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夢職ひきこもりの日々

40歳で鬱で職を失いました。2014年1月~2018年10月までトレードで生活費を稼いでいましたが、稼げなくなり完全に夢職なりました。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ再就職はあきらめました。

中学時代の同級生の話 その3  


1990年。3人はぞれぞれの高校を卒業しました。
私は大学の機械工学科に進学し、
Kは志望する大学に合格できずに浪人し、
Fは映像系の専門学校に進学しました。

私は大学に入ってからは割の良いアルバイトをしたくて
派遣の家庭教師をはじめました。
時給は2,300円。
当時はバブル経済真っ只中で、お金が余っていたのだと思います。
破格の時給でした。

六本木では、タクシーを拾うために万札をひらひらさせて手を振っても
全く捕まらなかったそうです。
1985年、ドル高是正のため先進5か国が合意した「プラザ合意」により
金余りが生じたのです。

私の家庭教師の派遣元の本業は不動産業でしたが、
経営の多角化の一環として家庭教師の派遣業務を始めたようです。

平日、大学が終わった後、1日2時間働いて4,600円でした。
エアコンの効いた部屋で子供に勉強を教え、おやつも出してもらえました。
引っ越しの仕事は、外で1日肉体労度をして6,500円。
そんなこともあって、私は引っ越しのバイトからは遠ざかるようになりました。



大学時代には色々なアルバイトしました。
ハンバーガーショップ、喫茶店(2軒)、パン屋、プリンターメーカーの耐久試験、
塾講師、その他にもあったかもしれません。
どれも2~3年程で辞めてしまいましたが、
この家庭教師だけは大学院を卒業するまでの6年間(1990年~1996年)続けました。

しかし、1993年初め頃よりバブル崩壊が本格化し、
家庭教師派遣元の会社の本業である不動産業の業績も悪化。
途中、アルバイト料の振り込みが遅れる事態になりました。
多くのアルバイトが辞めていき、バイト料が支払われないまま泣き寝入りしていたようです。
社員も相当数いなくなりました。
ごっぞりと、同業他社に転職したという話も聞きました。


私は教えている生徒さんが中学受験を控えていたこともあって、
途中で仕事を投げ出すことができず、バイト料が支払わるか不安なまま、
仕事を続けました。

詳細を書くと、それだけで1時間ぐらい語ることができるのですが、
私は単身で本社に乗り込み、専務と交渉をしました。

専務はバイト料をいついつまでに振り込むと調子の良いことを言い、
それを信じて待つのですが、振り込みの日に通帳を確認するも振り込まれていない。
頭に血がカーッと上り、電話をすると専務が出て、
「どうなっているのですか?これからそちらに話を伺いに行きます」と言い
会社に行くと、専務はどこかに行ってしまいいなくなっている。

そんな感じで、何度も嘘をつかれ騙されはしたもの
1年遅れぐらいでバイト料は全て回収しました。
専務に「あんたはしぶとい、負けたよ」と言われたのを覚えています。
私はお金に対する執着心が人一倍強いのです。

最終的に本社は倒産し、家庭教師派遣業は別会社として存続。
その後は、バイト料もきちんと支払われるようになり、
最後まで仕事を続けることができました。

当時は経済のことは全く分かりませんでしたが、
今思うと、あの時の不動産業は大変だったと思います。
私に支払う月数万円のお金すら、本当になかったのだと思います。


すみません、私の学生時代の思い出話ばかりになってしまい、
また本題から逸れてしまいました。
次回こそは、KとFの話に戻ります。


その4 に続く
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