夢職ひきこもりの日々
40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。
忘年会 
2019/12/02 Mon. 21:31 [edit]
昨日から12月に入りました。
今年も残すところ1ヵ月になりました。
1年は本当に早いです。
12月は忘年会シーズンです。
トレーダーさんとの忘年会、学生時代の友人との忘年会に誘われましたが
全て断りました。
最近は何をするのにも億劫に感じます。
特に大勢の集まる場は何が何でも避けたいです。
昨年は上野の専業さんと2人でささやかな忘年会をしましたが、今年は無さそうです。
上野の専業さんは、私が鬱で仕事を失い、再就職先も見つからず、
仕方なく?専業投資家を始めた時に、色々な相談に乗ってもらった恩人です。
彼からは定期的にメールが来ていましたが、今年の夏前からメールが来なくなりました。
心配になり、こちらからメールをすると、しばらくしてから返信があり、
取返しのつかない大病、手術をしました。と。
こちからあれこれ詮索するもの失礼と思い、その後は連絡はしていません。
それ以降もずっと連絡が無いということは、あまり病状が良くないのかもしれません。
彼は私より20歳年上の68歳です。何があってもおかしく無い年齢です。
それでも、私にとって数少ない知人の一人でしたので、とても残念です。
12月は唯一、下町の専業さんと飲みに行く約束をしています。
私自身も急速に飲めなくなってしまったので、
1~2軒、軽く飲むと言った感じになると思います。
会社員時代の忘年会のことを少し。
地方の工場勤務だった時の忘年会は、ホテルの大宴会場を貸し切って、
泊まりでの忘年会でした。
それには理由があって、地方は東京ほど公共機関が発達して無く車社会なので、
飲んでしまうとみんな帰れなくなってしまいます。
だから、家族が車で迎えに来てくれる人を除いては、
みんなホテルに宿泊しました。
記憶によると、7月~11月までの4ヶ月間、5,000円ずつ給与から天引きされ、
積み立てられた20,000円が忘年会と宿泊費となります。
参加は半強制的で、冠婚葬祭、病気以外の理由で不参加だと
職場で村八分になるという噂があったので、参加せざる負えませんでした。
田舎は連帯意識が強いのです。自分勝手な行動は許されません。
東京の職場に転勤になってからは、駅前の居酒屋での忘年会になりました。
みんな電車通勤なので、泊まりということはありませんでした。
東京に戻ってからの最初の部の忘年会で、部長が最初に挨拶をしたのですが
「会社にぶらさがっているような奴はこの部にはいらない」
と言っていたのが印象に残っています。
上司の挨拶なんて、いつも紋切り型の定型文を読んでいるようで、
心に残ることは全くありませんでした。
そういった訓示を聞いていると、組織で働いていることを実感し、
冷や汗が出てくる思いをしました。
今は無職で自由な身分なので、行きたくない忘年会は遠慮なく断っています。
改めて感じることは、私は組織や社会には馴染めないということです。
今年も残すところ1ヵ月になりました。
1年は本当に早いです。
12月は忘年会シーズンです。
トレーダーさんとの忘年会、学生時代の友人との忘年会に誘われましたが
全て断りました。
最近は何をするのにも億劫に感じます。
特に大勢の集まる場は何が何でも避けたいです。
昨年は上野の専業さんと2人でささやかな忘年会をしましたが、今年は無さそうです。
上野の専業さんは、私が鬱で仕事を失い、再就職先も見つからず、
仕方なく?専業投資家を始めた時に、色々な相談に乗ってもらった恩人です。
彼からは定期的にメールが来ていましたが、今年の夏前からメールが来なくなりました。
心配になり、こちらからメールをすると、しばらくしてから返信があり、
取返しのつかない大病、手術をしました。と。
こちからあれこれ詮索するもの失礼と思い、その後は連絡はしていません。
それ以降もずっと連絡が無いということは、あまり病状が良くないのかもしれません。
彼は私より20歳年上の68歳です。何があってもおかしく無い年齢です。
それでも、私にとって数少ない知人の一人でしたので、とても残念です。
12月は唯一、下町の専業さんと飲みに行く約束をしています。
私自身も急速に飲めなくなってしまったので、
1~2軒、軽く飲むと言った感じになると思います。
会社員時代の忘年会のことを少し。
地方の工場勤務だった時の忘年会は、ホテルの大宴会場を貸し切って、
泊まりでの忘年会でした。
それには理由があって、地方は東京ほど公共機関が発達して無く車社会なので、
飲んでしまうとみんな帰れなくなってしまいます。
だから、家族が車で迎えに来てくれる人を除いては、
みんなホテルに宿泊しました。
記憶によると、7月~11月までの4ヶ月間、5,000円ずつ給与から天引きされ、
積み立てられた20,000円が忘年会と宿泊費となります。
参加は半強制的で、冠婚葬祭、病気以外の理由で不参加だと
職場で村八分になるという噂があったので、参加せざる負えませんでした。
田舎は連帯意識が強いのです。自分勝手な行動は許されません。
東京の職場に転勤になってからは、駅前の居酒屋での忘年会になりました。
みんな電車通勤なので、泊まりということはありませんでした。
東京に戻ってからの最初の部の忘年会で、部長が最初に挨拶をしたのですが
「会社にぶらさがっているような奴はこの部にはいらない」
と言っていたのが印象に残っています。
上司の挨拶なんて、いつも紋切り型の定型文を読んでいるようで、
心に残ることは全くありませんでした。
そういった訓示を聞いていると、組織で働いていることを実感し、
冷や汗が出てくる思いをしました。
今は無職で自由な身分なので、行きたくない忘年会は遠慮なく断っています。
改めて感じることは、私は組織や社会には馴染めないということです。
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category: 無職の日々201912
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