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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

自分にふさわしい場所  

鬱で仕事を辞めたのが2012年11月。
その後は、精神病院に入院するなどしばらく療養して
2014年1月からトレードをはじめました。

2014年はアベノミクス相場も重なって、会社員の時代年収を(少し)超える利益が出ました。
こんな幸運は長くは続かないとは分かっていたものの、
当面の生活費は確保できる見通しが立ち安堵したことを覚えています。

翌年の2015年1月
職を失って自由となったと共に、幾ばくかのお金を得ることができたので
一人旅に行くことにしました。
岡山、大阪、京都と巡り、関西に住む友人とも会いました。

会社員時代は時間に追われ、給与は生活費にあてていたため
(小遣いの2万円を差し引いて、全額妻に渡していた)
一人で旅行などには行けませんでした。

前年、株で稼げたことの嬉しさとともに、
自分は株で稼ぐことのできる選ばれた人間であるという意識もあり、
人生で始めて新幹線のグリーン車に乗りました。
とても心地良かったことを覚えています。

翌年もグリーン車に乗りました。しかし何となく居心地が悪い。
周りの乗客を見てみると、スーツを来たビジネスマンや外国人観光客。
仕事で成功した人たちが多かったような気がします。
それに対して、自分は株でお金を得た成金。
なんとなく恥ずかしさを感じ、自分が場違いな空間にいるように感じました。
翌年以降、新幹線に乗るときは普通車にしました。
そこが、自分にふさわしい場所に思えました。


貧困旅行記 つげ義春著より
氏が友人に「つげさん向きの温泉がありましたよ」と勧められた上州湯宿温泉へ行った時のこと
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路地の奥まったところに宿をとると、二階に廊下の板が一枚はがれ、
長い穴がぽっかりあいたままだった。
階下が見え空中を歩いているようで不安だった。
通された部屋は畳のワラがはみだし傾斜しているので、横になると隅の方へころげていきそうであった。
隣室との境の襖もぼろぼろに破れている。
ぴったり閉じないので覗いてみると、数珠の音が聞こえる。

呪文のようなお経のようなかすかな声もきこえる。だが人はいない。
隣の方に自炊道具がころがっていて七輪がある。
その横に黒い影となってこんもりとボロ布の山がある。
それがかすかに動いている。よく見るとどうやら人のようだ。
ボロ布のかたまりと思ったのは老婆のようであった。
線香の匂いもただよってくる。
宿屋でお経と線香の匂いに遭遇するとは予期せぬ出来事だ。
つまらぬところ来てしまったと後悔した。
もう少しましな宿はなかったのか。いやどこも同じようだった。

夜、床の中で、ここがどうしてぼく向きなのかまた考えてみるが解らない。
隣の部屋からはいつまでもお経の声がうめくように流れてくる。
「やりきれんなァ」と気持ちが滅入る。
夜半、路地のほうから、「火の用。カッチ、カッチ」と
拍子木の音が淋しそうにきこえ、思わず寒々とし、寂寥とした気持ちが胸に迫り、
人生の涯(はて)、旅路の涯に来たような絶望的な気分におちこんでしまった。

これは14年前の印象だったが、今度また湯宿に来てしまった。
これが二度目ではない。もう何度も来ているのだ。
何を好んでといわれても答えようがない。ふと思い出すと来てしまうのだ。
その都度寂寥とした思いになるわけではないが、妙に馴染めるのだ。
みすぼらしくて侘しげな部屋にいる自分が何故かふさわしいように思え、
自分は「ここでこうしていたのかもしれない」というような、そんな気分になるのだ
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私が幼少期の頃、親戚のアパートに間借りしていました。
八畳、四畳半、台所といった間取りで、両親と妹の4人で住んでいました。
食べるのに困るほど貧乏ではありませんでしたが、裕福でもありませんでした。

私は日曜日の午後に塾に通っていました。
塾が終わると友人とファーストキッチンに行くのがいつものことでした。
友人は、ハンバーガーにポテト、ドリンクを注文していましたが、
私はお金が無いのでポテトのSサイズしか注文できませんでした。

ポテトのSサイズだけではお腹が満たされず、
お金を沢山持っている友人を羨ましく思いました。



今、私が考えていることは、
自分のふさわしい場所、生き方はどんなものかということです。

私の幼少期時代の、貧しく少し飢えている状態というのは
なかなか良いもののように思えます。
今でもしっくりいく、馴染める感じです。
自分が目指すのは、物質的に豊かになることではないような気がするのですが、
具体的な方向は見えていません。
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category: 思索

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