FC2ブログ

夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

16年間の会社員生活について その8  

16年間の会社員生活について その7 からの続き
     はこちらから


■十二指腸潰瘍の再発

1998年(入社3年目)の秋

相変わらずの長時間労働。
以前のように、毎日深夜2:00まで働くという勤務ではありませんでしたが、
週に2~3日は0:00近くまで働いていました。
時々20:00頃の帰れると嬉しかったです。

これだけ働いても残業代は10時間までしか支給されず、働くことに虚しさを感じていました。
その上、東京に帰りたい気持ちも強くなり、
日々のストレスはピークに達しつつありました。


前年、十二指腸潰瘍で入院した市立病院には退院後も定期的にかかっていて
薬(オメプラール、その後ガスター)を服用していましたが、
症状が急速に悪化し、また下血をするようになりました。
病院では再入院を強く勧められましたが、仕事を休む訳にはいかなと思い
通院しながら仕事を続けることにしました。

今だったら迷わず入院・休職していたと思いますが、
当時は若く、これ以上休むと仕事に置いていかれることに怖さがありました。



1998年の年末頃だったと思いますが、生産技術部のK部長と面談がありました。
その席で私は、生産技術部2課の働き方の不満を話し、
十二指腸潰瘍を繰り返していることもあり、これ以上はここの部署ではやっていけず、
異動したいといった希望を述べました。

私の上司であるH課長も、長時間労働に耐えられない私を
戦力にならないと思っていたことでしょう。
K部長とH課長の判断で、私は東京にある生産技術部3課への異動が決まりました。



1年半で東京に帰ることになりましたが、
この地での楽しかった思い出も少し書いておきます。

同じ部署で入社が1年早い、酒好き、女好きのMさんが
良く飲みに連れて行ってくれました。
この地ではキャバクラなるものは無くて、フィリピンパブばかりでした。

そのフィリピンパブも安い。
田んぼの真ん中にあるバラック小屋のようなところが店舗で、
看板も何も無く、見た目にはお店とは分からないようなところでした。
二次会で22時頃から飲み始めて、閉店(深夜2:00頃)までいても
飲み放題で一人3,000円ぐらいでした。
(※東京だと、黒服に交渉して値切って1時間3,000円ぐらい)
聞くところによると、農家の兼業でフィリピンパブを経営しているそうです。
そんなお店が何件かありました。

あとは寮の近くに中華料理屋があって、そこには良く飲みに行きました。
安くて美味しかったです。
焼肉屋でも良く飲みましたが、寮からは少し遠いので代行を使って行きました。
田舎なのでチェーン店系の居酒屋などは皆無でした。

お酒を飲んでいる時だけは、
仕事の辛さを忘れることができ、幸せな気分になれました。
(十二指腸潰瘍でも普通に飲んでいました。流石に下血している時は控えましたが)


一緒に仕事をしている人達は本当に良い人ばかりでした。
元々この地に住んでいる地元採用の人は情に厚く、色々とお世話になりました。
入院した時にお見舞いに来てくれたり、家に招待してくれたり、登山に連れて行ってくれたりetc
仕事には恵まれませんでしたが、ここでも一緒に働いた人達には恵まれました。


その9 に続く
関連記事
スポンサーサイト



category: 無職・仕事

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://dourakumusuko102.blog.fc2.com/tb.php/1535-bd70774e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)