夢職ひきこもりトレーダーの日々
40歳で鬱で職を失い、トレードで生活費を稼いでいます。夢職です。部屋にひきこもるのが大好きです。酒場巡りをライフワークとするアル中予備軍。無業期間が長くなりすぎ、再就職はあきらめました。
昔、バイトで知りあった友人のこと 
2017/02/24 Fri. 20:03 [edit]
■1
昨年末から、「スマホでUSEN」に加入しています。
月額490円で色々なジャンルの音楽がスマホで聞き放題です。
私の場合、朝の8:00~夕方17:00までは
部屋のBGMとしてラジオ日経を流しています。
それ以降の時間は、
監視している銘柄の株価データをダウンロードしたり、日中足データを保存したり、
その日の取り引き結果をエクセルに入力したり、といった単純作業が多いので、
作業用のBGMにUSENを流しています。
スマホからBluetoothでスピーカーに飛ばして聞くので
高音質で聞けます。
結構、気に行っています。
■2
そのUSENで、私は1980年代後半~1990年代前半
(私が15歳~25歳ぐらいだった頃)
の音楽を良く聞くのですが、その時代の出来事とか、
付き合っていた友人や彼女のこととかを鮮明に思い出し、懐かしくなります。
BARBEE BOYSの曲が流れてきて、
その歌を、カラオケで良く歌っていた友人のことを思い出したので
彼の事を少し書こうと思います。
■3
私が19歳の時、自宅近くのハンバーガーショップでアルバイトを初めました。
そして、ほぼ同じ時期に、2歳年下のフリーターの子も入ってきました。
彼は岐阜県出身で、高校を中退し、都内の親戚の家に住まわしてもらいながら、
そのハンバーガーショップでバイトを始めたそうです。
その前は、近くの喫茶店で働いていたと言っていました。
年も近かったし、彼はパチンコが好きで、ギャンブル全般も好きだったこともあり、
直ぐに意気投合し、いっしょに麻雀をしたり、
競輪場に行ったり、パチンコ屋へ行くようになりました。
その頃の私の生活は、昼間は大学で授業を受け、授業が終わるとバイトへ行く。
バイトが終わってから、0時~6時頃まで麻雀をして、
そのまま大学に行き、授業中に寝て、また夕方からバイト。
たまにバイトが休みの時や休日は、川崎、花月園の競輪場に行く、
そんな事の繰り返しの日々でした。
博打のためにバイトをするという、ギャンブル三昧の学生生活だったので、
当然のことながら学業はおろそかになり、大学2年の時に留年しそうになり、
泣く泣くバイトを辞めることにしました。
しかし、バイトを辞めてからも彼との交流は続き、
彼の岐阜の家に遊びに行き、彼の両親を交えて4人で麻雀を打ったり、
父親も大の競輪好きだったので、豊橋競輪にみんなで行ったりと、
楽しい思い出が沢山残っています。
■4
彼は当時、五反田に住んでいたので、
良く五反田駅前にあった、今は無き24時間営業の居酒屋「赤のれん」に
2人で飲みに行きました。
1階の入り口で靴を脱いで、下駄箱に靴を入れ、
階段を上がって、だだっ広い2階の大広間の座敷で、
鍋を食べながら、瓶ビールの大瓶を飲みました。
(確か、生ビールは無かったような・・・)
深夜なのに、従業員はみんな年配の女性だった事が印象に残っています。
私が20歳前後、彼が18歳前後、
その頃は、将来の夢とか希望があって、人生すごく楽しかったです。
生きることに必要なものは、何歳になっても「希望」だと思います。
当時の生活は滅茶苦茶でしたが、
親に食べさせてもらっていたし、独り身だったので、
本当の意味で、自由奔放に生きていたと思います。
楽しい時期でした。
赤のれんでは、明け方まで彼と人生について語り合いました。
彼がいつも言っていたのは、
「俺は高校を中退して、中卒だから、普通の人生は歩めない。
このまま落ちぶれて乞食になるか、起業して一発あてるかのどっちかの人生だ。
失うものは何も無い」と
■5
私がハンバーショップを辞めてから、半年後ぐらいに彼もバイトを辞めました。
運転免許を取得のため、しばらく実家に帰っていたようです。
その後、再上京した彼は、職を転々としていました。
パチンコ店の店員、芸能人のマネージャー、ネットワークビジネス(いわゆるねずみ講)
他にも何かやっていたかもしれません。
(※ねずみ講は、私も巻き込まれそうになって大変だった。この話も別途じっくり書きたいです)
彼には付き合っていた彼女がいて、彼女と吉祥寺で同棲をはじめた頃から、
お互いの家も遠くなってしまい、少しずつ距離が離れていきました。
私が社会人になった時は、まだ彼との付き合いはあって、
その頃彼は芸能プロダクションを起業して、社長になっていました。
彼は既に結婚していて、子供もおり、渋谷のマンションに住んでいましたが、
家賃は月50万円だと言っていました。
私は入社1年目で給料は額面で20万円そこそこ、
そして、寮費は2万円程だったので、
彼がどこか遠い世界に行ってしまったようで、寂しい気持ちになりました。
金銭感覚も全然違うし、生きている世界がお互い変わってしまったなと。
■6
その後、彼から一緒に仕事をしようという誘いを何度か受けました。
経理をやる人間がいないので、数字が得意な私に来て欲しいと。
そんな話を頂いたのですが、私は断りました。
彼の仕事を手伝えば、今の給料の倍以上は貰えるかもしれない。
しかし、起業して数年しか経っていない会社だったので、将来を考えると不安もありました。
結局、私は安定をとったのだと思います。
前の会社で、鬱になっても10年もの間、会社にしがみついていたのも
そんな下らない安定志向があったからかもしれません。
■7
お互いが社会人になってからは、自由な時間も少なくなり、
家が離れていたこともあって、めっきり会わなく無くなりました。
年賀状を交換する程度の付き合いも、
30歳を過ぎたあたりから途絶えてしまいました。
彼の住んでいた渋谷の家は、引っ越したようです。
彼が今、何をしているのか気になって、
彼の会社のことをネットで検索してみるのですが、情報は全く掴めません。
浮き沈みの激しい芸能関係の仕事だから、
今はもう廃業して、別の仕事をしているかもしれません。
■8
USENから流れてくるBARBEE BOYSの曲を聞くと、
彼と一緒に過ごした20代前半の日々を思い出し、懐かしくなりました。
また、機会があったら、彼との事を書こうと思います。
ねずみ講に巻き込まれそうになった話とか、
花月園競輪で1レースで50万当てた話とか、
岐阜の柳川瀬で飲み明かした話とか・・・
終わり
昨年末から、「スマホでUSEN」に加入しています。
月額490円で色々なジャンルの音楽がスマホで聞き放題です。
私の場合、朝の8:00~夕方17:00までは
部屋のBGMとしてラジオ日経を流しています。
それ以降の時間は、
監視している銘柄の株価データをダウンロードしたり、日中足データを保存したり、
その日の取り引き結果をエクセルに入力したり、といった単純作業が多いので、
作業用のBGMにUSENを流しています。
スマホからBluetoothでスピーカーに飛ばして聞くので
高音質で聞けます。
結構、気に行っています。
■2
そのUSENで、私は1980年代後半~1990年代前半
(私が15歳~25歳ぐらいだった頃)
の音楽を良く聞くのですが、その時代の出来事とか、
付き合っていた友人や彼女のこととかを鮮明に思い出し、懐かしくなります。
BARBEE BOYSの曲が流れてきて、
その歌を、カラオケで良く歌っていた友人のことを思い出したので
彼の事を少し書こうと思います。
■3
私が19歳の時、自宅近くのハンバーガーショップでアルバイトを初めました。
そして、ほぼ同じ時期に、2歳年下のフリーターの子も入ってきました。
彼は岐阜県出身で、高校を中退し、都内の親戚の家に住まわしてもらいながら、
そのハンバーガーショップでバイトを始めたそうです。
その前は、近くの喫茶店で働いていたと言っていました。
年も近かったし、彼はパチンコが好きで、ギャンブル全般も好きだったこともあり、
直ぐに意気投合し、いっしょに麻雀をしたり、
競輪場に行ったり、パチンコ屋へ行くようになりました。
その頃の私の生活は、昼間は大学で授業を受け、授業が終わるとバイトへ行く。
バイトが終わってから、0時~6時頃まで麻雀をして、
そのまま大学に行き、授業中に寝て、また夕方からバイト。
たまにバイトが休みの時や休日は、川崎、花月園の競輪場に行く、
そんな事の繰り返しの日々でした。
博打のためにバイトをするという、ギャンブル三昧の学生生活だったので、
当然のことながら学業はおろそかになり、大学2年の時に留年しそうになり、
泣く泣くバイトを辞めることにしました。
しかし、バイトを辞めてからも彼との交流は続き、
彼の岐阜の家に遊びに行き、彼の両親を交えて4人で麻雀を打ったり、
父親も大の競輪好きだったので、豊橋競輪にみんなで行ったりと、
楽しい思い出が沢山残っています。
■4
彼は当時、五反田に住んでいたので、
良く五反田駅前にあった、今は無き24時間営業の居酒屋「赤のれん」に
2人で飲みに行きました。
1階の入り口で靴を脱いで、下駄箱に靴を入れ、
階段を上がって、だだっ広い2階の大広間の座敷で、
鍋を食べながら、瓶ビールの大瓶を飲みました。
(確か、生ビールは無かったような・・・)
深夜なのに、従業員はみんな年配の女性だった事が印象に残っています。
私が20歳前後、彼が18歳前後、
その頃は、将来の夢とか希望があって、人生すごく楽しかったです。
生きることに必要なものは、何歳になっても「希望」だと思います。
当時の生活は滅茶苦茶でしたが、
親に食べさせてもらっていたし、独り身だったので、
本当の意味で、自由奔放に生きていたと思います。
楽しい時期でした。
赤のれんでは、明け方まで彼と人生について語り合いました。
彼がいつも言っていたのは、
「俺は高校を中退して、中卒だから、普通の人生は歩めない。
このまま落ちぶれて乞食になるか、起業して一発あてるかのどっちかの人生だ。
失うものは何も無い」と
■5
私がハンバーショップを辞めてから、半年後ぐらいに彼もバイトを辞めました。
運転免許を取得のため、しばらく実家に帰っていたようです。
その後、再上京した彼は、職を転々としていました。
パチンコ店の店員、芸能人のマネージャー、ネットワークビジネス(いわゆるねずみ講)
他にも何かやっていたかもしれません。
(※ねずみ講は、私も巻き込まれそうになって大変だった。この話も別途じっくり書きたいです)
彼には付き合っていた彼女がいて、彼女と吉祥寺で同棲をはじめた頃から、
お互いの家も遠くなってしまい、少しずつ距離が離れていきました。
私が社会人になった時は、まだ彼との付き合いはあって、
その頃彼は芸能プロダクションを起業して、社長になっていました。
彼は既に結婚していて、子供もおり、渋谷のマンションに住んでいましたが、
家賃は月50万円だと言っていました。
私は入社1年目で給料は額面で20万円そこそこ、
そして、寮費は2万円程だったので、
彼がどこか遠い世界に行ってしまったようで、寂しい気持ちになりました。
金銭感覚も全然違うし、生きている世界がお互い変わってしまったなと。
■6
その後、彼から一緒に仕事をしようという誘いを何度か受けました。
経理をやる人間がいないので、数字が得意な私に来て欲しいと。
そんな話を頂いたのですが、私は断りました。
彼の仕事を手伝えば、今の給料の倍以上は貰えるかもしれない。
しかし、起業して数年しか経っていない会社だったので、将来を考えると不安もありました。
結局、私は安定をとったのだと思います。
前の会社で、鬱になっても10年もの間、会社にしがみついていたのも
そんな下らない安定志向があったからかもしれません。
■7
お互いが社会人になってからは、自由な時間も少なくなり、
家が離れていたこともあって、めっきり会わなく無くなりました。
年賀状を交換する程度の付き合いも、
30歳を過ぎたあたりから途絶えてしまいました。
彼の住んでいた渋谷の家は、引っ越したようです。
彼が今、何をしているのか気になって、
彼の会社のことをネットで検索してみるのですが、情報は全く掴めません。
浮き沈みの激しい芸能関係の仕事だから、
今はもう廃業して、別の仕事をしているかもしれません。
■8
USENから流れてくるBARBEE BOYSの曲を聞くと、
彼と一緒に過ごした20代前半の日々を思い出し、懐かしくなりました。
また、機会があったら、彼との事を書こうと思います。
ねずみ講に巻き込まれそうになった話とか、
花月園競輪で1レースで50万当てた話とか、
岐阜の柳川瀬で飲み明かした話とか・・・
終わり
- 関連記事
-
- オフ会で会った元外科医さんの話 その2 (2017/04/01)
- オフ会で会った元外科医さんの話 その1 (2017/04/01)
- 昔、バイトで知りあった友人のこと (2017/02/24)
- 友達に働けってしつこく言われて困った (2017/02/19)
- 中学時代の担任の先生の話 (2017/02/02)
スポンサーサイト
category: 友人
« 週末の出来事と今日の予定
2月の株主優待 »
コメント
なんか、いいですね。
No Name #- | URL
2017/02/25 21:31 | edit
なんか良い話ですね
とも #- | URL
2017/02/26 15:38 | edit
No Nameさん、ともさん
ニックです。
コメントありがとうございます。
これからも、昔の私のことを
書こうと思います。
ニック #- | URL
2017/03/01 00:14 | edit
トラックバック
トラックバックURL
→http://dourakumusuko102.blog.fc2.com/tb.php/932-bda2adda
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| h o m e |