもりトレーダーの私はお気楽ですよ。
少なくとも私の家族以外、他人の人生は引き受けていないので。

category: 友人

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結婚と離婚について ~コメントの返信を兼ねて~  

ともさん、コメントありがとうございます。

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結婚て何なのか考えさせられますね。
私も離婚を経験しており、離婚のストレス、仕事のストレスが重なって
鬱になって休職した事があります。
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結婚とは何かって、難しいですね。
結婚の一番の目的は、種の保存という動機で、
人間の本能的な部分なのでしょうが、それはここでは置いておくとして・・・

結婚とは、好きな人と一緒に居たいという気持ちがあって入籍して、
結婚生活とは、お互いが一緒に生活していく上で、経済的、精神的に
補完しあう関係が続いている状態の事を言うのかな。
この関係が壊れて、修復不可能になると離婚となります。

離婚の原因は、経済的な問題、不貞を働いたなど異性関係の問題、
価値観の相違、DVなどの暴力、嫁姑問題など親戚間の関係などですか?


そうならないように、結婚する前の付き合いの段階で、
相手をちゃんと見極めて、と言う人が多いのですが、

自分自身を鑑みてみると、結婚前に妻とは4年間付き合いましたが、
妻の考えや価値感について、結婚してから初めて知ったという事の方が多かったと思います。
そもそも付き合っているうちは、自分の都合の悪い部分はお互い隠しますから。

だから結婚後に、相手の価値感(考え)と、自分の価値観を融合させる作業が必要になるのですが、
これが辛い。
自分が正しいと思っていたことを否定されたりしますから。



夫婦関係を長く維持しようと思ったら、
お互いが、相手を理解しようという気持ちを持っていないとダメですし、
そうする為には、会話することが重要だと思います。
お互いという所が凄く大切で、片方だけだと破綻します。


会社員時代は、仕事が忙しくて夫婦の会話なんて殆どありませんでした。
でも無職になってからは、暇なので、忙しい妻を捕まえて2人で雑談をすることが多くなったせいか、
以前よりも夫婦関係は良くなったような気がします。


そもそも、自分の心に余裕やゆとりが無いと
相手の話を聞いたり、相手の考えを受け入れる事って難しいです。
仕事でストレスフルな毎日を送っていたら、上手くいっていなかったような気もします。

-----------------------------------------------------
I子さんの元旦那様はリストラされたのか、
自主的に仕事を辞めたのか個人的に気になりますね。
もし、機会があったら聞いてみてください。
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明日、会う予定ですので聞いてみます。
先生と彼女と3人で、東京駅近くでランチです。
お酒は飲まない予定。

category: 友人

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夫婦関係と親子関係について ~コメントの返信を兼ねて~  

restartさん、コメントありがとうございます。

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最近わたしの身の周りでも
「旦那が失業等で収入が無くなった」時に奥さんやお子さんから極めて
ドライに容赦なく切り捨てられる事がとても多くなっていると思います。
まあ以前からそうだったのかもしれませんが、男など所詮ただの金づるなのか。。。。。
-----------------------------------------------------

まあ、そうでしょうね。
男などは、ただの金づるなのかもしれません。

そして、今の時代は女性でも働ける場所が沢山あります。
昔は女性の働ける仕事は限られていので、シングルで生きていくにはそれなりの覚悟が必要でしたが、
今はダメな旦那がいなくても、苦しいかもしれませんが生きていは行けます。
離婚に対して、世間も寛容になってきたので、実家に出戻りという話も良く聞きます。

だから、現代の旦那は、稼ぎが無くなって、家事もできなくて、
家庭内での地位(価値)を失ったら、容赦無く損切りでしょうね。

そういう時代なのかもしれません。


-----------------------------------------------------
家族、、、っていうものにすら気を許せない時代になったのでしょうか。
例えば自分の子供を見て、「この子はあまり自分になついていないから、
戦略的に考えて、この子には大学の学費など出さないで良いか」
等の思考をすることも必要になってきているのかも。。。
いや、ただのひねくれた私見です(苦笑)
-----------------------------------------------------

夫婦関係を考えると、
夫婦になるために結婚するのはお互いの意思ですし、離婚するのもお互いの意思です。
比較的対等な関係にあります。
そして、夫婦関係の解消は比較的簡単です。

一方、親子関係を考えると、
子供は親を選べません。
何の選択権も無いまま、両親の元に生まれて来るのです。
親か子供が欲しいと思って作ったのに対して、
子供は自分の意思とは無関係に生まれて来るのです。
親子間は対等な関係ではないですし、その関係の解消は難しいです。

そう考えると、夫婦関係は戦略的であっても良いとは思いますが、
親子関係は戦略的であるべきでは無い思います。

category: 友人

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今日は同窓会だけど・・・ その3  

その1、その2からの続きです。


今回の同窓会には欠席しますと、先生に言ったら、
お前が欠席する必要は無いと言われました。
しかし、私はどうしても同窓会に出席したい訳ではなかったので、
そのことについては気にしていません。



私が一番気になったのは、
何で私が殆ど付き合いの無いAに絡まれなくてはならないのかです。

だって、私が無職で働いていなくても、Aには迷惑は全くかかっていないはずです。
親ならば心配になって、小言の一つや二つは言うかもしれません。
しかし、彼は赤の他人です。

私は私なりに、無職でも他人に金を無心するでも無く生きているのです。
放っておいて欲しいです。
だれにも迷惑を掛けず、ひっそりと生きていきたいだけです。

もしかしたら、「無職」であり、働かないで生活していることを、
彼は妬んでいるのかもしれません。



彼が絡んでくるのは、ずっと昔からの事です。

45歳にもなって、まだ他人の人生に説教を垂れるような人のままなのだと。
初めは、彼に対して怒りを覚えましたが、今ある感情は憐みです。
かわいそうな人だと思います。

おそらく、彼自身も人生が苦しいのだと思います。
良い人生を送ているなら、他人のことに構っている暇はありません。



若い頃であれば、色々な人と付き合って行こうと思っていたでしょう。
Aに対しても、きちんと向き合っていたかもしれせん。
しかし、45歳になった今の友人付き合いのスタンスは、
「自分とは合わない人間は避ける」です。


仮に、Aに今回の事を怒ったとしても
彼には分からないでしょう。

Aに理解してもらおうとか、自分の考えを話そうとか、
そんなことをしても、自分の利益には全くなりません。
むしろ、Aの気分をさらに害するかもしれません。

そんな無駄なことはしたくありません。
そもそも、彼に改心させるのは私の仕事ではありません。



生きている時間は限られています。
そんな時間を、彼に使う価値は全くありません。

もう、彼とは一生会うつもりはなくなったので、
それはそれで良いことです。



私は自分にとって価値のある人としか付き合いません。

一緒にいて楽しいとか、私の話(愚痴や悩み)を聞いてくれるとか、
自分の興味のある事を話をしてくれるとか、
自分のこれからの人生に有意義なアドバイスをしてくれるとか、
Aのように、自分にとって害のある人間に構っている時間はないです。



おわり



今回のブログ、私の個人的な恨みを晴らすための
醜いブログになってしまいました。

私も生きていて嫌な思いも結構しているので、
自分のブログで、思いを吐き出すことでストレスを発散しています。

category: 友人

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今日は同窓会だけど・・・ その2  

その1からの続きです。


そして、今回私が同窓会の幹事をすることになり、
Aにも案内状を出したところ、私に直接電話がかかってきました。

彼は電話で「クラス会は欠席する」と言ってきました。
私は彼と一緒に飲みたく無かったので渡りに船です。
「じゃあまたの機会に」といって電話を切ろうとすると、

「お前はそれで良いのかよ」と電話口で急に怒り始めました。

私はびっくりしました。
彼とはもう6年以上会っていなので、何の事だかさっぱり分かりませんでした。
もしかしたら、Bから私が無職になって、
未だに仕事をしていないことが伝わっていたのかもしれません。



それでも、私の状況も知らないような赤の他人に、一方的に自分の生き方を非難されて、
あまりにも失礼な態度なのでこちらも頭に血が上り反論しようと思いましたが、
思い留まって黙っていると、

「お前にはまだ言いたいことが沢山ある」
「(同窓会に参加する予定の)Bに言いたいことを言っておくから聞いておけ」
と言われて、一方的に電話を切られました。



私としては、クラス会の幹事をしているだけで、
Aには出席かどうかの確認をしたいだけだったのに、
私の生き方に勝手に踏み込んできて、説教までされる。
久し振りに嫌な気持ちになりました。

訳もなく、この日は1日落ち込みました。



Bからは、Aは酒癖は良くなってきた、と聞いたけれど
説教癖は相変わらず。

それでも、彼が同窓会に来ないのだから
この出来事は忘れようと思っていました。

しかし、その数日後も、彼から何度か電話が掛かってきて、
もうAの説教なんか聞きたくはないので電話の着信を無視していました。
すると、電話が繋がら無い事に観念したようで、
こんなメールが送られてきました。

----- Original Message -----
残念でしたよ。あなたには会わない。
クラス会は行こうと思うので、Bと連絡とってやって行こうと思います。
iPhoneから送信



私、Aに会って欲しいとお願いしたことは一度も無いのに

>あなたには会わない。

これまで散々、クラス会なんかやる意味が無いと行ってきて扱き下ろしてきて、
先日、クラス会には参加しないと言っていたにも拘わらず

>クラス会は行こうと思う。

クラス会の幹事は私なのに

>Bと連絡とってやって行こうと思います。


なんか、言っていることが滅茶苦茶です。
昔はそれなりにAとは仲が良かったのですが、
彼の酒癖が悪さに嫌気が差して、
私が一方的に避けていたことを逆恨みされているのかもしれません。



まあ、こんなことがあって、
当日Aと顔を合わせたら、また嫌な気持ちになるだろうし、
そこで揉めることにでもなれば、周りの人達の気分を害するだろうと思って、
幹事でありながら、当日は欠席することにしました。

先生に事情を説明して、
他の同級生に当日の会計などの仕事をお願いして、
私は今家にいます。



今日は自宅で飲みました。
角ハイボール1杯、宝焼酎ハイボール1杯、缶酎ハイレモン


まだまだ続きますが、急に眠くなってきたので
また明日。


今回のネタは私の個人的な愚痴です。
後ろ向きな話で申し訳ないです。

category: 友人

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今日は同窓会だけど・・・ その1  

今日は17時から中学時代の同窓会です。
私が幹事を引き受けましたが、私は今家にいます。
出席はしません。



今年の3月末、中学時代の担任の先生と、同級生2人と
ファミリーレストラン会いました。

その時に、先生も70歳になったので、同窓会をやりたいねという話になりました。
そして、私はみんなに良い所を見せようと調子に乗って
「無職で暇なんで、クラス会の幹事やります」と安易に幹事を引き受けてしまいました。



その後、幹事は自分には向かないなと後悔しつつも、
一度引き受けてしまった事なので、みんなの住所を調べたり、メールで連絡を取ったり、
ハガキを出したりといっ面倒な作業に明け暮れていました。
結局、15名程の人と連絡がとれました。




そのうちの一人が、ハガキを出してしばらくした後、
私の携帯に直接電話を掛けてきました。
学生時代は仲の良かったAからでした。


Aとは中学を卒業後もとても仲が良かったです。
そして、もう一人Bという友人がいて、
3人で運送屋のバイトをしたり、飲みに行ったり、人生を語ったり。
1~2週間に1回ぐらいは飲んでいたと思います。


Aは高校に進学後、専門学校を卒業して、映画制作会社に就職しました。
小学生の頃から映画が好きだったので、彼の夢がかなったのしょう。
そして、カメラマンの仕事を始めました。


彼が就職して2~3年経った頃から、
なんだかAの様子がおかしくなりました。

普段はいつもと変わらないAなのですが、
お酒が入ると別人になってしまいます。

とても横柄な人間に豹変します。
人に説教したり、物に当たったり、通行人に絡んだり。

一緒に飲んでいても全然楽しく無くなりました。
そして、周りの人にも迷惑をかけるので、彼とは徐々に距離を置き始めました。

最後に会ったのは、サッカーのワールドカップをやっていた頃なので
2010年の6~7月ぐらいだったと思います。


その後も、Bを介して、また3人で飲みに行こうと誘われていたのですが、
BにはAの酒癖の悪さを理由に、飲みに行くのを断っていました。

聞くところによると、心の優しいBは、その後もずっとAと付き合っているようです。
酒癖も、以前よりは良くなったと教えてくれました。

その2につづく

これから私が夕飯の準備をするので
つづきは23時頃予定です。

category: 友人

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コメントへの返信  

ともさんへのコメントの返信です。


>考えさせられる言葉ですね。私も30半ば位から心の中では感じていましたが、
>気がつかないようにしていたように思います。


「我々を突き動かすものは何か?」

私は、人間の行動の原動力は欲だと思います。
お金を沢山稼いで、良い暮らしをしたいとか、

欲が原動力になって、
今まで会社員として働いてきたし、今はトレードをしています。

ただ、こういった欲が強すぎると、
自由を失うことになります。

地位やお金に縛られた生活は、
結構苦しいと感じます。
欲(欲求、欲望)と自由は相反するものです。



>今40を過ぎて、会社を辞めようか毎日悩んでいます。
>こうして悩んでるうちに今年も一年が終わってしまう季節になりましたが。。。

自らの意思で仕事を辞めるのは難しい事だと思います。

私の場合、入社2年目でストレス性の十二指腸潰瘍を患って1ヶ月休職したのですが、
その時からずっと、仕事が合わず辞めたいと思っていました。

しかし、当時は辞められなかった。

どこに行っても同じだと思っていたし、
(実際は違ったかもしれない)
会社員とはこういうものだと、諦めの境地が半分あったように思います。

自分の限界も分からなかったので、
どこまで頑張れば良いのかも分からなかった。

入社2年目で辞めることに、罪悪感があったようにも思います。


結局16年間働いて、最後は鬱になって体がどうにも動かなくなって、
休職した後に退職しました。
自らの意思で辞めたというか、半ば強制的に会社員生活が終わってしまった感じです。



先の後輩も、50代で亡くなった父親を見て、
何か感ずるところがあったのでしょう。



仕事を辞めるということは、大きな外圧なり、出来事がないと難しいです。
「どうしても、○○がやりたい」といった
前向きな理由がある場合は違うかもしれませんが。



40歳を過ぎると、それなりの条件で雇ってくれる会社も減ってくるでしょうし、
続けられるのであれば、続けた方が良いように思えます。

正直、今の私の(トレーダーという)立ち位置は、
先の事を考えると不安だらけです。
まあ、どんなことやっていても、将来は不安に感ずるのでしょうけど。


だからこそ刹那的ですが、今を楽しむしかないんですよね。
先の事を考えても仕方ないと開き直って。

category: 友人

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我々を突き動かすものは何か?  

「我々を突き動かすものは何か?」
会社員時代、後輩が良く仕事中に呟いていた言葉です。

今日は会社員時代の後輩の話を書きます。


■(1)

私が30代半ばの頃、同じ部署に新入社員が入ってきました。

彼は、有名国立大学の大学院出身で、
とても頭の良い若者でした。

彼は哲学が好きだのでしょうか?
会話の中で良く
「我々を突き動かすものは何か?」
ということを言っていました。

その時は、何も感ずるものがありませんでしたが、
無職になってから、十年ほど前に彼が呟いていた言葉が時々脳裏に浮かびます。



■(2)

その彼、有名国立大学の大学院を出ていただけあって、
頭はとても良かったのです。
しかし、上司とは良く衝突していました。

直属の上司の課長と衝突して、
仲裁に入った、部門長の部長と更に衝突して。

同僚とは比較的仲が良かったと思います。
上から指示されることを嫌っていたのかもしれません。

会社員は、頭が良いだけではではダメなんだなと思いました。
もちろん、人当たりが良いだけでもいけません。

仕事もできて、人間的にも魅力がある。
そいう人が上に上がって行くのでしょう。
総合力が求められるのです。


■(3)

その彼は、仕事も好きじゃなかったように思います。
いつも悩んでいるように見えました。
そして、上司との衝突を繰り返す。

入社して3~4年経った頃でしょうか、
精神科に掛かります。

当時は、私も精神科に掛かっていたので、
彼とは良く、どんな薬を飲んでいるか、どんな薬が効くか、といった
精神薬談義に花を咲かせていました。

同じ精神科に掛かっていたこともあって、
先生の話とか、待合室で見かけた患者さんの話とか・・・


そして、彼は仕事に行き詰まり、休職することになります。



■(4)

彼は半年ほど休職しました。
そして、復職してからの彼は別人のようでした。

入社してからは、いつも遅くまで残って仕事をしていたのですが、
復職後は、人目もはばからず、さっさと定時で帰宅するようになりました。
あれ?どうしちゃったの?と、みんなびっくりしていました。

仕事に楽しみや生きがいを求めない。
お金の為だけに働くと、割り切っているようにも見えました。



■(5)

そんな生活が1年程続いた頃でしょうか。
ある日突然、彼のお父様が亡くなります。
膵臓がんだったようです。

彼のお父様は、上場企業にお勤めで、
役員になることが内定していたと言っていました。

一生懸命働いて、人生を会社に捧げても、
亡くなってしまえば、それで終わりです。

彼はヘビースモーカーで、1日2箱ぐらいタバコを吸っていましたが、
それをスパッと止めて、お酒も止めて、
どうしてだろう?と当時は不思議に思っていました。

あとから気が付いたのですが、
煙草もお酒も、膵臓がんの危険因子だったのです。
彼はまだ、自分の人生を楽しみたかったのでしょう。



■(6)

それからしばらくして、彼は仕事を辞めました。
私のように、鬱になって仕事に行けなくなって辞めたのでは無く、
とても元気だったけど、新しい事を始めたいといって辞めました。

当時、彼は30歳前後だったと思いますが、
お金の為だけに、ただただ会社に通うことに虚しさを感じていたのでしょう。

それに、50代で亡くなったお父様を目の当たりにして、、
生きているうちに、人生を楽しまなくてはならないと思ったのでしょう。


仕事を辞めることになって、彼の送別会をしました。
送別会では、次の仕事は決まっていないと言っていました。
しばらくは無職になって、この先の人生のことをゆっくりと考えると。



■(7)

その後、風の噂で、彼は出版社に勤めていると聞きました。
本が好きな若者だったので、彼には合っていたと思います。

彼が、今どこで何をしているかは分かりません。

彼が時々呟いていた
「我々を突き動かすものは何か?」
という言葉を、時々懐かしく思い出します。


おわり

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人付き合いについて  

■クラス会の幹事を引き受けて後悔

今年の3月末に、中学時代の担任の先生と会った時に、
懐かしさの勢いで、
「無職で暇なんで、クラス会の幹事やります」なんて軽口を叩いてしまい、
今、大変なことになっています。


今月はじめに先生と会って、11月初旬に開催が決定して、
私一人で会場を探したり、クラスのメンバーに連絡をしたり、
とても大変です。


担任の先生は、
「クラス会は毎年やろう」
「君に、来年も是非幹事をお願いしたい」
と囃し立ててきますが、
今年限りで幹事はお断りしよう思います。

最も、クラス会すらも、当分参加しなくても良いかなと思っています。
クラス会なんで、たまにやるから面白いのです。



■大勢の人と会うのは苦手

これは、仕事を辞めて、無職になってから分かったことなのですが、
私は人付き合いが苦手です。

ただ、全く苦手という事は無くて、
1対1の付き合いだとか、1対2ぐらいまでの付き合いだと
なんとかなるような感じです。


ダメなのが、大勢の人と接しなくてはならない時です。
学生時代の、クラスや班単位での団体行動とか、
会社員時代の、プロジェクトなど他部署と一緒に仕事をする時とか、
かなりきつかった印象があります。


なんというか、
大勢の人達の中にいると、自分が埋もれてしまうというか、
主張したいことを、主張できないというか、
とても居心地が悪いです。

大勢の人達の輪の中に入っても溶け込めない。
だからといって、一人でぽつんとしているのは、バツが悪いというか気恥ずかしい。
だから、大勢の人の集まりは苦手です。

トレーダーは一人で完結できる仕事なので
正にうってつけです。


は~
なんで、クラス会の幹事なんて引き受けたのだろう。
大後悔です。



■1対1の付き合いの良さ

基本、私は人嫌いなのですが、
(正しくは、人の集団の中に入って、付き合いを継続していく事が苦手)
1対1で人と話をするのは大好きです。

その人が何をどう考えているのか?興味があります。
世の中には色々な人がいて、色々な考えを持っている。
自分の気付いていない(知らない)ことを知りたい。

本を読むのと同じような感覚で
人と会っているような気がします。



例えばですが、1対1で会う人が

 【無職なの人なら】
  ・無職生活についてどう考えているのか?
  ・1日の生活の仕方
  ・無職で楽しいと思うこと、辛いと思うこと
  ・無職になってからの、まわりの人の反応は。
  ・今後の目標や、希望について。

 【トレーダーなら】
  ・どういった銘柄を売買しているのか
  (ここから、おおまかな手法は推測できます)
  ・大儲けした時の話、大損した時の話
  ・トレーダーをしていて、周囲の人の反応は
  ・トレーダーで辛い事、楽しいこと
  ・お金を何に使っているのか?
  ・死ぬまでトレードを続けるつもりなのか?
  ・トレードをしている時以外は何をしているのか?
  ・トレードは好きか? 辞めたいと思った事はないのか?

 【会社員なら】
  ・仕事の大変な事、楽しいと思う事は何か?
  ・仕事のやりがいとは?
  ・1日どのくらい働いているのか?
  ・仕事を辞めたら何がしたのか?
  ・転職は考えたことがあるか?
  ・転職しているのなら、どんな仕事(会社)が楽しかったか

といったような事を聞いてみたいです。
もちろん、私自身思っていること、考えていることも交えてです。

基本的には、プライベートの事には踏み込まないように注意していますが
それでも、お酒を飲んで酔ってくると、興味から聞いてしまったりします。


とにかく、1対1であれば、
自分の事もゆっくり話せるし、相手の話も聞けるし、相手に随時質問もできるし、
話に割って来るような第三者もいない訳ですから、
私にとっては、とても話しやすいのです。



一方で、大勢の人との会話だと、
上っ面だけの世間話しかできません。

また、沢山の人の前では、みんな自分の弱みなど出せるはずも無く
見栄を張るような自慢話ばかりになってしまいます。

だから、1対1で会った方が、本音で色々な話ができて
有意義だと思うのですが・・・



は~
クラス会の幹事、憂鬱だわ。

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友人のこと  

この秋に、中学時代のクラス会があり、
その幹事を私が引き受けることになりました。

その打ち合わせのため
週末、中学時代の同級生と会って来ました。



その飲み会で、久し振りに嫌な思いをしたので
もう、彼らと付き合うのはやめようと思いました。
(といっても嫌だったのはそのうちの一人ですが)

彼は私と二人で飲むときは、そんなに悪い印象はないのですが、
大人数になると大抵ダメです。
調子に乗り過ぎるのですかね。


秋のクラス会の幹事もやめたいですが、
先生も楽しみにしていて、一度引き受けた事なので
そこは責任を持ってやろうと思います。



私が嫌いな人間は
・嘘を付く
・横柄な態度を取る(店の店員や、友人に対して)
・お金にルーズ、お金をたかる
・人や物に暴力を振るう
・人の悪口ばかり言う

こうったことが原因で、疎遠になった友人は
パッと思い浮かべると3名

その3人とも、そこそこ深い仲の友人でした。
深く付き合うと、甘えもあったりして、その人の本質が出てくるのかもしれません。
その3名とも、その後の付き合いは全く無くなりました。



無職なってからは、人付き合いが殆ど無くなり、
友人の存在は貴重ですが、
嫌な思いをしてまで人と付き合う気持ちは毛頭ありません。

良く、飲みに誘って来る友人だったので、
むしろ煩わしさが無くなって良かったなと思います。


あとは、秋にクラス会をやったら
スッパリと縁を切ろう。

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