無職ひきこもりトレーダーの日々

40歳で鬱で職を失い、トレードで生活費を稼いでいます。無職です。部屋にひきこもるのが大好きです。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ、再就職はあきらめました。

昔、バイトで知りあった友人のこと  

■1

昨年末から、「スマホでUSEN」に加入しています。
月額490円で色々なジャンルの音楽がスマホで聞き放題です。

私の場合、朝の8:00~夕方17:00までは
部屋のBGMとしてラジオ日経を流しています。

それ以降の時間は、
監視している銘柄の株価データをダウンロードしたり、日中足データを保存したり、
その日の取り引き結果をエクセルに入力したり、といった単純作業が多いので、
作業用のBGMにUSENを流しています。

スマホからBluetoothでスピーカーに飛ばして聞くので
高音質で聞けます。
結構、気に行っています。


■2

そのUSENで、私は1980年代後半~1990年代前半
(私が15歳~25歳ぐらいだった頃)
の音楽を良く聞くのですが、その時代の出来事とか、
付き合っていた友人や彼女のこととかを鮮明に思い出し、懐かしくなります。

BARBEE BOYSの曲が流れてきて、
その歌を、カラオケで良く歌っていた友人のことを思い出したので
彼の事を少し書こうと思います。


■3

私が19歳の時、自宅近くのハンバーガーショップでアルバイトを初めました。
そして、ほぼ同じ時期に、2歳年下のフリーターの子も入ってきました。

彼は岐阜県出身で、高校を中退し、都内の親戚の家に住まわしてもらいながら、
そのハンバーガーショップでバイトを始めたそうです。
その前は、近くの喫茶店で働いていたと言っていました。

年も近かったし、彼はパチンコが好きで、ギャンブル全般も好きだったこともあり、
直ぐに意気投合し、いっしょに麻雀をしたり、
競輪場に行ったり、パチンコ屋へ行くようになりました。

その頃の私の生活は、昼間は大学で授業を受け、授業が終わるとバイトへ行く。
バイトが終わってから、0時~6時頃まで麻雀をして、
そのまま大学に行き、授業中に寝て、また夕方からバイト。
たまにバイトが休みの時や休日は、川崎、花月園の競輪場に行く、
そんな事の繰り返しの日々でした。

博打のためにバイトをするという、ギャンブル三昧の学生生活だったので、
当然のことながら学業はおろそかになり、大学2年の時に留年しそうになり、
泣く泣くバイトを辞めることにしました。

しかし、バイトを辞めてからも彼との交流は続き、
彼の岐阜の家に遊びに行き、彼の両親を交えて4人で麻雀を打ったり、
父親も大の競輪好きだったので、豊橋競輪にみんなで行ったりと、
楽しい思い出が沢山残っています。


■4

彼は当時、五反田に住んでいたので、
良く五反田駅前にあった、今は無き24時間営業の居酒屋「赤のれん」に
2人で飲みに行きました。

1階の入り口で靴を脱いで、下駄箱に靴を入れ、
階段を上がって、だだっ広い2階の大広間の座敷で、
鍋を食べながら、瓶ビールの大瓶を飲みました。
(確か、生ビールは無かったような・・・)
深夜なのに、従業員はみんな年配の女性だった事が印象に残っています。

私が20歳前後、彼が18歳前後、
その頃は、将来の夢とか希望があって、人生すごく楽しかったです。
生きることに必要なものは、何歳になっても「希望」だと思います。

当時の生活は滅茶苦茶でしたが、
親に食べさせてもらっていたし、独り身だったので、
本当の意味で、自由奔放に生きていたと思います。
楽しい時期でした。

赤のれんでは、明け方まで彼と人生について語り合いました。
彼がいつも言っていたのは、
「俺は高校を中退して、中卒だから、普通の人生は歩めない。
 このまま落ちぶれて乞食になるか、起業して一発あてるかのどっちかの人生だ。
 失うものは何も無い」と


■5

私がハンバーショップを辞めてから、半年後ぐらいに彼もバイトを辞めました。
運転免許を取得のため、しばらく実家に帰っていたようです。

その後、再上京した彼は、職を転々としていました。
パチンコ店の店員、芸能人のマネージャー、ネットワークビジネス(いわゆるねずみ講)
他にも何かやっていたかもしれません。
(※ねずみ講は、私も巻き込まれそうになって大変だった。この話も別途じっくり書きたいです)

彼には付き合っていた彼女がいて、彼女と吉祥寺で同棲をはじめた頃から、
お互いの家も遠くなってしまい、少しずつ距離が離れていきました。

私が社会人になった時は、まだ彼との付き合いはあって、
その頃彼は芸能プロダクションを起業して、社長になっていました。

彼は既に結婚していて、子供もおり、渋谷のマンションに住んでいましたが、
家賃は月50万円だと言っていました。

私は入社1年目で給料は額面で20万円そこそこ、
そして、寮費は2万円程だったので、
彼がどこか遠い世界に行ってしまったようで、寂しい気持ちになりました。
金銭感覚も全然違うし、生きている世界がお互い変わってしまったなと。


■6

その後、彼から一緒に仕事をしようという誘いを何度か受けました。
経理をやる人間がいないので、数字が得意な私に来て欲しいと。
そんな話を頂いたのですが、私は断りました。

彼の仕事を手伝えば、今の給料の倍以上は貰えるかもしれない。
しかし、起業して数年しか経っていない会社だったので、将来を考えると不安もありました。
結局、私は安定をとったのだと思います。

前の会社で、鬱になっても10年もの間、会社にしがみついていたのも
そんな下らない安定志向があったからかもしれません。


■7

お互いが社会人になってからは、自由な時間も少なくなり、
家が離れていたこともあって、めっきり会わなく無くなりました。

年賀状を交換する程度の付き合いも、
30歳を過ぎたあたりから途絶えてしまいました。
彼の住んでいた渋谷の家は、引っ越したようです。


彼が今、何をしているのか気になって、
彼の会社のことをネットで検索してみるのですが、情報は全く掴めません。

浮き沈みの激しい芸能関係の仕事だから、
今はもう廃業して、別の仕事をしているかもしれません。



■8

USENから流れてくるBARBEE BOYSの曲を聞くと、
彼と一緒に過ごした20代前半の日々を思い出し、懐かしくなりました。

また、機会があったら、彼との事を書こうと思います。
ねずみ講に巻き込まれそうになった話とか、
花月園競輪で1レースで50万当てた話とか、
岐阜の柳川瀬で飲み明かした話とか・・・


終わり
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