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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

なぜ人生はこんなにもつまらないのですか?  

7月に入ってからお酒は控えています。
あまり暑くないので喉も乾きません。
でも、焼肉でも食べながら、冷たいビールをグビグビ飲みたいです。


今日からまた一週間が始まりました。
退屈な毎日を送っています。
平日はおろか、土日も働いていません。
家に居るときは本を読んでいる時間が多いです。

普通の(贅沢をしない)生活を送る分には、金銭的には差し迫った状況ではありません。
社会に出ていない、人との接触がないのでストレスはありません。
こういった状況が不幸であるとはとても思えません。
働いている時の方が悲惨でした。

でも、詰まらない。満足感がない。


この閉塞感はなんだろう?といつも考えていました。
トレードをしていた時はとても刺激的な毎日で充実していたのに・・・
ネットで面白い考えがありました。
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普通の日々を送れることが幸せであり、そこに居心地の良さを感じているのなら
変化を求める必要がない。
つまり、居心地の良い現状のままで何もする必要がないから退屈になる。
変化を求めるならば、色々な刺激に反応しなくてはならないから、
それは退屈ではないけれど、あえて居心地が良い環境から離れることになり
合理的ではない。
だから、居心地の良さと人生のつまらなさは両立するのです。
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その通りだと思います。
今の無職ひきこもりの生活は、ずっとぬるま湯に浸かっているような感じで
とても居心地が良いのです。
しかし、本能的に「このままではいけない」と思っている部分もあります。

そこが自分の考えの中で整合性がとれていない。
これで良いのだ!とは、全然言えません。

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合理性を突き詰めれば、人生はただ食って寝るだけの人生に辿り着きます。
それだけが生きるために必要なことだから。
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だから、今の私にとっては、
寝ること(特に昼寝)と食べる事、そして時々のお酒が唯一の生きる楽しみになっている
ということの説明がはっきりつきました。

でもそれだけが楽しみって、何だか虚しいな。
不幸でなく、むしろ幸福なことなのだけど。

自分でぼんやりと考えていたことを言語化してくれている人がいて、
ぼやけていた輪郭が少しはっきりとしてきました。
でも、これから先どう生きれば良いのかは全く分かりません。


なぜ人生はこんなにもつまらないのですか?
より引用
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category: 思索

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占い  

東京は今日は昼過ぎまで激しい雨でした。
そのため、今日は妻の仕事の送り迎えをすることになっていて、
午前で仕事が終わった妻を昼過ぎに迎えに行き、
喫茶店で2人でランチを食べました。
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ビーフカレー
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アイスコーヒー
(カレーとアイスコーヒーのセットで1,030円)

今日は雨のせいかとても空いていました。
この喫茶店は結構気に入っていて一人でも良く行くのですが、
最近困ったことに、占い師のようなことをしている40代ぐらいの男性が、
この喫茶店で客と面談していて、彼が大声で話をするので
音に敏感な私はとても不愉快な思いをしています。


そもそも、私にとって占いとは何だろうかと考えてみました。
私は占いの類には否定的で、若い頃から毛嫌いをしていました。
そもそも未来など、誰も分かるはずもないのに、
それを然も分かったように語る占い師には嫌悪感を抱いています。

人は生きていて色々な悩みを抱えます。
そういった弱みに付け込んだ商売は私は好きではありません。
(全てとは言いませんが、宗教や占いの類です)



しかし一方で、こういった商売が成り立つのは需要があるからです。
人生に躓いて悩んだ時に誰かに頼りたい。
もっと言えば、手っ取り早く解決策なり指針を示してもらいたい。
こういった安直な考えをする相談者もインチキ占い師以上に嫌いです。

私は「自分の人生の悩み事は、自分の頭で考え、悩みに悩んで何かを見つけるべきだ」
と考えています。

こいった話を妻にしたら、
「占いや宗教に頼っている人の中には、悩みに悩んでどうにもならなくて、
最後の砦としてそいうった所に頼っている人もいるのでは?
あなただって、不治の病に侵されたりとか、どうにもならない苦しい状況に陥ったら、
占いや宗教に頼るかもしれないよ」と。

確かに私がそういった状況になったらどうなるかは分かりません。
未来は分からないのですから、そうはならないとは言い切れないのです。
なるほどなと思いました。


その部分に関しては納得したものの、
人の弱みに付け込んで商売をするのは嫌いです。

私はそういった商売をする人は「悪」だと思います。
しかし、その占い師は、自分の仕事は困っている人を助けていることであり
何の疑いも無く良い事をしている(「善」)と思っているかもしれません。

私から見たら「悪」であっても、当事者からすれば「善」である。
こういったことを考えていてたら、
何が「悪」で何が「善」かというのことが分からなくなりました。

category: 思索

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達人さんへの返信  

友達付き合いについて のコメント欄の返信になります。

達人さんの20代の頃から今までのことを拝見させて頂きました。
なかなかの波乱万丈の人生で、失礼かもしれませんが、
楽しく読ませて頂きました。

こういった生き方が良いのか悪いのかは私には分かりません。
それは、自分の人生の評価は常に主観的でなくてはならないからです。

客観的に(他人から見て)酷い人生であっても、
主観的に(本人から見て)満足しているのであれば、それで良いからです。
逆もしかりで、どんなに他人から羨ましがられるような人生を送っても、
本人にとっては辛い人生に感じるときは往々にしてあるのです。

それが
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この話をすると自慢話のように聞こえる人もおりそんなの鬱じゃないと否定もされました。
金融資産があって将来不安って矛盾してます。
でも鬱になってしまったんです。思考に柔軟性がないのか視野が狭いのか
自分に自信もなくこの先どう生きていけばいいのか可能性をすべて否定してしまう感じです。
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だから、他人とは分かり合うことはできません。

また、達人さんは
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一億達成してから  はあー?って内容かもしれませんが。
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ということを分かっているにも拘わらず、衆目にさらされるネット上でこの話を書いた。
だから自分の自慢をしようという気持ちは無かったように思えます。

では、なぜこういったことを書いたのか。
それはこれまでの人生の棚卸をしたかったのではないでしょうか。
過去を振り返り、どの時代にどいういった価値観で生きてきて、
その時代、その時代で振り返った時にどのような感情であったのか。
こうして自分の過去を振り返り、正確な言葉に置き換えてることによって
これまでの自分の在り方を見つめ直している。そんな気がします。

私は一人でお酒を飲むと、ぼんやりと、人生の現在、過去、将来に思いを馳せます。
これがたまらなく好きです。
人生の将来を考えるとき、過去とは切り離せません。
自分という人間の価値観は、過去から作られているからです。

不満な現在を変えるためには、
過去に培ってきた価値観や観念を変える必要があります。
だから、希望のある未来、不満のある現在、過去の生き方
というのはセットで考える必要があります。

だから達人さんは、私のコメント欄で、
自らの内から溢れ出て来た過去の出来事を一気に書かずにはいられなかった。
そしてそれを元にして、この先の生き方を模索しようとしているのように思えます。

以下は 空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい のコメント欄の返信です。

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社会に親に背を向けて。逃げて隠れていました。
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私はこれが悪い事とは思えません。

社会に適応できない人もいるでしょうし、ろくでなしの親の元に生まれ、育てられた人もいるでしょう。
事情や環境は人それぞれ異なります。
だから、それをひとくくりにすることはできません。

私が良くないと思っているのは、自分自身に背を向け、逃げ隠れすることです。
自分に嘘をつき、誤魔化しながら生きることは嫌です。

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本当に何もしない、何も生み出さないという毎日はきつく感じます。トレードをやめてしまい、
1日中何もすることが無く、尚且つお金を全く生み出さない生活というのは、
想像していた以上に苦しくです
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「何も生み出さないという毎日はきつく感じます」というのは私は分かります。
少し気になるのは、「お金を生み出さない生活が苦しい」ということです。
私も初めのうちはそう思っていましたが、今は違います。

達人さんはおそらくですが、これ以上お金を生み出さなくても
充分生活はしていけるような資産はお持ちだと想像しています。
だとすると、お金を生み出す生活は本当に必要なのでしょうか?
それは、達人さんのこれまでの人生の中の固定観念として、
お金を生み出す生活を送らなくてはならない、
あるいは、何かしらの仕事をしてお金を得なければならない、
そうしなければ、世間や自分は納得できない
と考えているのではないでしょうか。

だとすれば、今一度、達人さんのなかで、「お金を生み出す」ということを考えなおして、
それでも、やはりお金を生み出す何かが必要だと確信できるならば、
仕事であったり、起業であったり、投資であったりと、
お金を生み出す仕組みについて真剣に考えることが必要です。
そうすれば、これからやるべきことは決まるように思えます。

私は会社員生活とトレーダー生活を送ってきて、
そのいずれも自らは望まない形で終わらせていますが、
「社会的地位」や「お金」を求めることは、もういいかなと思っています。
これは強がりでは無く、腹の底からそう思っています。

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ニックさんは自分をコントロールして活字にすることで今の思いを確認して
日々の生活を送られているようですが
無職で一日何もしていないからストレスは全く無いと言える、
私もそう考えたいです。しかし現実何もしないことがストレスに感じるんですよね。毎日が日曜日、
毎日が休日なので何もしないことが苦痛になってくるんですよね。特に鬱状態の思考では
どうしようもないです。この状態が死ぬまで続くと考えてしまうんですよね
ひどい鬱の時は・・・
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私も全く同じ状況です。

考えているときは幾分気分が紛れるものの、それをして何になるのか?というのが未だに分かりません。
何も生み出していないし、時間だけがただただ過ぎていきます。
そのことで、1日の終わりに強烈な虚しさを感じることがあります。

しかし仕方がありません。
今は自分が本当は何がしたいのかを探っている時期なのですから、
こうすることしかできないのです。

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さーどのように自分の思考をコントロールして生きていくか、
また集中できるものにめぐり合いそんなことすら忘れられる生活がやってくるのか・・・
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人生の巡り合いとは分からないものです。
会社員を辞める事は夢にも思っていなかったですし、
短い間でしたがトレードで生活ができるとも思っていませんでした。
すべてが偶々のような気がします。

何気なく手に取った知らない作家の本を読み、心を激しく揺さぶられる時がある。
だからこの先、何気なくやってみたことが死ぬまで熱中できる事だったりするのかもしれません。
ここ最近は、人生というのは偶然に強く支配されているのだなあと感じます。

category: 思索

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考えるという事について  

Tochiさんからコメントを頂きましたので、
「考えるという事」について考えてみました。
ここでは考える対象を、答えのあるかどうかわからないことに
限定することとします。

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考える時に脳内で起きていることは、経験や知識の整理・統合・推理などの情報処理だと考えられます。
だとすると、必要な情報や経験のピースが揃っていなければいくら整理しようが推理しようが
パズルは解けません。
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Tochiさんの書かれている通り、考えるというとは自分の経験や知識のを元にすることには
異論はありません。
しかし、それだけでは情報は圧倒的に不足し、パズルは解けないかもしれません。
また、仮にパズルが解けたとしても、それは一人よがりの考えに基づいており、
味気の無い、深みの無い結論になってしまいます。

それを回避するためには、他者の思想を取り入れることが必要であり、
読書をしたり、他者との議論をすることにより補うことができます。

本には、色々な人が歩んできた人生が要点良くまとめられおり
短時間でそれを知ることができます。
また、先人の知恵、普遍的な真理など、生きる上でのヒントを知ることができます。
幅広い分野の本が出版されているので、情報収集に困ることはあまりありません。
必要な情報や経験(疑似経験になりますが)はここで補えます。

そして、このブログのコメント欄でのTochiさんとのやり取りは
他者との議論ということになります。

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ピースの足りないパズルを解こうとする努力は、神経回路を混線させ、
ショートした回路をぐるぐると回すことに大量のブドウ糖を注入することで、
パズルが解けないことによる苦痛を生み出す事自体を目的(=答え)としているのではないでしょうか。
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ここでTochiさんの書かれていることと
私が思っていることが同じかは分かりませんが
明確な答えが出るかどうかわからないような問いに対して
答えが出ない事を半ば知りつつ、それを何とかしようと必死になって悩み苦しみ、そのことで自己満足する
ということであるのならば、私はそう(苦痛を生み出す事自体を目的している)ではありません。
それは、その過程において別の気付きがある可能性があるからです。

具体的な話を書きます。
例えば、「人生とは何か」といった漠然とした問いについて考えることとします。
この場合、何をどう考えて良いのか糸口は全く掴めません。
それは、パズルのピースが足りているのかどうかすらも分からないのです。
ですから、初めから解けないことは分かっている。
多くの人は、この時点で考える事を放棄したくなります。

また、考えることを放棄せず、それを分かっていながら考え続けるということは、
自らが苦痛を選択する行為にも思えます。


しかし私は違います。
この「人生とは何か」という漠然とした問いを直接的に考えるのではなく、
人生を構成する様々な要素について、個々に考えるのです。
「友人とは何か」「仕事とは何か」「家族とは何か」「幸せとは何か」「趣味とは何か」
「お金とは何か」「地位・名誉とは何か」

こういった細分化された問いについて、一つ、また一つ結論が出始めたときに
当初の問いである「人生とは何か」について分かり始めるのだと考えています。

しかし、人生を構成してるものを全てを洗い出し考え抜くことは不可能ですし、
その中に、重要なピースが欠けている可能性すらあります。
だから、「人生とは何か」という問いに対して、私は死ぬまで結論が出ないかもしれないと思っています。

しかし、それでも私は良いのです。
「人生とは何か」という当初の問いの解は得られなくても、
人生の一部を構成する、「お金とは何か」「地位・名誉とは何か」といった
部分的なことでも、自分の中で結論が得られれば満足なのです。

それが、先ほど述べた「その過程において別の気付きがある」ということです。
ですから私の場合、苦痛を生み出す事自体を目的(=答え)とはしていません。
あくまでも、考える事に対して、何かしら自分の中で結論が得られることを求めています。

category: 思索

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空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。  

■何がしたいのか分からないまま人生が終わった

彼とは生きてきた道は違えど、私が今見ている景色と似ているような感じがします。
ここのところ生きる意味を考えることが多いので、私なりに感じたことを書いてみます。

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小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間。
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トレードをやめてからは静かな日々が訪れるようになりました。
こういう生活は悪くないものです。
でも毎日続くと、何か物足りなさを感じます。

何が物足りないのか?
どう物足りないのか?
こんな穏やかな日々を送ることの何が不満なのか?

ストレスフルなトレード生活から解放されたにも拘わらず、
精神に変調を来したのは、全てはこの問いから始まったように思います。

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今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。
来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。
そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。
すでに自分の人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。
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私はこれまでの人生の大半を、生活費を稼ぐために生きてきました。
好きでもない仕事をしたり、株で勝った負けたで熱狂したり、
そういったことに果たし意味があったのか?

もちろん、世間一般的には意味はあったのです。
自分を含む家族が、衣食住を満たすためにお金を稼ぎ生活していく。
そのためには、仕事もトレードも必要でした。

しかしお金を稼ぐ手段として、会社員として働くこと、トレードをすることが
本当に良かったのか?自分なりに納得してきたことなのか?
過去の人生を振り返り、そういった細かい事を一つ一つ点検しています。

そして、そういう作業をしたうえで、これから何をしたいのか?必要なものは何か?を
自分自身に問うているところです。
だから、彼のように「自分の人生は終わった」とは私は思っていません。

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自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。
空っぽのまま生まれて空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。
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これは文面からの推測ですが、彼は真剣に、そして本気で考えていないように感じます。
「わからないままだった」という言葉からは、既にここで考える事を放棄しているように思えます。

私自身を鑑みてみても、自分が何をしたのかはさっぱりわかりません。
だからこそ、頭が痛くなるほど毎日考え、自分の精神がおかしくなるほど考え込むのです。
考えに考え抜いて、答えが見つからずに不安になる、憂鬱になる、精神が不安定になる。
それでも、この答えは死ぬまで出ないかもしれないと、最近は薄々気付きはじめました。

彼の言う、
「空っぽのまま生まれて空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい」
というのは、自分自信に真剣に向き合っていないからかもしれません。

自分自身に向き合うという作業は、とても辛いことです。
良い事ばかりでなく、自分の嫌なところ、悪いところ、辛い過去、
考えたくもない、思い出したくもないことを掘り起こす必要があるからです。
良い事、悪い事の全てにより、その人がこれまで歩んできた人生が形作られているからです。

しかし、そういことを避けていると、いつまで経っても、彼の言う「空っぽのまま」の状態が続くのです。
それは死ぬまでずっと続きます。
そのことに、私はとてつもなく虚しさを感じます。


人間は誰しも安全に生きたい、辛い思いをしたくないと思っています。
しかし、安全に生きていくことで得られるものは限られています。
彼は、
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自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。
空っぽのまま生まれて空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。
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と書いていますが、その理由を彼自身は既に分かっているのです。
それは一行目の一番初めに書かれている
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小さい頃から逃げてばかりいた。
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ということです。

自分自身から目を背けず、人生とは何か、幸せとは何か、本当にやりたいことは何か、
これらの問いは死ぬまで答えがでないかもしれない、
にも拘わらず、頭が痛くなるまで、精神が崩壊しそうなるまで考える。苦しい事です。

考えるということから逃げずに立ち向かえば、
彼の言う「空っぽのまま死ぬ」とうことからは、もしかしたら逃れられるかもしれない。

しかし、これまでのように、「逃げてばかりいた」ということを続け、安全地帯に居ることを望むなら
「空っぽのまま死ぬ、そして寂しい」ということを受け入れなくてはなりません。



ということを、私は最近考えています。
これは私自身に向けた言葉でもあります。

category: 思索

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