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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

悪夢 その2  

悪夢 その1 からの続き

夢というのは、自分の心の奥深くに眠っている深層心理が反映されるのかもしれません。
先日私が見た悪夢には、自分の不遇の時代や、恨みのある人が出てきました。

私にとっての不遇の時代は2つあって、
一つは高校時代の3年間、もう一つは会社員時代の16年間です。

恨みのある人というのは両親です。
私は両親にはとても感謝をしている反面、恨みもあります。
親を恨むなんてとんでもない息子であるということには葛藤があるのですが、
自分の正直な気持ちなのですから仕方がありません。

ということで、私の高校時代、会社員時代、両親への感情について
それぞれ書いてみようと思います。
ただ、両親への感情については、ここで書くことはできないかもしれません。



■高校時代

私の高校時代は、「無味乾燥」という言葉がぴったりです。
味気なく、何の面白みも無い3年間でした。
もう少し楽しい青春時代を送れたら良かったのにと今でも思います。

高校時代はひたすら勉強に追われていました。
両親が教育熱心で、特に父親は私の成績が下がるとあからさまに不機嫌になり、
とても怖い存在でした。
私は父親の顔色を伺うために、やりたくも無い勉強をしていました。

楽しいことは何もない。
だから気晴らしに、ギャンブルをやったり、お酒を飲んでいたのだと思います。
本来は高校生のすることではありません。

友人はみんなアルバイトをしていましたが、
我が家では禁止だったので、部活と偽ってアルバイトをしていました。
そのお金でギャンブルをしたり、お酒を飲んでいました。
それが唯一楽しかったこととは、なんとも言えない、いたたまれない気持ちになります。

しかし、そのギャンブルの経験が、
後の株式投資に生きてくるのですから皮肉なものです。
人生、何がどうなるかわかりません。



学生時代からずっと人付き合いが苦手でしたが、
神田駅前に住んでいたYとは気が合いました。

彼も私と同じ数学が得意で、
一緒に駿河台予備校の数学や物理の講座に通っていました。
予備校の授業が終わってから、彼と2人でお茶の水から神田まで歩いて行き、
JR神田駅ガード下にある養老の滝で良く飲みました。

私の高校は私服通学だったので、学校帰りに居酒屋へ行っても大丈夫でした。
それでも、どう見ても20歳には見えない高校生2人が、
居酒屋へ入ってアルコール類を注文できたのは、今考えるととても不思議です。
(一度も注意されたことは無かった)
今から30年前は、おおらかな時代だったのかもしれません。

当時はまだビールは飲めず、甘ったるいサワーを飲みながら、
エビの塩焼きを食べたのを鮮明に覚えています。
私はタバコは吸いませんが、Yはヘビースモーカーでした。
タバコを吸いながら、サワーを飲むYと何を話していたのか全く覚えていませんが、
嫌いな勉強から逃れられる楽しい一時でした。

そのYも、私が43歳になった時に行われた卒業後25年目の同窓会の時に、
既に亡くなっていることを知らされました。


高校時代の3年間は、嫌いな勉強を強いられ、
楽しかったことがギャンブルと酒だったというのは
何ともいえない寂しい気がします。


悪夢 その3 に続く
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category: 夢職の日々202003

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コメント

高校時代にお酒を飲んでいたことを、両親にはバレませんでしたか?

JINJINMAN #- | URL
2020/03/29 22:56 | edit

JINJINMANさん

ニックです。
コメントありがとうございます。

返信はこちらに書きました。
http://dourakumusuko102.blog.fc2.com/blog-entry-1502.html

ニック #qXOZr2Kk | URL
2020/04/04 18:19 | edit

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