夢職ひきこもりの日々
40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。
16年間の会社員生活について その14 
2020/05/23 Sat. 10:05 [edit]
16年間の会社員生活について その1~13はこちらから
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■課長代理に昇格
2003年4月(入社8年目 31歳)
課長代理に昇格しました。
課長代理に昇格すると月々の給与が5万円弱増えることになりますが、
残業代は一切支給されなくなります。
元々残業代は10時間までしか支給されていなかったので
収入が増えたことは素直に嬉しかったです。
私の会社では、30歳を超えるとみんな課長代理に昇格します。
課長代理は管理職扱いなので、残業代を支給することなく
体よく長時間労働をさせることができます。
一時期良く言われた名ばかり管理職です。
私の会社では、全従業員の7~8割が課長代理以上の管理職でした。
この頃一緒に仕事をしていたのは、私より9歳年上のSさんでした。
Sさんは私の前工程の加工技術の開発を担当していて、
Sさんの検討が遅れると、私の検討ができなくなり手が空いていしまうので、
私は度々Sさんの仕事を手伝っていました。
Sさんは大学と共同研究をしていて、
時々、私もSさんと一緒に大学へ行って手伝いをしました。
大学にはいつも1週間ほど滞在しました。
初日は午前中に東京から移動して、午後から大学で加工。
2日目以降は、朝ビジネスホテルで朝食を食べた後、8:00頃にタクシーに乗って大学へ移動。
昼食は大学の学食で食べて、仕事が終わるのは23:00~1:00頃。
タクシーで市内に戻るも、やっているお店は焼肉屋ぐらい。
とても虚しい気持ちでビールを飲んだことを覚えています。
折角の出張なので、地の物を食べれると思っていたのですが、
学食の定食と焼肉しか食べた記憶しかありません。
もちろん観光なんて皆無です。
職場での仕事も長時間労働は常態化していました。
Sさんは良く会社に泊まっていて、
私が朝出社すると、Sさんは段ボールを敷いて寝ていました。
終電が無くなり深夜タクシーでも帰ることもあり、自宅まで5,000円程かかるそうですが、
会社からの支給は無く自腹だったようです。
Sさんは当時40歳でしたが、連日の長時間労働に良く耐えられるなと感心した覚えがあります。
私の勤めていた会社では、みんな文句を言わずに良く働いていました。
私はそういうのがとても嫌でした。
賃金という対価が得られたにせよ、興味の無いことに1日の大半を費やされることに
我慢ができなかったのだと思います。
Sさんが共同研究をしていた大学の研究室に、Kさんという大学院生がいました。
彼は後に、私の会社に入社して同じ部署で働くことになりますが、
心を病んで退職してしまいました。
彼も印象に残っている一人なので、次回は彼のことを書いてみたいと思います。
その15 に続く
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■課長代理に昇格
2003年4月(入社8年目 31歳)
課長代理に昇格しました。
課長代理に昇格すると月々の給与が5万円弱増えることになりますが、
残業代は一切支給されなくなります。
元々残業代は10時間までしか支給されていなかったので
収入が増えたことは素直に嬉しかったです。
私の会社では、30歳を超えるとみんな課長代理に昇格します。
課長代理は管理職扱いなので、残業代を支給することなく
体よく長時間労働をさせることができます。
一時期良く言われた名ばかり管理職です。
私の会社では、全従業員の7~8割が課長代理以上の管理職でした。
この頃一緒に仕事をしていたのは、私より9歳年上のSさんでした。
Sさんは私の前工程の加工技術の開発を担当していて、
Sさんの検討が遅れると、私の検討ができなくなり手が空いていしまうので、
私は度々Sさんの仕事を手伝っていました。
Sさんは大学と共同研究をしていて、
時々、私もSさんと一緒に大学へ行って手伝いをしました。
大学にはいつも1週間ほど滞在しました。
初日は午前中に東京から移動して、午後から大学で加工。
2日目以降は、朝ビジネスホテルで朝食を食べた後、8:00頃にタクシーに乗って大学へ移動。
昼食は大学の学食で食べて、仕事が終わるのは23:00~1:00頃。
タクシーで市内に戻るも、やっているお店は焼肉屋ぐらい。
とても虚しい気持ちでビールを飲んだことを覚えています。
折角の出張なので、地の物を食べれると思っていたのですが、
学食の定食と焼肉しか食べた記憶しかありません。
もちろん観光なんて皆無です。
職場での仕事も長時間労働は常態化していました。
Sさんは良く会社に泊まっていて、
私が朝出社すると、Sさんは段ボールを敷いて寝ていました。
終電が無くなり深夜タクシーでも帰ることもあり、自宅まで5,000円程かかるそうですが、
会社からの支給は無く自腹だったようです。
Sさんは当時40歳でしたが、連日の長時間労働に良く耐えられるなと感心した覚えがあります。
私の勤めていた会社では、みんな文句を言わずに良く働いていました。
私はそういうのがとても嫌でした。
賃金という対価が得られたにせよ、興味の無いことに1日の大半を費やされることに
我慢ができなかったのだと思います。
Sさんが共同研究をしていた大学の研究室に、Kさんという大学院生がいました。
彼は後に、私の会社に入社して同じ部署で働くことになりますが、
心を病んで退職してしまいました。
彼も印象に残っている一人なので、次回は彼のことを書いてみたいと思います。
その15 に続く
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