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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

近況とコメントへの返信  

そういえば、ここ何ヵ月か家族以外の誰にも会っていないことに気が付きました。
証券会社にも行かなくなったし、最後に家族以外の人と会ったのは
3/2に京成立石で上野の専業さんと会ったのが最後です。
社会から完全に孤立した生活を送っています。


今の私には、話し相手になってくれる友人が全くいないので
時々身近にいる妻に人生相談を持ち掛けます。

先日ブログに書いた話をしたところ、それは違うのではないかと。
以下は妻の考え。
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自分に合わないと思っていた仕事をずっと続けていたのは、
自分の意志だったのだろうか?
その後、トレーダーとして生活費を稼ぐことを決めたのは
自分の意志だったのだろうか?
トレードで稼げなくなり、再び何もしないという道を選んだのは
自分の意志なのだろうか?
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仕事を続ける、続けない、
トレーダー生活をする、しない、
無職で何もしない、違う道を模索する。

過去におけるある場面におて、
あなたには選択肢が存在していたということは確かである。
そして、結果的に一つしか選択できないにしろ、
自分のやりたいと思うこと、納得いくと思うことをやっているのだから
それは自分の意志が働いている。

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1度きりの人生で選べるのはその中で唯一つである。
時間は過去に戻すことができないので、選びなおすことは不可能だ。
とすると、人生のあらゆる場面で多くの選択肢はあるものの
過去を振り返ると道は1本しかない。
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過去を振り返ると道は1本しかなく、全てがあらかじめ決められているように思える。
それこそ、あなたの錯覚でしょう?
と、木っ端微塵に全否定されました。

何が正しいか、何が間違っているかはないのですけど、
また考え込んでしまいました。

こういうことを考えても、有意義な人生が送れるとは限りませんし、
完全に時間の無駄、暇潰しです。



ムーンさん
コメントありがとございます。
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悲しいときや追い詰められているときに心のよりどころになるのが
運命論だと思います。
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私もそう思います。
人は不幸な出来事が起こった時に、そのことに対する原因を求めます。
なぜ交通事故にあったのか、なぜリストラされたのか、
なぜテロに巻き込まれたのか、なぜ病気になったのか。

それらは複数の偶然が重なりあって、ある結果が引き起こされるのであり、
明確な原因などは分からないのです。
分からないものに、自分が納得できる理由を付けるために、
「運命」という言葉を用いるのだと思います。
そしてその多くは、悲しい出来事や不幸な出来事の時に使います。



littleXさん
コメントありがとございます。
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自由意志があるかないか
長い間議論されている哲学にもありますね
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私の書いたことは哲学でも議論されているのですね。
20代前半、学生生活が後半に差し掛かり、これから就職するという時に
哲学の本を少し読んだことがあります。
しかし、その時は難しくて全く理解できませんでした。

最近は暇を持て余し気味で図書館に行くことが多く、
偶に易しそうな哲学の本を手に取るのですが、数ページ捲っただけで後が進みません。
そこそこ人生経験を積んできたので、少しは分かるようになったかな?と思ってみたものの
昔と変わらずダメでした。

ウィキペディアで自由意志について見てみました。
やはり難しくて理解できません。
理解できない理由は、哲学的な特殊な語彙が全く分からないからです。
基礎的なことから取り組まないとダメなようです。

最近考えていることは、生きる意味のヒントを得るためには、
宗教か哲学が役に立ちそうだと。

しかし、宗教はどうも奇麗ごとが多くて、それを物語として読むのには良いのですが、
自分を救ってはくれなさそうです。
ですから、いずれは哲学を勉強したいです。



kohteiさん
コメントありがとございます。
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お久しぶりです。
前に一二度コメントした者です。
何故かニックさんの事が気に成るんだよなぁ
陰ながらお幸せを祈念してます
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幸せとは何かを考えます。
お酒を飲んでいるときは幸せ。
旅行や散策へ行き、きれいな景色を見られた時は幸せ。
トレードをしていた時は、儲かった時は幸せでした。

でも、そんな幸せはほんの一瞬の出来事です。
その時間が長く継続することはありません。

そう考えると、人生の殆どは苦しみの時間です。
人生は何をしても虚しいです。
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category: 夢職の日々201904

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近況など  

一昨日、昨日と天気が良かったので、
2日連続で狭山丘陵に散策に出掛けてきた。

初日は多摩湖を一周し、狭山緑地、狭山公園へ
2日目は野山北・六道山公園へ

狭山丘陵までは電車で行ったのだが、
途中、16年間勤めた会社の最寄り駅を通った。
とても懐かしい気分になった半面、
あの苦しかった毎日を思い出すと胸が詰まる思いがした。
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自分に合わないと思っていた仕事をずっと続けていたのは、
自分の意志だったのだろうか?
その後、トレーダーとして生活費を稼ぐことを決めたのは
自分の意志だったのだろうか?
トレードで稼げなくなり、再び何もしないという道を選んだのは
自分の意志なのだろうか?
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人は生きている間、人生のなかの様々な場面で選択に迫られる。
Aという選択肢、Bという選択肢、Cという選択肢・・・。
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1度きりの人生で選べるのはその中で唯一つである。
時間は過去に戻すことができないので、選びなおすことは不可能だ。
とすると、人生のあらゆる場面で多くの選択肢はあるものの
過去を振り返ると道は1本しかない。
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確かに人生の岐路に立たされる場面において
沢山の選択肢が用意され、選択権は自分にあるようには思える。
しかし、それは単なる錯覚であり、全てはあらかじめ決まっているのではないか?
とふと思えた。
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人は生まれた時からあらゆることが既に決定されている。
どういう人生を歩むのかも。
そして、そのことは本人も、周りの人もただ知らないだけである。
なぜならば、未来は誰も分からないのだから。
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そう考えると、会社員を嫌々続けてきたこと、トレーダーをやっていたこと、
現在無職である事、その全てが私自身が決定してきたように思えても、
実は既に決まっていたのでは?
そして、私の死期までも既に決まっているのではないか?
それは明日かもしれないし、30年後かもしれない。
ただ、その時期を誰も知らないだけだ。
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なぜ、こんなことを考えたかというと、
散策途中の休憩の時、若い母親と幼い子供が交通事故にあった
というニュースを見たからである。
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あの時に、あの場所で、たまたま自転車に乗って交差点を渡っていた。
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ずっと家にいるという選択肢、別の場所に出掛けるという選択肢、
違う時間に家を出るという選択肢、あらゆる選択肢があったはずである。
にもかかわらず、ある選択をすることで事故にあった。
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それは運命かもしれない。
しかし、運命とうい一言で片付けてしまうのは、
自分の思考を停止させる怠惰な態度のような気もする。
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生きている中で、自分の意志というのはどこまで反映されているか、
あるいは全く反映されることは無いのか、気になってしまう。

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近況など  

ここ最近の生活

7時過ぎに起床。
朝食(今日はトースト)
午前は本を読み、11時頃から疲れて1時間程昼寝。
昼食(今日はレトルトのミートソース)
午後は録画してある将棋のTV対局を見て、また本を読んで、
16時頃から1時間昼寝。
夕方、時間があれば図書館へ。
その後、夕飯(今日は回鍋肉)、風呂。
お酒はしばらく止めています。
21時から布団に入って読書。
23時前に就寝。
今日は眠れないのでブログの更新

最近は、本を読むか、将棋を見るか、昼寝をしているかで1日が終わってしまいます。
1~2ヵ月前は、仕事でも探した方が良いかなと思っていましたが、
そんな気は全く無くなってしまいました。
でも、今の生活に飽きたらこの限りではありません。

こんな無為な毎日を送っていることに、時々疑問に感じます。
果たして今の生活は幸せと言えるのだろうか?と。


では、世間一般の幸せとはどようなものだろうかと考えると
1.社会的地位(会社での出世、尊敬される職業)
2.名誉(スポーツ選手、有名人)
3.お金(現金、不動産などの資産)
4.家族(結婚など)
5.健康(病気をしていない)

健康はここでは置いておくとして、
こういった幸せを追い求め、全てを手にいれられるとします。
一流企業の役員になって、世間に名が知れて、高額な年収を得て、莫大な資産を築く。
都内の億を超えるタワーマンションで愛する家族に囲まれて暮らす。

こんな人生、生活を想像すると羨ましく感じます。
しかし、人はいずれ死んでしまう。
その時は、地位や名誉、お金、家族は全て失うことになる。
どんなに苦労して得ても。どんなに色々なものを犠牲にしてきても。


そんな世間一般の幸せを追い求めることに虚さを感じないのだろうか?
(これは人生の終盤を迎え、死が近づいてきている私だから考える事で、
 若い人はそうは考えないかな)
では、私にとっての幸せとは何だろうか?と考えると、
「自分の意志で好きなことをして暮らす」ということ。

しかし、これを得ることは意外と難しい。
第一に、人は生きていくためには何らかの手段で生活費を稼がなくてはならない。
第二に、本当に好きな事、すなわち世間的に言われる幸せ全てを投げうつほど価値のある
人生を捧げられる何かが見つけられるとは限らない。

そんな事を考えながら、そう遠くない死を迎えるまで、
どうやって毎日を過ごしていくことが良いのかを考えたりしています。

category: 夢職の日々201904

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近況など  

昨日は珍しく妻から飲みに行きたいと誘われ
近くの居酒屋へ行った。
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無職暇人の私は、18時に一人で居酒屋へ乗り込み、
先に生ビールを飲んで仕事帰りの妻を待った。
30分程して妻が来て、その後、上の子も合流して3人で飲んだ。
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こう書くと、幸せなそう家族像に映るかもしれないが、
今から5年以上前、我が家は滅茶苦茶に荒れていた。
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妻には離婚して欲しいと迫られ、上の子は父親である私を殴った。
今ならその理由は簡単に分かる。
妻の家事のやり方に口を出し、子供の勉強に口を出し、
家族に私の価値観を押し付け、私のやり方を強要していたからだ。
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妻とは喧嘩が絶えなかった。
2~3ヵ月に一度は大喧嘩をしていた。
妻は口が立つ私に口論になると敵わなかった。
口論に負けた妻は腹いせに物に当たっていた。
今でも家の中にその傷跡は残っている。
上の子とも、長い間口を利くことは無かった。
会話は妻を介してだった。
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いつからかははっきりと覚えていないけど、
私は家族に対する接し方の過ちに気付き、
妻や子供に対する干渉を止めた。
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それから間もなくして、妻との喧嘩が激減した。
大喧嘩は無くなり、年に数度軽く衝突するぐらいになり、
今では殆ど衝突することは無くなった。
全く口を利かなかった子供とは、普通に会話を交わすようになり
2人で食事に行くようにもなった。
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妻や子供に期待しない。
そして、私自身期待されないで生きていく。
人は期待を裏切られたときに怒りの感情が湧いてくる。
人との対立は、期待したりされたり、
といった関係が原因で起こるのではないかと考えている。
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最近は、更に家族関係について過激に考えるようになった。
「家族とは、たまたま一つ屋根の下で共同生活を送る関係であり、
みんな個々の人格を尊重し、家族であってもお互い干渉せずに生きるべきだ」
といった持論を妻の前で展開したら、
そんなのは家族では無い。(私は)冷たい人間だ。と白い目で見られた。
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そうだよな。世間一般の家族像とは、
家族がお互いが支え合って生きていくという暖かいものである。
でも私は「個」を大切に生きていきたい。

人からは共感を得られないのは分かっていたし、
妻には言うべきでなかったかもしれない。
でも、私の考えを分かって欲しいという気持ちもあって
反感を買うことを承知で言ってしまった。
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酔いがまわってくると、
離婚を迫られた妻と今ここで一緒に飲んでいる事、
私のことを殴った子供が隣で楽しそうに話していることが妙に不思議に思えた。

18時に飲み始めて、気が付くと22時過ぎ。
いつの間にか周りの客もいなくなっていた。

category: 夢職の日々201904

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近況など  

4月に入ってから、花見に行ったり、旅行へ行ったりと
自宅にいることが殆ど無かったのですが、
昨日、今日と自宅にいます。

自宅に居て暇かというとそうでも無くて、部屋の大掃除をして忙しいです。
と言いますのも、下の子が大きくなって自分の部屋が欲しいと言うので、
2階にある私のフローリングの6畳間を明け渡すことになりました。

無職になってから6年5か月。
ネグラ(田山さん風に)として過ごした部屋からの退去は
些かの寂しいものはありますが、もうトレードもしてないですし、
部屋にこもって作業することも殆どないので別にいいかなと思っています。


下の子が明け渡した1階のリビング隣にある7.5畳の和室に行っても良いのですが、
そこはリビングのTVの音がうるさそうなので、
2階にある10畳の和室(寝室)に行くことになりました。

ここは夫婦の寝室と兼用なので、夜更かししたり、早起きはできなくなります。
その時の避難場所も考えなくてはなりません。

昨日は本の整理をしました。
半分ぐらいは処分(ブックオフに持っていく)しようと思ったのですが、
今回は1/4ぐらいに留まりました。
執着心が強いのか、なかなか処分する決断ができません。
次の機会に持ち越しです。
あとはCDも処分したいのですが、こちらも思い出があってなかなか・・・
でも、殆ど聞きません。

理想は、今ある部屋の私物を半分ぐらいに減らしたいです。



しんさん
再度、コメントありがとございます。
返信が長くなりましたので、こちらに書きました。

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ニックさんはそのようにご謙遜されていらっしゃいますが、
自分の人生が他人と比べて変わっているという題材があろうとも、
それをこのような文章に書き起こせる能力がある方は滅多にいないと思います。
ですので、ご返信いただいた内容を拝読させていただいても、私の考えに変わりはありません。
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私はどうでも良いような事を考えるのが大好きです。
他人と議論すること無く、一人で一つの事について深く考えます。
当然、独りよがりの考えです。
生きるとは、幸せとは、友人とは、お金とは、仕事とは、時間とは、自分自身の特性とは。

無職になって時間も沢山ありますし、部屋で一人でいることが多いので、
暇つぶしに考えに耽っています。
そうしてぼんやりと思い浮かんだ考えを、ブログに書くために言語化して、
それらの考えの輪郭をくっきりさせていく。そいうった作業が好きです。

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多くの方の引退は、≒資金の大半を失う「退場」を意味するようですので、
その後は生活レベルを落とすだけでも大変でしょうし、生活していく、生きていくだけで精一杯となり、
ブログなどを書く心の余裕も経済的余裕もなくなるのだろうと推察いたします。
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なるほど。
我が家は妻も働いていますし、私の幾ばくかの貯蓄もあるので、
こうして無職でいることができ、ブログを書く余裕があるのです。
その通りだと思います。

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私も約14年程度、(専業は10年程度)パチンコで生計を立てていた時代がありまして、
(中略)
余談になりますが、田山プロは私がパチンコライターをやっていた時の心の師匠で、
パチンコでの立ち回り方において、多大なる影響を受けた方なんです。
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そうでしたか。
パチンコのことはお詳しいのですね。
株式トレーダーも、パチンコ、パチスロ上がりの方がかなり多いように思います。
何か通じるところがあるのでしょうか。

パチンコでは、期待値の高い台を見つけて閉店までひたすら打ち続ける。
対してトレードは、利益の出やすいやり方を見つけて、ひたすら同じ取り引きをする。
共通するのは、同じことの繰り返しでやっていても面白くない。
でも、お金が儲かるのは面白い。
(私がそう考えるだけで、他の方がどう思うかは知りません)


私のパチンコの戦績は、競輪と同様散々でした。
トータルでは大負け?
途中から収支を付けるのが嫌になりました。

学生時代、運送屋やビル清掃の日雇いバイトをして(当時は8時間働いて日給5,000~6,000円)
そのお金をいつもホールに吸い取られていました。
田山さんが連載していたパチンコ必勝ガイドも良く買っていました。
パチンコ屋から帰ってからも家で雑誌を読んで、パチンコをしている気分を味わっていました。

平台(羽根物)のビックシューターとか、ブロードウェイとか、ローリングマシンとかが好きで、
今でもあったら打ちたいです。
今から25年程前の台なので、流石にもうないでしょう。

平台というのは今は無いのですかね。
パチンコに関しては浦島太郎です。

category: 夢職の日々201904

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近況など  

私にしては珍しく忙しい1週間でした。

4/1(月) 善福寺川緑地で一人花見
4/2(火) 銚子へ家族旅行(銚子市内)
4/3(水) 銚子へ家族旅行(銚子市内)
4/4(木) 銚子へ家族旅行(銚子市内、佐原)
4/5(金) 野川公園、武蔵野公園で一人花見

今日も天気が良いのでこれから花見に出かけています。

しんさんからコメントを頂き、長くなりましたので
こちらに書きました。
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ニックさんの文章は読んでいてとても面白く、(ゲラゲラ笑えるという意味での面白さではなく、
読者を惹きつける文章力の面白さ、秀逸さという意味です。)夢職にしておくには本当に
もったいない逸材だと思っています。
~中略~
以前、私も物書きをしていた時代がありましたが、ニックさんのような人を惹きつける文章、
味のある文章は私には到底書けないですね…。
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上手い文章を書く人、人を引き付ける文章を書く人は、
世の中には沢山いると思います。
私はプロの物書きでは無く、単なる素人ですので彼らの足元にも及びません。

では、なぜ惹きつける文章だと思われるのか?
それは、私が一風変わった人生を歩んできており、
更にかなり変わった人物であるからです。
そして、このブログでは、そんな変った人物の日常を書いているので
惹きつけるように感じるだけではないでしょうか。



まず、私の人生について。
大学院を出て、第一希望の機械メーカーに就職したまでは順風満帆の人生と言えますが、
就職後30歳の時に鬱病が発症し、そこから転落が始まります。
精神病院への入院、休職、復職の失敗、失業。

41歳。鬱病から回復し再就職活動をするもののことごとく失敗。
十数社応募書類を送るも、面接の機会を与えられたのはただの一社。
当然その一社もダメ。
仕事の当ても無く、藁をもすがる思いでコンビのバイトに応募するも、連絡すら全く無い。
流石にこの時は萎えました。人生のどん底です。

そこから趣味の株で運良く4年10ヵ月生計を立てられたものの、
稼げななくなり再度無職へ。
48年間を振り返ると、改めて凄い人生を歩んできたと思います。

私のように株で稼げなくなった後も、ブログを続ける人はなかなかいません。
私はそういった人たちのその後が知りたいのですが、無いので自分でやることにしました。
このブログが、会社員をしながら時々株で小遣い稼ぎをしているブログであったなら、
どんなに文章が上手くても詰まらないと思います。



次に私という変わった人物について。
私はずっと生きていくのが辛いと思っていました。
でも、それは私だけでなく、みんなそうなのだろうと思っていました。

ところが、精神病院に入院した時に、軽度の発達障害であることの指摘を受けました。
詳細は私の生きづらさについて ~発達障害のこと~ その1

その後、色々と自分で調べてみて、自分の生き辛さの原因が分かったと共に、
世間一般の人と、私の感受性が大きくずれていることに初めて気が付きました。
その「ずれ」についても時々このブログに書いています。

例えばですが、
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仕事以外の人間関係はトラブルばかりです。
つい最近も、中学時代の恩師と喧嘩になりました。
彼とは2度と会うことはないでしょう。
私は自己主張が強いので、みんなから嫌われ、彼らは私の前から去って行きます。
そしてそれで良いと思っています。
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多くの人はこういう考えにはなりません。

どんな人でも嫌いな人の一人や二人はいるものです。
しかし、そういう人がいたとしても、大多数の人は自分の感情を押し殺し、
距離を置いて付きあっていく。
他人との軋轢を避け、上手くやっていくのです。
それが社会性というものです。

私の場合、自分の信念と、社会性を比較した場合、
自分の信念(自分が正しいと思う生き方)を優先します。
ですから、自分が正しいと思えば(他人から間違っていると見られても)そのことを優先します。
その結果、社会で上手く生きていけなくても良いのです。

人間関係についてもそうですが、その他のあらゆることについても同じです。
会社員生活が破綻したのも、自分がやりたくも無い仕事をすることに耐えられず鬱になったからです。
普通の人であれば、自分を誤魔化しながらでも、生活のために何とか続けていくものです。

これは私特有の一種のこだわりと言えます。
こういった考えですので、一般社会では上手くやっていけないのです。

誰しもが、自由に生きたい、自分の思うように行動したいと考えています。
しかし、私のように嫌な仕事を投げ出し、嫌いな人間と対立したすることはできません。
なぜならば、そうすることにより協調性を重んじる日本の社会では生きていけないからです。



私のブログの読者を想像するに、
私と同じく世間から少しずれている人、
あるいは、私のように自分に正直に生きていきたいと考えている人
(でも、それをやってしまうと日本の社会では生きていけないのでできない)
そういった人たちが共感して、固定して読んでくれているのではと思っています。

私は多くの人にこのブログを読んでもらいたいとは思っていません。
ほんの少しの人で良いので、私という人物、気持ちを理解してくれる人がいて欲しい。
そういう考えでブログを書いています。

長くなりましたのでこのぐらいで。




最後に田山幸憲さんの事を少し。

人間というのは異質なものを求めてるものかもしれません。
私も異質の部類に入ると思いますが、田山さんもかなり異質です。

田山さんは東京大学に入学しますが、在学中パチンコと出会い中退し、パチプロの道を歩みます。
東京大学に入学できる頭脳があるならば、
官僚を目指したり、一流企業に就職したり、大学に残ったりするのが一般的だと思われます。
それがパチプロですから、普通では考えられないことです。
自分のやりたいことをする。世間体はどうでも良い。
何か信念がなければできません。


彼はパチプロで生計を立てていましたが、1日の稼ぎがでたらさっと止めて店を出たそうです。
打ち止めも他の客に迷惑がかかる(釘が渋くなる)といって嫌ったとも言われています。
お金には執着せず、とても奇麗な生き方だと思います。
私にはとてもできません。


田山さんは舌癌を患います。
一度は手術をしたものの再発します。
そして、彼は延命治療を拒否して死を選びます。
舌や首(リンパ腺に転移していた)を切られて、後遺症に悩まされており、
さらに苦しい思いをしてまで生きる価値は無いと考えたようです。
これもとても潔い生き方です。
私なら生に執着し、どんなことをしてでも生き在えたいと思うでしょう。


彼は毎日パチンコをして、食事もほとんど取らず、酒を飲み、タバコを吸い、自由に生きてきた。
そして舌癌になり54歳で人生の幕を閉じます。
彼はそれを、身から出たサビ、自業自得、と受け入れている。
自由に生きる事、好きなことをして生きる事、
それには何らかの代償があり、そういったことを覚悟した上で自分自身が選んでいる。
そんな田山さんの生き方に私は憧れます。
しかし、私には彼のように生きるのは難しいでしょう。
なぜならば、そいうった信念や覚悟が希薄だからです。


彼に近づけることと言ったら、
酒が好きであること、特定の人と深く付き合うことが無い事
ぐらいですかね。

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