FC2ブログ

夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

16年間の会社員生活について その6  

16年間の会社員生活について その5 からの続き
    はこちらから

■プロジェクトの解散とプロジェクトのメンバー

1997年6月。職場に復帰しました。
1ヵ月の間留守にした寮に戻ると、辺りの景色は様変わりして、
すっかり初夏の様相を呈していました。
寮の周りはすべて田んぼだったので、夜はカエルの鳴き声がうるさいぐらいでした。


入社2年目にして病気休職。
この頃は、まだこの会社で頑張ろうと思っていました。

復職すると、病気療養明けの私だけが定時勤務を命じられました。
早く帰れるのは嬉しいことでしたが、遅くまで働いている他のメンバーのことを考えると
とても後ろめたい気持ちになりました。

その後、プロジェクトは色々なことが見直され、改善策が講じられましたが
採算が合わないという理由から打ち切られ、解散することになりました。
プロジェクト開始から1年半。1998年3月末のことです。

プロジェクトのメンバーは私を含めて6名でした。
その一部を紹介します。

・K.S.さん(30代前半)
 プロジェクトリーダー
 新婚で子供が生まれたばかりでした。

 最年長メンバーのMさんに、いつも、
 「K.T.は子供が生まれたばかりなのに子供に会えなくて可哀そうだ」
 と言われていました。
 当時独身だった私には、あまりピンとくる言葉ではありませんでしたが、
 家庭を持った今なら、K.S.さん本人も、そして家族も大変だっただろうなと想像できます。

 後にK.S.さんは、このプロジェクトを始めるにあたって試算した計画書の数字を
 作り上げてしまった、失敗するのは分かっていたとメンバーに告白し、謝罪しました。

 プロジェクトを推進していたH.S.課長に計画書を提出した所、
 何度も見直すようにと計画書を戻されて、H.S.課長が満足するような数字を作り上げてしまったと。
 会社員生活を円滑に続けていくには、なかなか上司には逆らえません。
 プロジェクトリーダーであるK.S.さんは、最大の被害者だったと思います。


・Mさん(40代前半)
 メンバー最年長の技能者。地元採用の社員。
 加工に困った時はいつも助けてくれました。
 私は「職場の働き方が異常である」という愚痴を、ことあるごとにMさんにこぼしましたが、
 「このあたりでそれなりの給料をもらえるのは今の会社ぐらいだから」といつも一蹴されました。
 
 仕事が少ない地方では、労働者は足元を見られます。
 不景気になり仕事が少なくなると、やはり労働者は足元を見られます。
 だから景気は良いに越したことはありません。


・K.T.さん(20代後半)
 私より6歳年上のK.T.さんは、どんなに仕事が忙しくても定時の17時なると、
 用事があると言って帰っていました。
 まわりからどう思われようが良いという割り切った姿勢は、私には真似できませんでした。
 そのため彼は周囲のメンバーからは疎われ、会社に居づらくなったのか、その後転職しました。
 あの職場は異常だったで、逃げ出せたことは良かったのかもしれません。


・H.Y.さん(40代前半)
 同じプロジェクトのメンバーではありませんが、隣のプロジェクトのリーダーでした。
 頭を丸刈りにして貫禄があったので住職と呼ばれていました。
 彼は、自分のプロジェクトに参加していた他部署のメンバーに対しても、
 「うちの部署の定時は7:00-21:00だから」と公言し
 勝手に長時間労働を強いていました。実際はみんなそれ以上働いていました。

とにかく生産技術部2課の働き方は異常でした。
それに対して、だれもが異議を唱えることなく言われるがままに働いていました。
だから、この部署の成果は部内では常にトップクラスでした。
それはこういった人柱の上になりたっていたのだと思います。


その7 に続く
関連記事
スポンサーサイト



category: 無職・仕事

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://dourakumusuko102.blog.fc2.com/tb.php/1528-cc9b0f8d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)