FC2ブログ

夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

近況  

■7/30(木)

最近は冴えない日が多いです。
朝は調子が悪く、夕方から少しましになってくるという
うつ病の日内変動の典型だと思うのですが、
食欲は普通にあり、お酒も飲む気力もあります。

本物の鬱は、食欲が全く無くなり、お酒なども飲みたいとも思わなくなります。
だから、まだまだ大丈夫と自分に言い聞かせているのですが、
無気力と不安感、憂鬱感がなんともなりません。

夜になると気力が出てくるのでお酒を飲むのですが、
お酒を飲んでいる時は辛い気分が幾分薄らぎます。



昔勤めていた会社でのこと、
不眠で産業医の先生に相談したことがあったのですが、
不眠だからと言ってお酒を飲むのは良くない。お酒を飲むぐらいなら、
睡眠薬を飲んでぐっすり眠って、翌日疲れを残さずに仕事をした方が良いと。

その産業医の先生が、私の会社の来る前に勤めていた企業では
管理職の約半数は睡眠薬を飲んでいたとか。
本当かな?と思うのですが、そこまでして働きたくないなと。

睡眠薬なんか飲まず、お酒を飲んで憂さを晴らし、
翌日は二日酔いで嫌々、そしてダラダラと仕事をする。
そっちの方が至って健全だと思うのですが・・・

管理職は仕事が大変だから、薬飲んで、きちんと睡眠をとって疲れを無くし
効率良く仕事をしましょうなんて、全く同意ができませんでした。



話はそれましたが、最近はお酒を飲んで何とか精神の調子を保っている感じです。
これはこれで、一歩間違えばアル中への道を歩むことになりますので
危険なことなのですが。

私の知り合いのトレーダーさんは、3人程アル中疑いの人がいます。
(私の見立てでは完全なアル中です)
彼らはお金もそこそこあるので、もうまともにトレードもしていません。
そして揃って連続飲酒です。
連続飲酒というのは、夜お酒を飲んで、寝て、朝起きたらまた直ぐに飲み始める。
寝ている以外は1日中アルコールを体に入れています。

そのうちの一人は日中仕事をしているのですが、
緑茶のペットボトルの中に焼酎を入れ、飲みながら仕事をしているようです。
経営層の人なので、まわりの人も注意できないようです。
それはそれで不幸なことのような気がします。

昼酒と言っても、私の場合、月に1度あるかないかです。
W360Q75_IMG_6752.jpg
明るいうちから生ビール
W360Q75_IMG_6759.jpg
にぎり寿司と天ぷらの定食 
W360Q75_IMG_6768.jpg
ファミレスの和食なので・・・
やはり、お寿司は寿司屋で食べたいです。
W360Q75_IMG_6762.jpg
天ぷらは揚げたてで美味しいです。
なんか、旅行に来た気分になりました。
旅行も当分の間行けそうになく、寂しいです。
W360Q75_IMG_6770.jpg
追加で生ビール
W360Q75_IMG_6765.jpg
妻はうな玉せいろ蒸しの定食
うな玉を半分もらいましたが、とても美味しくてお酒が進みました。
W360Q75_IMG_6774.jpg
角ハイボール

もう一杯飲みそうになりましたが、
昼から飲みすぎるのもあれなので、控えておきました。
W360Q75_IMG_6778.jpg
最後にデザート
W360Q75_IMG_6780.jpg
妻のデザート

帰りにスーパーで買い物をして帰りましたが、私は酔ってダウン。
車の中で寝ていました。
自宅に帰ってからはシャワーを浴びて布団に入ってひと眠り。
そして、夜も焼酎を400ml飲みました。

といった感じで、昨日は昼も夜も1日飲んでいました。
たまには昼酒も良いですが、体はかなりきつかったです。
スポンサーサイト



category: 夢職の日々202007

tb: 0   cm: 3

宮ヶ瀬ダムへ  

■7/24(金)

4連休は何も予定がありませんでしたが、
妻に宮ヶ瀬ダムに行こうと誘われて
急遽出掛けることになりました。

宮ヶ瀬ダム(愛川町観光協会から抜粋)
---------------------------------------
宮ヶ瀬ダムは、東京都心から約50km、横浜や川崎の市街地から
約40kmという近さの場所にある、首都圏最大級のダムです。
平成13年に神奈川県のほぼ中央を流れる相模川に注ぐ支流のひとつ、
中津川に完成しました。
この宮ヶ瀬ダム建設によって生まれた人造湖の宮ヶ瀬湖は、
現在、神奈川県に欠かせない水源地となっています。
---------------------------------------

自宅から車に乗って宮ヶ瀬湖へと向かいます。
途中、オギノパン本社工場直売所に寄りました。
W360Q75_IMG_6428.jpg
オギノパン本社工場
4連休ということもあってか、バイクのツーリングで来ている人も多く
駐車場も満車で少し待ちました。
W360Q75_IMG_6430.jpg
工場直売所のわきにある扉を開けると工場見学ができ、
パンを焼いているところが見れます。
休日だったので、あまり生産はしていないようでした。
この工場では近くの学校の給食のパンも作っているとのことでしたが、
コロナ禍で生産は減っているのかもしれません。
W360Q75_IMG_6433.jpg
私の家の近くにあるパン屋は、学校関係との取り引きが多かったようで、
つい最近、閉店してしまいました。
安くて美味しいパン屋さんだったので、とても残念です。
パン屋の直売所で、あげぱんなどを購入しました。

続いて、服部牧場へ
W360Q75_IMG_6455_202007301046536b4.jpg
服部牧場は乳牛中心の牧場で、他にも羊、やぎ、馬、あひる、犬、
インコなどの動物と触れ合うことができます。
駐車場を含めて見学だけなら無料です。
W360Q75_IMG_6447.jpg
精神を病んでいる私にとって、動物との触れ合いは癒されます。
W360Q75_IMG_6494.jpg
ホルスタイン成牛舎
W360Q75_IMG_6472.jpg
ホルスタインというのは、牛の品種だそうです。
日本では主に乳牛としてのイメージが強いですが、
欧州では肉乳両方を目的として飼育されているそうです。
W360Q75_IMG_6471.jpg
凄く大きくて威圧感がありますが、とても大人しいです。
直ぐ近くで見ることができます。
W360Q75_IMG_6477.jpg
山羊を見たり
W360Q75_IMG_6483.jpg
馬を見たり

牧場ではソーセージ工房アイス工房BBQのお店などもあり
食事をすることもできます。
アイスクリーム工房は激混みで凄い列でした。

牧場を見学してからは、宮ヶ瀬ダムのある
神奈川県立あいかわ公園へ。
W360Q75_IMG_6565.jpg
駐車場代は平日は無料ですが、休日は500円/日かかります。
W360Q75_IMG_6502.jpg
宮ヶ瀬ダムは、公園の管理等から1,000m徒歩15分かかります。
W360Q75_IMG_6503_20200730110601f1a.jpg
バスだと300円です。
小さい子供がいるとバスも楽しそうですが、私は道中の景色も
楽しみたかったので歩いて行きました。
W360Q75_IMG_6506.jpg
石小屋ダム
W360Q75_IMG_6562.jpg
近くまで行ってみました。
石小屋ダムは宮ヶ瀬副ダムの通称で、
宮ヶ瀬ダムの放流水および愛川第1発電所の放流水を調整し、
下流の急激な水位上昇を抑制する逆調整機能があるそうです。
W360Q75_IMG_6560.jpg
ダムの上も歩けます。
W360Q75_IMG_6558.jpg
ダムの上からの眺め
W360Q75_IMG_6510_202007301826017b7.jpg
石小屋ダムから上流に5分程歩くと宮ヶ瀬ダムになります。
宮ヶ瀬ダムは堤高156m。
国内の重力式コンクリートダムとしては第2位。
堤体積は206万立方メートル。これは国内の重力式コンクリートダム中最大です。
日本100ダムより引用
W360Q75_IMG_6519_202007301826024e2.jpg
ダムからの水はきれいなエメラルドグリーです。
季節によって水の色は変わるとか。
W360Q75_IMG_6520_20200730182604af5.jpg
宮ヶ瀬ダム
月に数回放流する日があるそうですが、
新型コロナウイルス感染拡大防止のため現在は観光放流は中止されています。
W360Q75_IMG_6535_20200730182605bf7.jpg
間近でみると迫力があります。
放流、見たかったです。

といった感じで、久し振りの外出は楽しかったのですが、
精神状態はこの後更に悪くなりました。

今日は妻の仕事が休みでしたので、一緒にランチへ行き
やけくそで昼からビールを飲んでしまいました。
時間があったら、その時のことを書きたいと思います。

category: 旅行

tb: 0   cm: 0

近況  

またしても、ブログの更新が滞っていました。
そろそろ更新しないと忘れられしまいそうなので、
近況を書いておきます。


涼しくて体調は悪くないのですが、精神面が低位で安定しています。
ここ1ヵ月ほど、漢方薬の抑肝散を飲んでいますが
これは気休めですので効果は全くありません。

4連休中の最終日である7/26(日)
あまりにも調子が悪く、精神が無限に落ちて行きそうな嫌な感覚になったので
ソラナックス(抗不安薬)を1錠頓服で飲みました。
このソラナックスは妻が緊張性頭痛で過去に脳外科で処方された薬です。
飲んだら幾分気分が落ち着きました。
もっと早く飲んでおけば良かったか?
といっても、ベンゾジアゼピン系の薬は依存などの関係で
連用できないのですが。


今の私は、鬱というよりも、
不安神経症の要素の方が大きいように思えます。
昔からですが、予期不安が酷いです。
起こるかどうか分からないこと、起こる可能性が極めて低いことでも
起きるのではないかと勝手に考えてしまいとても不安になります。



こんな状態がもうしばらく続くようであれば、
再度、精神科の門を叩かなくてはならないかなと思っています。
予防的に、抗不安剤が手元にあると安心できそうなので。

元々は自閉症スペクトラム障害というベースがあって、
その上に、鬱病、不安神経症、強迫神経症という持病があるので
なかなか安定した生活を送れません。
ずっと誤魔化し誤魔化し生きています。

でも、これは治るようなものでもないですし、
上手く付き合いながら生きていくしかありません。
しばらくは、どっぷりと苦しみながら生きています。



7/23(木)~7/26(日)までの4連休は、
部屋を掃除するなど、自宅で私用を片付ける予定でしたが
全く手が付きませんでした。

唯一、7/24(金) 妻に誘われて神奈川県の宮ケ瀬湖の近くに行ってきました。
この地は、つげ義春の貧困旅行記のなかの「丹沢の鉱泉」にも出てきた所なので、
是非とも行ってみたいと思っていました。
余裕のある時に、その時のことを書こうと思います。

category: 夢職の日々202007

tb: 0   cm: 0

近況  

しばらくブログの更新が滞っていました。



今年はなかなか梅雨が明けず、涼しくて体調はすこぶる良いのですが
精神面での調子が悪く、やる気が起こらず、毎日布団でゴロゴロとして過ごしています。
本もあまり読めていません。



東京では、コロナ感染者が日々増えており、
不安神経症である私は人一倍恐怖を感じています。
都内に出掛けることや、一人で外に飲みに行くことを控えています。
家族での外食もずっと行っていません。

外食は、平日の昼にランチを食べに、
開店直後の空いている時間に一人でサッと食べに行くぐらいです。
長時間、飲食店に滞在することには抵抗感があります。

こんな感じで、コロナウイルスのために、これまでの日常が失われてしまい、
精神のバランスを崩しているのかもしれません。
楽しいことは何もありません。



昨日は、自宅で久し振りにお酒を飲みました。
ずっと晴れない気分でしたが、お酒を飲んだら一瞬気分が良くなりました。
今日の夜も飲むことにしました。



明日から4連休ですが、予定は全くありません。
Go To トラベル キャンペーンが今日から始まりますが、
東京は除外されているため何の恩恵もありません。

しかし東京が適用されていたとしても、旅行には行かなかったです。
観光地などの人混みに行き、コロナにかからないという自信が全くないからです。
上の子は旅行へ行く気満々だったようで、東京都除外をとても残念がっていました。

私はこの先も、しばらくは家でじっとしているつもりです。



会社員時代の話は、あと2~3回で終わる予定です。
できれば、この週末に終わらせたいです。



面白いことは何も無いです。
秋になり涼しくなって外出できるようになったら、
埼玉方面の丘陵地帯(狭山丘陵・加治丘陵あたり)を歩きに行こうと思っています。
それまでは部屋にひきこもって、鬱々とした日々を送っています。

category: 夢職の日々202007

tb: 0   cm: 0

16年間の会社員生活について その21  

16年間の会社員生活について その1~20はこちらから
         10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

2012年4月(入社17年目 40歳)
退職まであと8ヵ月

入社17年目の4月を迎えました。
1ヵ月ほど休職をして精神病院に入院しましたが、鬱は全く良くならず。
にも拘わらず、なぜ復職したのか。今となっては理解に苦しみます。
生活の為に早く仕事に戻って、お金を稼がなくてはならないと考えたのだと思います。

休職中も、仕事を辞めてからもそうですが、
私はお金のことがとても心配でした。
幾らかの蓄えはありましたが、当時はまだ2人の子供も小さく
今でこそ妻は働きに出ていますが、彼女は結婚して以来ずっと専業主婦でしたので、
これからの生活のことを考えると、収入が途絶えてしまうことは
恐怖以外の何物でもありませんでした。
そのことが、一層鬱を悪化させたようにも思えます。


復職してからは、この4月から変わった新任のN部長と、
直属の上司であるM課長と3人で面談をしました。
M課長が、私の病気の経過や、これまでの業務の事を
新任のN部長に説明していたと思いますが、
私は抜け殻のようになっていて、殆ど発言することはありませんでした。
とにかく辛くて、早く面談が終わって欲しい。そのことは覚えています。


復職後は半日勤務を2週間続け、それに慣れたら1日勤務を2週間続け、
それができたら、通常勤務に戻るといったものでした。
この4週間に渡る、半日勤務、1日勤務の期間中は会社に慣れるという目的のため
無給(休み扱い)でした。

半日勤務の2週間は、苦しいなりになんとか乗り越えました。
といっても、休職前よりも精神状態は確実に悪化しており、仕事は全くできませんでした。
ただ、会社へ行って時間を潰している毎日。

良く行ったのは、屋上へとつながる非常階段です。
屋上への扉は施錠されていて誰も来ることはないので、
そこの階段に座って、ひたすらじっと時間を過ぎるのを待っていました。

しかし、ある時M課長が、私がいなくなったと大騒ぎして探し回ったようで、
「どこに行っていたんだ」と怒られことがありました。
私は調子が悪くてトイレに行っていましたとでも誤魔化したように思えますが、
その時のことは明確には覚えていません。


2週間の半日勤務が終わり、1日勤務になってからは更に地獄のような日々でした。
何もする気が起こらない、体が動かない、ずっと固まっていたいのですから。
半日勤務の時は、ほどんどの時間を階段で過ごしていいましたが、
1日勤務になり、8時間何もしないで過ごすことはとても苦しかったです。

それでも、1週間が過ぎ、2週目も1日か2日経ったところで、
もう、これ以上会社へ行くのは無理だと思い、再休職することを決断しました。
この時のことも、あまり記憶にはないのですが、
会社に常駐している産業医の先生に相談して、
精神科へ行き診断書を書いてもらって、再休職したように思います。


上司のM課長には、「これまでずっと復職に向けて頑張って来て、あと3日で復職できるのに」と
とても残念がられたのを覚えています。
でも、仮に復職できたとしても、会社では何も出来なかったことには変わりありません。
もう限界でした。
とにかく休みたかった。何もしたくありませんでした。


その22 に続く

category: 無職・仕事

tb: 0   cm: 0

近況  

コロナウイスの日本での感染は
今年の1/21にクルーズ船で最初の感染が報道されて以来
もう6ヵ月になろうとしています。

その間、自粛期間があったり、休業要請があったりして、
生活様式が大きく変わってしまいました。
いまだにリモートワークをしている人や、学校が休みの人もいるのではないかと思います。


そんな生活を社会全体が6ヵ月近く強いられているせいか、
体調を崩したり、精神的に参ってしまっている人が増えているそうです。
鬱や原因不明の体の痛みなどを訴える人が多いとか。


私もここ1ヵ月位は精神的に不安定になっていて、
朝起きた時辛く、日中も無気力なことが多いです。

しかし、会社員時代の事を思い出しながらブログを書き、
当時の鬱病のことを思い返してみると、
現在の状態とは比較にならないほど辛かったように思えます。

当時の自分を一言であらわすならば「廃人」です。
体が全く動かず、考えることも全くできず。
石のようになって1日家でじっとしていました。

時々、物凄い焦燥感、不安感が突然襲ってきて
頓服の精神安定剤を服用するもどうにもならず、
あまりにも辛すぎて、何度か予約外で精神科を受診していました。
身のおきどころが無い辛さです。


それに比べれば、今、私が調子が悪いといっても、
当時と比べるととても生ぬるく、自分の甘えではないかと感じるぐらいです。

category: 夢職の日々202007

tb: 0   cm: 0

16年間の会社員生活について その20  

16年間の会社員生活について その1~19はこちらから
         10
11 12 13 14 15 16 17 18 19

2012年1月頃(入社16年目 39歳)~2012年3月(入社16年目 39歳)

前回書きましたように、眼瞼痙攣という目が開かなくなる病気に加え
うつ病も酷くなり、かろうじて会社へは行けたものの仕事にはなりませんでした。
会社へ行くときに自転車で行くのですが、眼瞼痙攣の症状で
太陽の光が眩しくて、眼が開け辛かったことを覚えています。


会社に出社しても無気力で何もする気が起こらず、
普段いるオフィスから抜け出して、実験設備のある研究棟の空き部屋へ行き
横になって目をつぶっていました。
ただ、会社に通っているだけの状態でした。

ある時、職場の飲み会があって、その時不運にも部長の隣の席になってしまいました。
嫌だな。最近は仕事を全然していないし、何か説教をされるのかなと身構えていたら、
「ニックさんはよく頑張っているよ」と予想に反して優しい言葉をかけられ、
その瞬間に涙腺が崩壊し、涙がボロボロとこぼれだし、
恥ずかしくてトイレに駆け込んだことを覚えています。
(40歳になろうとしている大の大人が、大勢の前で泣くなんて・・・)

こんな感じで、完全に精神が崩壊していました。


にも拘らず、私がかかっていた会社から紹介された精神科の主治医は
辛さや苦しさを訴えても、これまでと同じような処方しかされませんでした。
そして2012年の3月、一度目の休職をすることになりました。
その時の状況は良く覚えていないのですが、体調が悪く会社を休んだものの、
自宅でもいてもたってもいられなくなり予約外で精神科を受診。

私の担当医が不在の日で、院長先生が急遽診察して下さって、
そのクリニックと提携している精神病院に、その日のうちに入院したのだと思います。


初めて精神病院に入院しましたが、その時のことはあまりよく覚えていません。
主治医は30歳前後の若い先生でしたが、あまり話を聞いてくれず
信頼できるような人ではありませんでした。

結局、2週間ぐらい入院して、直ぐに退院したような気がします。
おそらくですが、先生も信頼できず、病院の居心地も悪く、
自分から退院を願い出たのだと思います。


1ヵ月ほど休職して、2012年4月(入社17年目 40歳)から復職することになりました。
まだ、仕事に戻れる状況ではありませんでした。

その21 に続く

category: 無職・仕事

tb: 0   cm: 0

16年間の会社員生活について その19  

16年間の会社員生活について その1~18はこちらから
         10
11 12 13 14 15 16 17 18

2011年4月頃(入社16年目 39歳)~

N部長直属のプロジェクトは終わる方向に進んで行いき、
それと並行して新しい業務を担当することになりました。

新しい仕事は、射出成型の際の樹脂の流動を解析をする仕事で、
1日中パソコンに向かってシミュレーションをしていました。
そのため、酷い眼精疲労、肩こり、腰痛と体がボロボロになり、
それに伴って鬱も酷くなりました。


特にずっとパソコンに向かい続け眼を酷使していたせいか、
眼の奥が激しく痛み、また、異様に乾いたり、眩しさを感じたり、
酷い時には眼が開かなくなりました。

あまりにも調子が悪いので眼科に行くのですが、
眼精疲労、ドライアイなどと診断され、
眼を休めたり、点眼剤を差したりしましたが一向に良くなる気配はありませんでした。

また、私は近眼で眼鏡を掛けていましたが(現在は老眼が進んで掛けていない)
度数が合っていないかもしれないということで、遠近両用メガネを含め
新たに何本も眼鏡を作りました。
これも徒労に終わりました。


原因が分からず、症状も良くならなかったので
眼科は大学病院を含めて、覚えているだけで6ヵ所に掛かりました。
そのなかのある眼科で、眼瞼痙攣という病気かもしれないと言われ、
お茶の水にある井上眼科を紹介されました。
そこの神経眼科外来で眼瞼痙攣であることが確定しました。

眼瞼痙攣の詳細はこちらです。
日本眼科学会 眼瞼痙攣

症状はこちらにも書かれているように、
まぶしい、目が異常に乾く、目の中がゴロゴロする、眼が開かなくなるなどです。
あとはピントが合わずクラクラするといった症状もありました。

これらの症状は、特にストレスが生じる時に酷くなり、
例えば上司と話をするときなどは、眼が自然に閉じてしまい、
指で瞼を上げながら会話をしていました。
眼の奥の痛みも酷くて眠れないぐらいでした。

この病気の原因は大脳にある運動を抑制するシステムの機能障害と考えられているようです。
簡単に言えば、脳の誤作動です。
この原因はまだよくわかっていないようで、完治はしません。
特に薬も無く、対処療法しかありません。
眼が開かない症状にはボトックスの注射を眼の周りに打って
ボツリヌス菌により緊張している筋肉を麻痺させて症状を改善させました。

眼が渇く症状に対しては、ドライアイの治療にも用いられる
点眼プラグ(下涙点を塞ぐ)を提案されましたが、
人工涙液(ソフトサンティア)や、ドライアイ治療薬(ティアバランス、ジクアス)の
点眼剤を差して凌ぎました。


眼瞼痙攣という聞きなれない病気にかかってしまい、不安になりネットで調べると、
この病気は完治することは無く、進行性の病気で、いずれは目が開かなくなってしまう
(開眼失行:意図的に眼を開けられなくなる)といった事実を目の当たりにして、
酷く落ち込んだことを覚えています。


しかし私の場合、幸か不幸かあれから10年経ちますが、症状は進行することなく、
仕事を辞めた後から徐々に回復していきました。
現在は、完治はしていないものの寛解しており、目は普通に開きます。
しかし、パソコンを長時間したり、強いストレスを感じるような時は、
心持ち瞼が重たくなり、眼の周りがギュッと閉じるような感覚があります。
目の渇きは良い時は良いのですが、ダメな時は頻繁に点眼剤を差します。
眩しは殆どありません。
現在は、日常生活を送る分には全く支障は全くありません。


ストレスからとんでもない病気になってしまいましたが、
この病気を患ってから「もうパソコンに向かう仕事はできないかな」と思い、
退職することを考え始めたように思います。

その20 に続く

category: 無職・仕事

tb: 0   cm: 0

16年間の会社員生活について その18  

16年間の会社員生活について その1~17はこちらから
         10
11 12 13 14 15 16 17

2008年4月頃(入社13年目 36歳)~2010年3月頃(入社15年目 38歳)まで
しばらく携わってきた研削の仕事から離れることになりました。

N部長のアイデアで、光硬化樹脂で部品を成形する製造方法の
開発をすることになりました。
N部長直属のプロジェクトでメンバーは私一人でした。

しかし、いつもように全く興味が持てません。
本当につまらない毎日で、生活費を貰うために会社に通っているようなものでした。
仕事が嫌で嫌でたまらなく、会社に行くのが辛かったです。
この頃は、朝自宅の玄関を出るとき、えずいて吐きそうになりました。
鬱も酷くなり、仕事中も意味も無く自然と涙がこぼれてきて
会社のトイレの個室で良く泣いていたのを覚えています。

N部長はあまり優秀な人ではありませんでした。
自分の思い付きで色々なことをやっていましたが、
実現の可能性が低いことばかりやっていました。
彼の趣味でやっているような感じでした。

担当している私は、初めからこのプロジェクトは失敗に終わるなと
思っていたのですから、先は見えていました。



これまでの私の業務は、
既成の加工機を使って加工法の開発を行ってきたことが殆どでしたが、
この時は、成型用の設備を選定し、工作機械メーカーから購入した上で
その設備を改造するための設計なども行い、かなり大変の業務でした。
設計などはやったことが無かったので、後輩に色々と聞きながら勉強したのを覚えています。
メンバーは私一人なので、設備改造の設計から、部品の加工実験、評価まで
全てをこなさなくてはなりませんでした。


部長の発案したプロジェクトでしたが、
直属の上司であるM課長も、私と同じようにこの加工法の実現性は低いと感じたようで、
プロジェクトを中止させるため、、「この加工法では部品を安定供給できない」といった
データを取るように、裏で指示を出してくれました。

私はそのデータをこつこつ取って、
このプロジェクトは終わる方向へと進み始めました。



私の直属の上司であったM課長は、私より4~5歳年上でとても優秀な人でした。
機械設計をずっとやってきて人で技術的にも詳しく、人柄もとても良かったです。

自分の出世や成果を第一に考える上司が多い中
彼は部下のことを第一を考えてくれる人でした。

だから、彼は上司である部長にもゴマを擦ることは一切なく、
間違いと思ったことはきちんと進言して
激しく議論しているところを何度も見かけました。

後にも先にも、上司に物申すことのできる人物を見たのは
彼ぐらいだったと思います。



M課長は高等専門学校卒でしたが、課長まで出世しました。
私の会社は実力主義で、出世には学歴はあまり関係ないように思えました。
私が辞めた後、本部長になったM.K.さんも高専卒でした。
学閥なども無さそうで、成果を出せば報われる。実力主義の会社でした。
そういった意味では、とても風通しの良い会社だったと思います。

私が就職活動をしてた時、N社も候補にあったのですが、
研究室の講師であったN先生に、N社は学閥があるからやめた方が良いと言われました。
今はどうか分かりませんが、当時は財閥系の会社は
(三井、三菱、住友、安田)
一般的に学閥が強く、旧帝大を卒業していないと出世はできないと言われていました。


まあ、40歳平社員※で終わった私には全く関係ない話ですが。
(※課長代理でしたが、30歳を超えるとみんな課長代理)

その19 に続く

category: 無職・仕事

tb: 0   cm: 2

16年間の会社員生活について その17  

16年間の会社員生活について その1~はこちらから16
         10
11 12 13 14 15 16

2003年4月(入社8年目 31歳)~2007年3月頃(入社12年目 35歳)までは
研削加工という、金型を作るために金属を削る加工法の開発をしていました。
当時の記憶はもう薄れてしまって、印象深かったことはあまり覚えていません。
仕事を辞めた時に、私的な記録や資料の大半は捨ててしまったことが悔やまれます。

私の仕事は研削加工機を使って実験をしていたのですが、
実験用の専用機が無かったので、生産用の設備を借りて実験をしていました。
しかし、生産が忙しくなると日中設備を借りることができず、夜間に出勤していました。



生産設備が使われているのは9:00~19:00頃まででしたので、
夜間の勤務の時は、19時頃から明け方に仕事の切りがつくまで働いていました。
大体、5時過ぎに帰っていたと思います。

日中は千人以上働いている事業場でしたが、私の働いている棟は夜中は誰もいなくなり、
一人で働いていることがとても心細く感じました。
夜中の2~3時頃に、懐中電灯を付けた警備員の人が見まわりに来るのですが、
いつも突然来るのでびっくりしました。
警備員の人は4人ぐらいいて、交代で勤務しているようでした。
その中で、土方さん(50代ぐらい)とは特に仲が良くなり、いつも雑談を交わして楽しかったです。

土方さんは競馬が好きで、私が金曜日の夜間の勤務の時は、
土曜日の朝、会社正門の守衛所で挨拶して帰ろうとすると、
「ちょっと競馬新聞を買ってきてくれ」と頼まれて、近くのコンビニに新聞を買いに行かされました。


加工の実験は、設備に加工物をセットすると1~2時間自動加工するので
その間は待ち時間となります。
日中勤務の時は、空き時間はレポートを作成したり、計画を立てたり、特許の発案をしたりと
仕事をしなくてはなりませんでしたが、夜中勤務の時は同僚の目が無いので、
インターネットをしたりして遊んでいました。
だから日中勤務の時より楽でした。


空が明るくなり、世の中が動き始める頃に
自宅に帰れるのが嬉しかったことを覚えています。
家に帰ってからは、缶酎ハイを1~2本飲んで布団に入って眠る。
これは幸せな気持ちになれました。

9:00頃~16:00頃まで寝ていたと思います。
当時は集合住宅に住んでいて、午後になると学校から帰ってきた子供達が
近くの公園で遊び、箱型ブランコの音がうるさくて目を覚ましてしまいました。
昔から音には敏感だったようです。


その18 に続く

category: 無職・仕事

tb: 0   cm: 0

近況  

今日は雨が降ったり止んだりの一日でした。
一歩も外に出ず。
家で静かに本を読んで過ごしました。
昼はインスタントラーメン。

今読んでいる本は、臨床心理学の本です。
別に心理学士を目指しているわけではありません。
自分を知る一助になればと思って読んでいます。



コロナ感染はおさまる気配がありません。
ここ数か月で、私が良く行くもつ焼き屋さんが無くなり、
安くて美味しいパン屋さんも閉店しました。

これから感染者数が増えてくれば、外出も自粛するようになるだろうし、
外食や旅行も控えることになるでしょう。

それに伴って厳しいと思われる業種は
・飲食(店舗での外食、長時間滞在の飲食)
・風俗(キャバクラ、ホストクラブなど)
・宿泊(温泉施設、ホテル)
・交通(飛行機、長距離のバス、電車)
・スポーツ観戦(野球、サッカーなどの観戦)
・イベント(コンサート、ライブ、観劇など)
・土産物関連全般(観光、スポーツ、イベントに伴うもの)
・カラオケ
・スポーツジム

こういった会社の倒産や廃業が、今後は増えていくような気がします。
個人的には、飲食店が無くなってしまうのが辛いです。
大手のチェーン店系も、不採算店はどんどん閉店していくだろうし。
旅行の計画も全く出来ません。
コロナ禍後の世界は、私にとっては大きなマイナスです。


経済的にもかなり悪くなると思いますが、
これまでが異常に豊か過ぎただけなのかもしれません。
私が子供の頃(昭和50年代)と比較すると
今の時代は物が安価で溢れていると感じます。
家族での外食も、年に数度しかしませんでした。


貧しく質素な生活に戻るのも良いのかもしれません。
外食もせず、酒も全く飲まず、一汁一菜の生活。
私も将来はそういった生活を目指すことになるのか?

category: 夢職の日々202007

tb: 0   cm: 0

近況  

1週間以上ブログの更新をしていませんでした。
体調はそこそこ良いのですが、精神面が不安定で
何もする気が起こりませんでした。

日中も、家でじっとしていることが多く
殆ど外出しない日々を送っていました。

調子が悪い日は、昼間から4時間ぐらい寝てしまい、
過眠傾向にあります。
食欲は普通にあるので、まだ大丈夫ですが
あまり良くない兆候です。



唯一していることは読書です。
最近は聖書を愛読書としている人の書いた本を読みました。

私自身は生まれてからずっと信仰する宗教は無かったので、
神のことについて書かれている部分はあまり理解できませんでしたが、
一方で何かしらの宗教を信仰し、神を信ずる人は
信仰の無い人よりも幸せではないかと思いましました。




「人生のあらゆる困難は、信仰を深めるための試練であり、
神があえて与えてくれているものだ」
私は信仰心はありませんが、これまでの事を振り返ると
困難な時は自分自身が内的に成長している時期でもあるので、
試練はよりよく生きるために必要であると 思えます。

「病気などをしたときも、神が休みなさいと言っている」
これも、生き方に無理があるからに病気を患った可能性があるので
自分自身の生き方を見直す良い機会だととらえられます。




信仰があることの最も良いことは、
何か目に見えない大きな力に支えられていることだと思います。

私は苦しいことがあっても、いつも一人で戦わなくてはなりません。
相談できるような人もいませんし、これまでを振り返っても
相談したことについて的確なアドバイスが帰ってきた記憶が
一度もありません。

出来ることと言えば、過去に同じような経験をした人の書物なりを読んで、
(ブログとかでも良いです)
自分自身で考えることぐらいです。
一人での作業ですから、とても心細いです。

だから信仰がある人は、(少なくとも信仰の無い私よりも)
安心して生きられるような気がします。



では、これから私が信仰心を持てるかと考えると、
それは難しいような気がします。

信仰を持って生きるとは、心の底から神の存在を信じ、
その教えにそって生きることです。
形式的な信仰は全く無意味です。
今の私には、どう考えても神がこの世の中に存在するとは思えません。

また、一般的に宗教は享楽主義を嫌います。
仕事をせず、毎日無為に過ごしたり、
美味しい物を食べることを生きがいにしたり、
沢山のお酒を飲んで楽しい気分に浸るというように
快感を味わう事を人生の目的としてきた私のような人間が
そういった一切のことを、今後捨てていけるのかは甚だ疑問です。


私はこれまで宗教や信仰に関しては、否定的に考えていましたが、
(否定的というのは、宗教自体を否定するものではなく、
私が生きる中では必要ないと考えていた、という意味)
今回本を読んで、信仰も悪くはないものだと考え直しました。



今日は少し体が動くので、これから一人で飲みに行きます。

category: 夢職の日々202007

tb: 0   cm: 2