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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

野村克也さん  

私は中学生の頃、野球がとても好きでした。
当時は巨人や阪神ファンが殆どの中、私はヤクルトファンで少数派。
中学校時代、同級生で私の知る限りヤクルトファンは私しかいませんでした。

なにしろヤクルトスワローズは弱い。
武上監督、土橋監督、関根監督時代は万年Bクラス。
1990年に野村監督が就任して、就任3年目に優勝しました。
この頃には、私は野球に興味が無くなってしまい、
神宮球場に足を運ぶこともなくなりましたが、
昔好きだったが球団が日本一になり、とても嬉しかったことを覚えています。



40歳で仕事を辞めてからは、本を読むことが多くなりました。
野村さんの本はどれもとても面白くて、10冊ぐらいは読んだと思います。
当時はトレードをしていたので、勝負の世界に生きてきた人の言葉はとても為になりました。

そんな数多くの本を出版している野村さんの本の中で、一番好きな本は
「無形の力」野村克也 日本経済新聞社 です。

南海、ロッテを経て、西武でプレーした晩年の野村選手のことが書かれている
 P181~P182を引用
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年齢がものを言う捕手というポジション。
熟練のリードは若い捕手いは負けない自負があった。
首脳陣も私を九回に起用して逃げ切りを図り、「セーブ捕手」という言葉まで生まれた。
(西武へ移籍した)2年目の1980年8月1日。
ついに3,000試合出場の金字塔をうち立てた。
たが、限界はしのび寄っていた。

同年9月28日の阪急戦、1点を追い8回1死満塁の好機。
「最悪でも外野フライで同点」
そう思って、打席に向かおうとしたら、根本監督に呼び止められた。
「野村君、代ろう」
そして、代打のコール。

ベンチの戻って思わず祈った。
「代打策が失敗するように」
試合後、帰宅する車中で決心した。
「もう引き際だな」と。
自軍が勝つために全力を尽くさなけらばならないのに、
失敗を祈るようになったらお終いだと思ったのである。

翌日、球団に引退の意志を通告。
10月4日の試合で四球を選んだのが最後の打席になった。
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成功した野球選手の本は数多くありますが、多くの人は
そういった選手のサクセスストーリを求め、感動するのだと思います。
でも(偏屈者の)私は、成功者が落ちて行くさまや、過程に興味があります。
落ちて行くときの心境などんなもだろうかと。
これを読むと当時の野村選手に感情移入してしまい、何度も泣けてしまいます。

私自身が生きていく中で大切にしていることは、
自分の心の醜さに向きあっていくということです。
野村さんが自軍の選手の失敗を祈り、その事で引退を決意する。

野村さんの本には、勝負術や勝負への心構えのなど、
本当に参考になるところが多々ありますが、
私は、野村さんの泥臭い感情が描写されている、
この本のこの箇所が一番印象に残っています。



昨年、部屋の引っ越しをしたときに、野村さんの本は殆ど売ってしまいましたが、
この本だけは好きだったので取ってありました。
野村さんのニュースを見て、もう一度この本を読み見直したくなりました。
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category: 読書

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