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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

コメントへの返信  

コメントの返信を少し書きました。
なかなかタイムリーに返信できなくて申し訳ないです。

コメントへの返信 その2  より
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僕も未来は自由気ままに、他人を気にせずゆっくりと生きて行きたいです。
僕は子供のころから集団行動が苦手で今思えば発達障害なのかと思う事があります。
HSPは確実に当てはまると思っています。
家の子はまだ6歳ですから僕の現状を理解していないのが救いでしょうか。
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アツシさん
コメントありがとうございます。

集団行動が苦手というのは私も同じです。
多くの仕事は組織の中で働くので、協調性が求められます。
私は無職になってから一時期植木職人を目指そうと思ったことがありました。
一人で黙々と仕事をするのが自分には合っていると思ったからです。
トレーダーも一人でできることなので合っていました。
稼いだ利益は全て自分のものですし、それも良かったです。
しかし負けが込んでくると精神的に耐えられず、
自分には続けることが難しいと思ってやめました。


私が仕事で一番苦しんだのは、
自閉症スペクトラム障害の特徴にもある「興味の限定」です。
仕事とは言え、興味のないことに取り組むのことが苦痛でした。

仕事を辞める理由として、多くの人が人間関係を挙げていますが、
私の場合人間関係は大変恵まれていて、合わない人は殆どいませんでした。
むしろ、やりたくない、面白くない、興味のない仕事に
日中の大半の時間を費やすことが、生活費を稼ぐためとはいえ耐えられませんでした。

もっと早く自閉症スペクトラム障害であることが分かっていたら、
自分にあった仕事を色々と試していたかもしれません。
その中で自分に合う仕事に出会えたなら、今は無職でなかったかもしれません。


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心療内科はいつ行っても人が沢山います。
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これはその通りだと思います。
2000年代初め、私が会社の紹介で心療内科にかかった時には、
15分刻みで1人づつ診察予約の設定がされていました。
ところが2010年頃になると、
30分刻みで、その枠に3~4人の予約者が入るようになりました。
(実質一人当たり7~10分の診察です)
それだけ受診者が増えて、患者をさばききれないということです。

ここ40年で診療科目別に見た一般病院数は、
産婦人科は0.49倍、小児科は0.85倍、外科は0.88倍と減っているのに
精神科は2.52倍と一番増えているようです。
増える一方の精神科…医療施設の数の増減をさぐる(2018年発表版) より

少子化のなか、産婦人科や小児科の需要は減っているのに、
精神科はとても繁盛しているようです。

効率化が叫ばれる現代社会では、
心に病を抱える人はこれからも益々増えていくように思います。




littleX さんより
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子供に尊敬されるとか、世間体とか、親の意見とか、非常にくだらない。
それには何の意味も価値もないです。
何の仕事をしようがそれば自分の勝手です。
家族だろうが友人だろうが親だろうが人の人生にとやかく言う権利はないです。
自分として生まれた以上、自分の人生を生きる権利があります。
全ては自分です。
子供を産んだらある程度まで育てなければならないですが精々そのくらいです。
あとは法を犯さないとか。
子供にも親の人生をとやかく言う資格はないです。養ってもらってるんだから。
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コメントありがとうございます。

「自分として生まれた以上、自分の人生を生きる権利があります。」と書かれていますが、
私は長い間自分の人生を生きてこなかったです。

両親が教育熱心だったこともあり、
父親に頭を殴られながら嫌々勉強をさせられていました。
自転車が好きだったので、大学を卒業してから自転車メーカーに勤めたいと思って
父親に相談しましたが、自転車は斜陽産業ではないかと反対されてあきらめた記憶があります。

就職という大事な場面でも親にお伺いを立てる。
自分で決断ができない。
今考えるととても恥ずかしいことです。

他にも色々とあるのですが、私は40歳を過ぎるまで親の顔色を伺っていたのです。
子供の頃からずっとそういった生き方をしてきたので、半ば洗脳されているようなものでした。

私自身も親との対立を避けたい、良い子でいたいという思いもあったので、
親の言いなりになっていたのでしょう。自分にも責任はあります。
そんな生き方を悔いて、50歳を前にして親に反抗的な態度を取るようになりました。
先が短い親に対して酷なことをしているという自覚はあるのですが、
自分の気持ちが収まらないので、昔苦しめられたことを親に直接告白しています。
復讐なようなものです。



そういったこともあるのですが、
今は親や世間を気にすることなく自由に生きています。
(むしろ親や世間に対して反抗的な態度を取っているのかもしれません)
そして私の子供達には、私が親の顔色を常に窺って生ききたような生き方をしてもらいたくないので、
進路や生き方に対して何も言わないようにしています。

同年代の子供を持つ多くの親は、
子供の失敗をを恐れ、安全な道を親自身が作っているように思えます。
子供の進学先(高校や大学)を選んだり、塾を選んだりする親はとても多いです。

私は彼らとは逆で、子供達には多くの失敗をしてもらいたいし、
そこから色々な事を学んで欲しいと思っています。

私の拙い経験から言っても、生きていく中でどんなに慎重にやっても
安全地帯なんか無いのです。危険地帯だらけ。
彼らにはそういう出来事に対応できる能力を備えて欲しいと思っています。

だから、彼らが選んだことを黙って眺めています。
たとえ失敗する可能性が高いと思っていても。
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category: 無職の日々202012

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